虐待サバイバーのほのぼのアカデミー生活

@chomalone

第1話

―――息が苦しい。

目の前がぼやけ、徐々に視界が狭まってゆく。

あんなにうるさく鳴いていたセミの声はもう、

聞こえなかった。

擦り切れる視界の最後に写ったのは、

どこか懐かしい、青。





 パチリ。

目を開けた少女が最初に思ったことは「自分は死んだのだ」ということである。

なぜならば彼女にとっての最後の記憶は、己の首に手を伸ばし、力を込める父親であったからだ。

 少女は夢見心地で記憶をたぐった後に、どうやら今、自分は横たわっており、なにやら頭と体が異様に柔らかなものに包まれていることに気づいた。

驚いて起き上がり、現状を確認しようとしたが、体が動かない。

正確には、体に力が入らず、指先しか動かすことができない。

 ――そのとき


「お嬢様、お客様が目を覚まされました!」


 バタバタと人の足跡が聞こえ、バタンッと大きな音がした。


 少女は突然のことに何が起こったのか分からず、しかし体も動かせないために、目だけを動かして辺りを見た。

 すると視界に写ったのは美しい女性であった。女性の髪はキラキラとひまわりのように輝いており、何よりも少女の目を奪ったのは夏の晴天のように一点の曇りもない青色の瞳だった。

 少女は目の前にいるこの女性のことを、信じられないことに天使だと思った。自分は先ほど死にたえ、天使が迎えに来たのだと思ったが、矛盾が生まれる。そこまで考えたところで


「ばあや、お嬢様と呼ぶのはもうよしなさいと言ったでしょう!」

「起きられたの!あなた、2日も目を覚まさなかったのですよ!」


 女性は見た目よりもずっと凛とした声でこちらに語りかけた。

 少女は天使が喋ったと驚き、声を上げようとしたが喉の奥から出るのは掠れた空気の音だけだった。


「まあ、水を一杯差し上げて」

 ずっと昔漫画で見た、メイドのような姿のおばあさんがコップに入った水を口元にあてがってくる。

 少女はそれに抵抗せずに喉を潤した。

 少女は2度3度咳をし、ヒリヒリする喉を叱咤しながら「天使様、私はここにいるべきじゃありません」と告げた。まるでその姿は罪を告白する罪人のようだった。

 

「あら、天使様とはもしかして私のことですか?それなら訂正します、私は天使ではありませんよ」

「あ、あの、それなら閻魔様⋯⋯でしょうか?」

「エンマサマ?」


 女性は怪訝な表情を浮かべ、少女を見つめる。

すると、少女の顔色は目に見えて青くなり、額に大量の汗を並べる。


「すっ、すみません!ごめんなさい、ごごめんなさ」

「怒っているわけじゃないですよ。ただ、私は人間で、この家の次期当主です」

「はっはい」

「改めましてご挨拶を申し上げます。アマルト家のルーナ・アマルトと申します」


少女は目の前の女性が人間であることに驚き、固まってしまった。ルーナがこの世のものとは思えなくらい、美しかったからだ。


「あなたのお名前は?」

「⋯葛西莉子です、莉子と呼んでください」

「リコ、よろしくね」

「よ、よろしくお願いします」

「それじゃあ、まだ体が回復しきってないと思うから安静にしてくださいね。

明日、また来ます」


 リコはルーナが去った後、混乱する頭をどうにか落ち着かせ、そのまま意識を失うように眠りについた。

 ルーナは名前以外、リコになにも聞かなかった。なぜ門の前で倒れていたのか、どこから来たのか、体にある生々しい痣や切り傷はどうしたのか。

そして、首にあった手形は誰にやられたのか。

 本来、このような状況であれば必須である質問をしなかったのは、リコの精神状態に不安を覚えたからである。途中の尋常ではなく怯えた様子と終始こちらの機嫌を伺う様子に、まだその質問を投げかけるべきではないとルーナは判断した。


 その判断は正しかったのだと感じたのは翌日のことだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

虐待サバイバーのほのぼのアカデミー生活 @chomalone

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ