第5話 カフェにて②
いつものカフェのテーブルで、僕はラテの甘い蒸気を無表情のまま堪能していた。
店内のガチャガチャとした話し声のなか溶け込んでいた僕の意識は、マークの面白そうな表情に釘付けられていた。
「で、ナポレオンbotは結局、歴史家だったのかい?友達が増えたみたいだな」
僕は空になったカップを回しながらため息をついた。
「その通りなんだ。日付と戦いは羅列してくれるけど、人間味、心の火が欠けてる。でも確かに前進はしていたよ。」
マークは背もたれに寄りかかった。
「全部データとして読み込ませたんだろうな?手紙、回想録、ゴシップ記事まで?」
「山のようにデータを与えたよ」と認めた。「だけど、まるで上から眺めているだけで、ナポレオンの靴に本当に足を踏み入れてないみたいなんだ」
マークが別の話題への布石となるコメントをねじ込ませ始めた。
「なるほど。まあ、確かに、知識だけじゃ人間は作れないよね。人間って、経験を通して成長していくものだよね。」
「ん…、経験か…」
僕の眉がピクリとあがり、ヒントを感知した。
「たとえば、恋愛を経験したら、愛情や喜び、悲しみといった感情を知るように。この間バイト先で知り合った娘も…」
テーブルの空気には問いが充満し、僕は自分の世界に入りつつあたった。
「データをインプットするんじゃなくて、人生経験を与える…」
「って、おいアイディアか?興味深い。VRシミュレーションを考えてるのか?」
かすかな記憶が蘇った。
「もっとソースに近いものさ。そうだ…マーク、お前が女の子に試そうとした催眠術、覚えてるだろ?」
彼は笑った。
「ああ、回帰を探る退行催眠、あれか?まさかハルト…」
「例えるなら、AIへの催眠学習さ」と僕は呟く。
「穏当じゃない、ってのは控えめな表現だね。でも、上手くいくのかな?あれってさ、リラックスしてくれって言っても緊張されちゃって難しかったんだよな。声も低めにしてゆっくりしゃべらなきゃいけない。」
思い出を遡るマークをよそに、僕は頭を回転させていた。
そうだ、ハルト。ナポレオンの人生を時系列で与えるんだ。それはデータだけじゃなくて、体験させるんだ。全ての戦闘、全ての決断、全ての勝利と敗北を、彼自身が直接体験させる。過去の知識を、個人的な語彙を与えるのではない。
パーソナライゼーション学習は、その人の既知の性格特性や表現と一致する応答に対してモデルに報酬を与える強化学習であった。この応用として、過去と同じ場面を順次再現させ、史実の時系列を正解ラベルとして、成長の場面ごとに強化学習をさせる。上手く行けば、単に知識を持つAIを作るだけじゃない。理解力を持たせるんだ。歴史を知っているだけでなく、本当にそれを生きたナポレオンを創れるはず…。
と、ブツブツと面倒な思慮を拡げていた僕は、なにかを企んだ時の薄ら笑いを浮かべていた。
「データ考古学者だと思ってくれ。事実だけでなく、ささやき、感情、ナポレオンの人生の本質を掘り起こす。もちろん勝利もだけど、疑念や恐怖もね。人間らしさを形作るものさ」
「え、本当にAIに催眠術をかけるの?イカれてる!最高だ。でも大仕事だぞ。手伝おうか?」
こうして僕は、次の工程の指針を得た。
推論上のナポレオン 肉を休ませる @yodobasi_potato
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