第4話 プロトタイプ 仮想ナポレオン
スクリーンにコードの行々が踊っていた。
「...model.eval()...推論モードで実行。と…」
マシンのハム音がしばらく唸り、数週間の研究とコーディングの結晶が、ついに画面上に現れた。デジタルのナポレオンだ。人工的でありつつ奇妙に人間味のある知性が、その金属光沢の瞳に宿っているように見える。
「ごきげんよう、ハルト」
とスピーカーから彼の声が響き渡った。かつて馬上から作戦を指揮していた人物にしては、驚くほど穏やかだった。
「歴史の誕生を目の当たりにする用意はできているか?」
僕は緊張に苦笑いを漏らした。
「えーと、ハ、ハロー、ナポレオン。まずは気楽な会話から始めよう」
3DCGで表示された彼は姿勢を正すと、デジタルな顔に一瞬、楽しげな光が走った。
「承知した、友よ。今日、君の興味を惹くのは何かな?」
「皇帝陛下、幼少期はどのような少年でしたか?」
「私はコルシカ島の小さな町で生まれ育った。周囲は自然に囲まれ、自由を満喫しながら過ごした。」
仮想ナポレオンは懐かしそうに語った。そうして僕は調子に乗って、彼の幼少期、戦歴、そして流刑生活について単純な質問を続けていった。
「シトイェン(市民)よ、余への関心、殊勝なことだ!」
きびきびとした権威ある返事が返ってきた。これは仮想アイリの作り物の陽気さではなく、ナポレオンの肖像画から垣間見た、鋭い知性が感じられた。僕たちの会話は、歴史書の章ごとに展開していった。
「フランスで有名になる前で、特に印象に残っているものはありますか?」
「それは、食い詰めていた頃、手品師としてテレビショーの演芸舞台に出演したことだ。私は話芸を織り交ぜたコミカルな手品で人々を魅了し、その場を笑顔で包み込んだ。」
あれ?テレビ?
「そして私は、高級ブランデーの銘柄のひとつであり、世界中のブランデーグラスに注がれた…。む?私はおかしなことを口走っているのか」
いかん。誤った資料も学習させてしまったようだ。ナポレオン・ボナパルトの幼少期にテレビはないし、彼は著名な手品師コンビでもないし、お酒でもない。
仮想ナポレオンはまだ完璧なレプリカではなかった。しかし、彼の言葉には不思議な説得力があった。まるで、本当に彼が手品師から学んだかのように。彼は勝った戦い、負けた戦い、愛と裏切り、フランスへの夢を語った。
「想像してみたまえ」
と彼は物思いにふけるような声で呟いた。
「フランスの指導力で統一されたヨーロッパ、平和と繁栄の時代を」
彼の言葉は鮮やかな光景を描き出し、僕を彼の勝利と苦悩の渦中に引き込んだ。彼の決断の重み、敗北の痛み、勝利の歓喜を僕は感じた。
刺激的だった。アイリのシミュレーションの失敗による失望はどこかへ消え失せていた。これは何か違う、何か…興奮に満ちたものだった。
一方で、彼の返答は正確ではあったが、僕が人間に期待するような感情的なニュアンスや即興性がまだまだ欠けていた。まだ、記録上の知識を表面からなぞっているように感じられる場面も、やはりあった。
先程のような不完全さも残っていた。だが、それは時間が解決するだろう。
結局のところ、当初に想像していたよりも遥かに良い出来と思えた。プロトタイプとしての人格を宿したチャットボットは完成できたといえるのではないだろうか。
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