街の中心から少し外れた辺りまで来ると、男は急に車を停めた。彼の右には朽ちたガソリンスタンドが佇んでいた。メモを見、もう一度ガソリンスタンドを見た。このガソリンスタンドこそ依頼人が教えた建物に違いなかった。男は開いたままグローブボックスに再び手を突っ込むと自動拳銃を取り出し、ズボンの後ろに挟むと、エンジンを切って外に出た。

 ガソリンスタンドに屋根はなく、二台の給油機は野ざらしだった。男はその傍を通り過ぎると、事務所らしき一階建ての建物に近づいた。ガラス張りのドアを少し押すと、後は勝手にキキーッと開いていった。懐中電灯を点け、男は建物に入っていった。入るとすぐに簡単なコンビニがあり、その奥が事務所になっていた。彼はゆっくりと一歩一歩踏みしめるように事務所を目指した。棚には商品がまだ幾つか置かれていた。新聞、ビール缶、ボールペン、イチゴのグミ、チョコレート、青いタオルに制汗スプレー……。店の床はやはり所々窪んでおり、黒い水溜まりが出来ている。まるで外の闇が店の中へと侵蝕してきているようだった。そこにもあの満天の星空が浮かんでいた。

 男は事務所のドアを開けた。木製のデスクが部屋の中心に置かれている。男は引き出しを幾つか探ると、目的のものを探り当てた。幾つかの書類だった。男はそれをポケットにねじ込むと、事務所を後にした。店の中は相変わらず、外と同じような静寂に包まれている。男は窓の外の空を見やった。その瞬間、不思議な違和感と、奇妙な感覚に襲われた。長年の探偵としての勘が彼の脳に働きかけた。


今すぐに伏せろ


彼は咄嗟に地面に伏せた。そのとき、彼は違和感の正体に気が付いた。空の中心に佇むオリオン座。その真ん中に星が四つあった。

 次の瞬間、窓ガラスが沈黙を破って弾けた。男は窓に近い商品棚に身を寄せると、ズボンに差した拳銃を引き抜き、右手に握った。耳を澄ます。何も聞こえない。街は元の静寂に戻っていた。そう思うと、次のガラスが弾けた。男は荒く息をつく。彼には何が何だか分からなかった。銃声は聞こえなかったはずだ。なのに、なのに一体何が起こってるんだ?

 次にガラスが砕けた時、男の銃が何かに弾かれた。銃は店の床を滑っていき、黒い水溜まりに沈んだ。男は水溜まりまで這って行き、水溜まりに手を突っ込んだが、フニフニとした感触が手に残るばかりで銃はなかった。男は悪態をつくと、うつ伏せのまま店内を見渡した。武器として使えそうなものは何もない。いや、そんなわけない、何かあるはずだ、と血眼になって探す。が、やはり何もない。男が絶望に打ちひしがれながら、ふと水溜まりに目を戻すと、水溜まりの端に銀色に何かが光っているのを発見した。男はそれを掴んだ。それは彼が手放したものにそっくりのオイルライターだった。蓋を開け、滑車を親指の腹で思い切り回転させる。彼の顔をボッと小さな炎が照らした。まだ使える。男は店をもう一度見渡した。そして、とある棚の前まで這って行くと、腕を伸ばして最上段にある制汗スプレーを指で小突いた。バランスを崩した制汗スプレーが棚から落下し、カン、と床を跳ねる。男はコロコロと転がっていくスプレーに這って追いつくと、左手にスプレー缶を握り、右手にライターを持ち替えた。そして男は窓際の壁にもたれかかった。少なくともここからなら外から見えないはずだった。

 しかし、それでも攻撃は男の傍のガラスを襲った。男は半ばパニック状態になり、無意識の内に目を瞑ってライターの火を点け、制汗スプレーを空中に吹き付けた。目を開くと、実に奇妙な光景が男の目の前で起こっていた。「空中」が燃えていた。店の中の、宙の一点が燃えていたのだ。燃える点は曲がりくねった軌道を描いて飛ぶと、途端に落下した。地面に着くなり、火は消え、何も残ってはいなかった。

 男の混乱は更に加速した。あろうことか男は窓から大きく顔を出し、外の景色を眺めた。星空を見た。やはり満天の星で輝いている。しかし、やはり違和感がある。あんなに星が多かったか? それにあの三ツ星は、もう明らかに三ツ星ではなかった。そこには何百という夥しい数の星が存在していたのだ。

 突然、最後のガラスが砕けた。男は大胆にも店の中から飛び出した。夜空の星が動いたのを、彼は目撃した。制汗スプレーとライターを振り回し、一目散に車へと駆け出した。給油機の傍を通る際、直前までその存在に気が付かず、慌てて火を消した。幾つもの宙が燃えて、同じように曲がりくねった軌道を描いては地面で燃え尽きるのだった。

 男は車に乗り込むと、アクセルを目いっぱい踏み込んだ。ギャギャーッとタイヤが悲鳴を上げ、車が急発進した。車のガラスも破られ、男は腕で顔を覆った。ガラスの破片でコートの袖が着れた。男は街中を駆け抜けて、あのテープの外に出ようとあがいた。その間、車のボディーに何かがめり込む音がし、ガラスが一枚、また一枚と割られていく。急に、ハンドルが聞かなくなった。タイヤを破られたのだ。車は制御を失い、メインストリートにあった窪みの池に落下した。

 ドアを開けて池の中に立ち、男はよろめいた。血がその額を伝って頬へと流れてゆく。車の中にあった制汗スプレーとライターを掴むと、頭上のアスファルトを掴んだ。血塗れの手足を動かしながら、何とか窪みから這い出すと、男は走り出した。再び制汗スプレーを吹き付けようとしたが、もう何も出てこなかった。缶の横には大きな穴が開いていた。すると、走る男の右肩を何かが食い破った。男は一瞬、衝撃によろめいたが、左手で肩を押さえてすぐに持ち直し、アーケードの下のレストランへと飛び込んだ。

 男は壁に背を持たせかけると、そのままずるずると壁を擦って座り込んだ。赤い軌跡が壁に描かれた。男は絶望していた。もう何も考えられなかった。額から流れた血がルートを変え、今度は彼の目に流れ込む。彼はそっと目を閉じた。自分の呼吸が弱くなっていくのが感じられる。暗黒の中で、彼はどこまでも落ちて行った。

 しかしふと、右手にある感触を思い出した。硬くて、つるりとしている。蓋が付いていて、それが開くと、滑車が現れる。それを強く回すと、赤く燃え上がった。彼は痛みで目が覚めた。見ると、人差し指の皮膚が真っ赤にただれ、握っていたライターに火が付いていた。男はゆっくりと身体を動かし、窓から外を覗いた。車が窪みの黒い水溜まりに光を投げかけている。車は黒々とした血を、左後部から流していた。窪みの向こうには、草原が広がっている。男は空を見上げた。未だにそこには夥しい数の星がひしめき合っていた。そうだ。俺は帰らなくちゃいけない。男は再び立ち上がると、レストランから飛び出した。

 男は窪みへ向かって全力で駆けた。もし自分の考えが正しければ、「あれ」は俺を追ってくるはずだ。ならその通り道に、罠を仕掛けてやればいい。チャンスは一度しかない。男は有らん限りの力を持って走った。そして、窪みに差し掛かった。今だ。彼はライターに火を点け、窪みの端を蹴って飛んだ。火のついたライターを車に向かって投げ込むと、車は爆発的に炎上し始めた。男は何とか窪みの向こう側に着地した。男は燃え上がる窪みのほうを振り返った。すると、幾つもの「点」が炎を潜り抜け、その身体に火を点けた。何百、何千という炎が男のそばを掠めて言った。そのどれもがあの奇妙な軌道を描いて落下し、焼失した。男は街の外へ歩き出した。もう、何も追って来るものはなかった。男は広がる草原を眺め、そこを横断する道の先を眺めた。彼の足取りはおぼつかなかったが、不思議と不安はなかった。彼は必ず次の街に辿り着けると、娘の下に帰れると確信していた。空ではあのオリオンの三ツ星が、ひときわ強く輝いていた。

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星の殺し方 トロッコ @coin_toss2007

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