星の殺し方

トロッコ

 見渡す限りの草原に光が一つ、ポツリと佇んでいた。一台の車から発せられている光。夜を振り払う力強い光だった。カカカカと軽いエンジン音を鳴らし、車はじっと動かない。ふと、車のドアが開く。運転席からトレンチコートの男が出て来た。男は道をふさいでいるテープに近づいた。それは道の両側に立つ電柱に巻き付けられていた。五年間もの間、風雨にさらされたために、テープの「KEEP OUT」の文字は掠れている。男はコートのポケットから折り畳みナイフを取り出し、それを切ると、再び車に乗り込んで草原を進み始めた。

 空は星に溢れていた。白や黄色、赤など色とりどりの星々が彼の行く先を照らしている。男は少し前かがみになってフロントから、頭上の空を眺めた。あれがオリオン座だと、幼い娘が得意げに話していたことを男は思い出す。

「オリオン座ってさ、真ん中に三つ星が見えるでしょ?」娘がビルの向こうのオリオン座を指差した。都会の灯に照らされて、ほぼ消えかけているような、おぼろな星座だった。

「確かに三つあるな」

「アレの名前知ってる?」

「いやぁ、知らないなぁ」

「アレがね」娘は一番左の星を指す。「ミンタクで、その次がアルニラムで、最後がアルタニクっていうんだよ」

「そうなのか?」男は笑った。「ホントに物知りだな、お前は。」

娘はニコニコと父親に笑みを見せると、星空に視線を移した。彼女は俯くと、顔の前で両手を強く握り合わせ、ギュッと目を瞑った。

「パパがタバコを止めますように!」

男はフフッと笑った。「それ流れ星じゃないと効果ないんじゃないのか?」

「オリオン座でも叶えてくれるよ」

「どうしてそう思うんだ?」

「だって、神様っぽくない? 『オリオン』って」

「そうか?」

「絶対、神様の名前だよ」

「……確かに」

男はオリオン座の三ツ星を見つめていた。その日だけ、ひときわ強く輝いているような気がした。

「そんなに止めてほしいのか?」

「パパが死んじゃうのは嫌だ」

「死んじゃう?」

「タバコ吸ってる人って死にやすいんだって」

「だからパパが死ぬと思ってるのか」

「うん」

「パパはそんくらいで死んだりしない」

「でも、肺がボロボロになっちゃうんだよ」

「大丈夫だよ」

「でも、止めてほしいんだよ……」娘は俯いた。

男は娘の顔を見つめていた。口がもごもごと小刻みに動いていたが、その目が少し煌めくのを見て、意を決したように口を開いた。

「パパは神様じゃないが、お前がそこまで言うなら止めるよ。」

「え?」

「タバコは止める」

「ホントに?」

「あぁ、」夜空を見上げたまま、男は言った。「ホントだ」

その日の夜、彼は二十数年付き添ったライターを都会の川へ手放した。波紋を受けて、水面のオリオン座が揺らめいた。

 甘い回想から戻ってくると、男は車を停めた。前方に黒い巨大な塊が見える。目を凝らすと、それは街だった。夜だというのに街灯はおろか家々の窓にすら灯りはついていない。空を溢れんばかりの星に照らされ、その錆びた街並みをぼんやり浮かび上がらせるだけである。男はギアを一速に入れ、ゆっくりと街の中へと入っていった。

 男は車を徐行させたまま助手席の方へ手を伸ばした。グローブボックスをカチッと開き、中から一枚のメモを取り出す。依頼人の拙く、細長い文字がメモには刻まれていた。メモに書かれた情報を横身に見ながら、外の景色を眺めた。街は完全に朽ち果てていた。放置された自転車に花が絡みつき、建物のコンクリートから短い草が噴き出す様に生い茂っている。アーケードからはツタが垂れさがり、メインストリートのアスファルトに出来た大きな窪みに水が溜まって浅い池が出来ていた。エンジンを止めて車を降り、池を覗き込んだ。揺れることのない水面に中折れ帽を被った男の顔が映り、背景に一面の星空が構えていた。街には人はおろか、動物すら存在しないように思われた。通りは完全な静寂に包まれていた。時が止まったような完全なる沈黙がそこにはあった。ふうーっと、息を吐き出して、白い霞を空気中に投げ出しても、それはすぐ星空に吸い込まれ、再び完全な沈黙が始まるのだった。男は車に戻り、エンジンが沈黙を引き裂いてパラパラと音を立て始めた。通りをもう一度進んだ。

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