第5話 大団円


 ナイフがなぜ、そのベッドの上にあったのか? それは、後で聞いた話だが、ここに入院していた高持という男が、

「かつて、人を殺したことがある」

 といっていたのを、思い出したのだった。

 どういう内容だったのか分からないが、ナイフを突き立てるような真似をして脅かしたという、たちの悪い冷やかしをする患者で、看護婦からも嫌われていたのだという。

 ただ、高持を見ていると、兄を思い出すようなところがあった。どこかが似ていたということであろうか、そんな高持が自殺をしたという話が伝わってきたのは、それから、数日が経ってのことだった。

「あの人、私にだけは、何でも話してくれたのよ」

 と話す看護婦がいたが、その話をよく聞くと、どうやら、今までにも何度も自殺を試みたことがあったというのだ。

「どうして、そんなに自殺を繰り返すのか聞いたことがあったんだけど、自分でも、分からないというの、気付けば自殺をしようとしていて、いつも寸でのところで我に返って、自分でも、怖くなると言っていたわ。でも、この話を誰にもしたことがなかったんだけど、君だけにするんだよ」

 と彼女に言ったようだ。

 警察の調べでも、彼が自殺の常習犯だったことは間違いないようで、何度か救急搬送されたことがあったという。今回の入院は別の事情だったのだが、今までの救急搬送された病院と違い、看護婦も優しかったので、ついつい看護婦に甘えたのだろうということだった。

 実際に彼女がいうには、

「彼は今まで彼女がいたこともなくて、自分が、初めての女だった」

 ということであった。

「彼にとって、私は、今まで見えなかったものが見えたというの、今まで見ていたものが別のものだったような気がする、だけど、そんな中でいつも私は見えないけどそばにいて、ただ光を発していないだけだったんじゃないかって思うと言っていたわ。私が、光を発しない星のようねというと、そうだって言っていたわ」

 という彼女の話を聴いて、さらに、昔聞いた、

「光を発しない星」

 の概念を思い出した。

 しかし、昔聞いた話とは若干違っていたが、理屈は似ている。この微妙な感覚の違いというものが、

「この人を、自殺に追い込むのかも知れない」

 と思うのだったが、彼女はもう一つ、言ったのだ。

「これは、彼と私の共通の気持ちなんだけど、自殺するのに、理由なんて関係ないと思うの、あくまでもm何かの細菌に犯されてしまって、その菌が悪戯することで、自殺を試みてしまう、だから、自殺を繰り返す人は繰り返すんだっていう思いね、私は半信半疑だったけど、彼が本当に自殺したと聞いて、その瞬間に確信したわ。やっぱり、あの話は本当のことなんだってね」

 と、彼女はいう。

 そう、まさしく

「自殺菌」

 という考えではないか。

 みゆきも、その思いを実は密かに持っていた。この話をしていたのは、実は兄だったのだ。

「兄のいうことだから」

 ということで、無視はできなかったが、俄かに信じられる話でもないので、何とか信じようとしたけどできなかった。でも、結局死んだことで、

「あれは自殺だったんだ?」

 と思った。

 そう思うと、行方不明になった理屈も分からなくなく、兄の話を確信したという意味では彼女の話も理解できる気がした。

 みゆきは、最近、気分的に鬱の状態に陥りかけていた。今までにこんなことはなかったのだが、幼馴染の新開のことをよく思い出すようになっていた。

「逢いたいんだけど、会っちゃいけないんだろうな」

 と感じたのは、

「何かの覚悟が弱まるせい」

 なのではないかと思うのだった。

 みゆきは、今、新開が何を感じているのか分かっている気がした。

「そう、私のことを心配してくれているんだわ、あの人昔からそうだった」

 と思うと、彼の考え方も大いに分かる。

 しかし、お互いに気の遣い合いをしていることで、疲れるという反面があった。特に今のような鬱状態では、

「誰にも会いたくない」

 と感じることが、一番きついのだが、自分の本当の性格に近づいている気がしてきた。

 最近では、

「親ガチャ」

 などと言われることがある。

「生まれてくる親を選べない」

 ということであるが、

「死ぬことも選んではいけない」

 ということになると、自由というのは、本当にどこにあるというのだろうか?

 そのことを、気付いた人間が、自殺菌に狙われるのかも知れない。それが高持だったとすれば、何度も自殺を繰り返したのも分からなくもない。今までは未練ではないただの恐怖があったことで、死にきれなかったのだろうが、今回は、

「天使のような看護婦」

 に出会ったことで、思い切ることができたのだろう。

 彼が今度生まれ変わることができるとすれば、

「親ガチャ」

 のない世界であればいいと思ってのことだろう。

 今の宗教などでは、

「自殺は自分を殺す殺人と同じことだ」

 ということで、罪悪の一種と言われているが、それはあくまでも宗教的な発想、ひょっとすると、自殺することで、今の、

「負のスパイラル」

 とでもいうような、

「親ガチャ」

 に代表される悪夢のような今の世界での転生から、別のパラレルワールドのような世界に転生し、そこでは、不公平のない、決して、

「親ガチャなどではない」

 という世界に生まれ変わるのではないだろうか?

 その世界では、

「耽美主義」

 のようなものが広がっていて、美を最優先にすることで、それ以外が、あくまでも自由、そして平等なパラダイスが育まれる世界。

 そこが、この世界でいうところの極楽浄土なのだろう。

 その世界は、転生を行っている今の循環世界ではない別の世界。

「パラレルワールド」

 なのか、それとも、

「マルチバース」

 と呼ばれるものになるのか。

 それを考えると、

「ひょっとすると、あのベッドの上にあった、ナイフのように見えるあの物体は、兄が私をいざなおうとしているのかも知れない」

 と思った。

「自殺というものが、悪だと言われるようなこの世の中、どこまでが、現世界であり、どこからが死後の世界ということになるのか、実際に誰も見たものはいない」

 というのか、

「生まれ変わって、前世の意識はすべて消えているのだから、当たり前だ。でも、どうして覚えていてはいけないのだろうか?」

 とも考える。

 本当に生まれ変わるというのであれば、記憶は消えていたとしても、人間に生まれ変わりという意識がないのは、何かがおかしい気がしていた。

「きっと、人間は生まれた時が、一番であり、どんどんと減点されていって、死を迎えるその時というのは、赤点に達した時ではないか?」

 と考えるのは、無理なことなのだろうか?

「いやいや、このような発想自体が、現代の世界を肯定しようとしているものであり、それが、見えない力によっていざなわれているのではないか?」

 と思うことで、自殺をいうものを、徹底的に否定して、

「何者からか与えられた自分の意識だと思っているこの世界」

 において、果たして何をさせようというのか。

 今すぐに自分が死ぬということはないと思うのだが、

「ナイフを見た」

 ということが、将来の自分を決定づけることになるのではないだろうか?

 みゆきは、

「明日から夢を見ても、その内容を忘れないのではないだろうか?」

 ということを、感じたような気がした。

 そして、いずれ、

「私は自分が死ぬ夢を見て、気付いたら、そのまま死んでいたということになるのだろうな」

 と感じ、開けてくるパラレルワールドに思いを馳せるのであった。


                 (  完  )

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自殺後の世界 森本 晃次 @kakku

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