第19話 神話や伝説に隠された真実
世界中に存在する神話や伝説が実は作り話ではなく真実にもとづいて語られてきたものなのだ。登場人物や地名を特定出来ないよう、創作した話のように言い換えたりはぐらかすことが後世まで伝え残していくための得策といえたのだ。人間の歴史は一部を除いて、ほとんどが「勝者の歴史」であり、いつの世も戦争で負ければ敗者の物は没収され抹消され続けてきた。そこには綺麗に塗りかえられた勝者の歴史しか残らなかったのが現実である。
だが、神話や伝説の形を取っていた話は「想像の産物」、いわゆるおとぎ話とみなされ、ただの作り話としてさほど問題視されずに残ってきた。
例えば、インド神話の大叙事詩“マハーバーラタ”や“ラーマーヤナ”には古代に起きた核戦争のようすが描かれている。モヘンジョダロ遺跡から少し離れた所には「ガラスになった町」と呼ばれ地元住民が近づかない場所がある。瞬間的な超高温で地面が溶けて出来るテクタイトと呼ばれる黒っぽいガラス状のものが一帯に散乱している場所である。
また、シュメール文明のものとして発見された粘土板にはアヌンナキ(と呼ばれる者)が投下した(すでに空からの攻撃である)7つの恐怖の武器による“災いの雲”(核爆弾の爆発により発生した死の灰)という表現で文明が滅亡したことが描かれている。
また、古代核戦争で滅びた前文明の遺物(証拠)はオーパーツとしても発見されている…コロンビア北部で発見されたインカ時代と思われる“黄金ジェット機”やパナマの墳墓で発見されたマヤ文明のものと思われる“黄金ブルドーザー”などは前文明の遺物である。
日本では、核戦争ではないのだが、事実をオブラートに包んだ話がある。昔から子供に聞かせてきた誰もが知るおとぎ話…桃太郎の鬼退治の話は、日本が「倭(ヤマトゥ)」と呼ばれた時代、倭を統一して支配下に置こうと大陸から渡来した部族と、もともと暮らしていた倭民族との間に実際起きた対立を比喩表現した話である。
T県のN市には「Sヶ原伝説」なるものがあり、N山に住む“大蛇”とおとなりの国のA山に住む“大百足”がC湖を奪い合い、あたり一面が血の海と化す戦いを繰り広げる中で、大蛇に参戦した者により大百足が左目を矢で貫かれ敗走したという話が伝えられている。(大抵の場合、頭に“大”がつくものは“大きな勢力”を意味している)
これはその昔、京よりその地にたどり着いた有宇中将とその孫で弓の名手、小野猿麻呂のことだとする説が有力視されているが今ひとつしっくりこない…
これまで学んできた歴史からのあくまで“個人的考察”なのだが、これは弓の名手である藤原秀郷がS野国に拠点を置いていたことも手伝い、有名な近江国“三上山の百足退治”の話(これも比喩の話だが、秀郷は蛇たちの王である龍に頼まれ、巨大な百足相手に矢を射って倒す話)を真似て作った話と考えたほうが妥当である。当時、おとなりのK野国で託宣を受けて“新皇”を名乗った平将門に対し、上洛するよう知らせを受けた秀郷は上洛し、勅命を受けて軍勢を従い、S野国で交戦し将門を敗走させたという事実が元になりそのような伝説と化したのだろう。藤原秀郷なる人物はふたつも伝説を生み出すほど有名な豪傑武将であったのだろう。
ほかに、日本の子供たちによって“意味もわからずに”先祖代々唄い継がれてきた“暗号の唄”がある…「カゴメ」である。真ん中にしゃがんで手で目を隠した子供のまわりを、手をつないだ数人の子供たちがカゴメを唄いながらぐるぐる回る。唄い終わると回るのをやめて、真ん中でしゃがんでいた子供が自分のうしろに立っている子供の名前を言ってから目をあけ立ち上がり振り向く…当てられてしまった子供が真ん中に入れ替わるという単純な遊びだが、その子供が大きくなり親になってまた我が子に伝える。2000年以上続いている遊びと唄であることを誰が知り得ようか。
最近は子供たちがカゴメを唄って遊ぶ姿を見ることは無くなってしまったが、昭和の時代まで一字一句間違いなく、子供たちに唄い続けさせてきたのは事実なのだから最初に教えた神様は凄いとしか言いようがない。それも素晴らしいまでの比喩法を用いており、傑作といって過言ではないだろう。歴史上で、この唄をよく理解し謎を解き、活用して成功した実在の人物を一人知っているが、彼は見事に長きに渡る乱世を鎮め平和な時代を築き上げる立役者となった。
唄に出てくる単語や内容を置き換えたり、物事の変化や事象に合わせ解釈することで、ひとつずつ謎が解けて答えに導かれるという、臨機応変ともいえる天才的暗号の唄である。ひとつに限られた答えではないので、ひとつの意味に納めようとするのが所詮無理なのだ。“夜明けの晩”や“鶴と亀がすべった”、“うしろの正面”など意味不明に感じるが、短いその唄にはとても重要なヒントが隠されている。ひとつひとつの言葉が何を意味し何を指しているのか…
このように神話や伝説は消し去られることのないように巧みな比喩法を用いて事実を暗号化してきたのである。
※ 神様に出会う前の話であるが、一時古代ユダヤと日本の関係を調べていた時期があり、“古代ユダヤと全く同じ祭り”を行うK府S区にあるK寺の存在に気づき足を伸ばした時がある。本堂の前で五芒星のついた提灯と、大きく五芒星の彫られた敷石を見た時は確信と感動をおぼえた。お寺のあるK山の“木の根道”の先にはさらに興味をそそる奥の院“魔王殿”なるものがある。そこには「魔王尊サナート=クマラ」が祀られている。ヒンドゥー教の最高神ブラフマーの息子である。60年に一度の丙寅の年のみ御開帳されるようだが、“看板に書かれたまじめな説明”は非常に興味をひかれることだろう。K山の名前の由来は「クマラ」が訛ったものだという。とにかく謎の多いお寺であった。
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