第14話 「邪」の存在、避けて通れない世界

 ふたりが初めて悪い“物の怪”いわゆる“妖怪”の類に出くわした時、例えようのない、しいて言うなら腐敗した獣と腐敗した魚を足して2で割ったような“悪臭”を感覚として感じ取った。その類は放っておけば人間に悪さをする輩であることは聞いていた。防御のため、瞬間の判断で急いで“九字(くじ)”を切り、間髪入れずに“火界呪(かかいじゅ)”を使って焼き払った。ただしここで注意しなければならないのは、修行をしていない者が知識だけで真似をしても効果は皆無どころか逆に相手からの反感を生み危険である。もしそのような輩に出会った時、とっさに霊感で感じ取ることが出来る人間であるならその場からすぐ離れる(逃げる)ことが一番の策である。

 必要な対処法は神様から大体聞いているのだが、状況に応じては特殊な“呪文”が必要になる場合があり、その際はその道専門の神が存在するので必要に応じてご教授を賜っていた。人間は神に対して“全知全能”という表現を使っているが、その中でもさらに“分野ごとにスペシャリスト”が存在しているのだ。

 人間は知らないだけ…宇宙の管理局が監視しているお陰で大切な実験地である地球には凶悪な輩が進入してこないのだ。もし一体でも進入すれば、小さなこの星は現在の世界中の兵器で対抗したところでひとたまりもないであろう。神々と呼ばれる超高度な存在の努力で大宇宙の平和が管理・維持されているのだ。地球人に「国際連合」があるように、計り知れない大昔から神々と高度な文明を持つ惑星人による「宇宙連合」が存在している。だが、地球に加盟しない国があるように、協力的ではない惑星人やクトゥルフ神話に登場する“ヨグソトース”のような輩がいることはいなめない。それらは宇宙の果てや、次元のはざまに存在していて、おおよそ決められたテリトリーには居るのだが、それぞれの種族の下層階級にある者がたまに違反行為を行うことがあるのだ。

 地球上に居る「邪」なる存在は、人類進化にとっての“必要悪”として「地球外」から協力者として来たもの(例えば悪魔と呼んでいるもの)と、地球上で発生したもの(妖怪や幽霊の類)に大別出来る。

 ここで避けて通るべきことをひとつ例にとるとしよう。「悪魔との契約」という言葉を聞いたことがあるだろうか…悪魔は神との約束の元にきちんとテリトリーを遵守している。人間が悪魔と契約するのは人間の“自己責任“であり悪魔側に落ち度は無いので彼らにとって「違反行為」には当たらない。

人間がなんらかの文献や資料で契約の仕方を知り「魂を売る」。それが何を意味するのかも分からず安易に契約してしまう。「死んだら終わりさ、後のことなんか気にしない」と気楽に考えてのことなのか…。

誰も使ったことがない魔術(マジック)が使えるようになったり、大金持ちになったり、自分の欲望を満たすために誰にも成し得ない何かをひとつ望んで契約する愚かな人間。「人間の魂」を誰からもとがめられずに正当に手に入れられる悪魔にとってこれ以上の喜びはない。

 さんざん好きなことをして人生を謳歌して死を迎えた瞬間、満足は手遅れの後悔に変わる…底知れぬ地獄の始まりである。意識のしっかりあるその人間の“魂”は悪魔の“おもちゃ”にされるのだ。永遠にもてあそばれ痛めつけられる…踏まれ蹴られ殴られぶつけられ傷つけられ、いっさい逆らうことも出来ずに暇つぶしの道具のような扱いを受けながら苦しみ続けていく。何をされようと「魂を買った」者の自由なのだ。

 次に、“幽霊を見るより恐い話”をするが、地球上で発生したものの中の“幽霊”を例にとるとしよう。人間や動物は“死ぬとそこで終わりではない”のだ。神は人間や動物のように意識や感情を持つ者が生まれる際、その肉体に“魂”を与えた。そのため、死後肉体から離れた魂は永遠の“精神体”として残るのだ。理性を持たない動物においては動物だけの世界で永遠に平穏に暮らすことになるのだが、人間はそうではない…

よく言われる“天国や極楽”などは微塵も存在しない。人間の全てが生前の行いで“審判”を受け、その内容(罪)により裁きを受けなければならない。ある意味、行いの悪い人間も「邪」の類なのだ。貧富の差には関係無く、生前、私欲にとらわれることなく、自分以外の人間や動物に対して迷惑をかけることなく、見せかけではない真心の慈愛の精神で生きてきた人間は生まれ変わるチャンスや穏やかな次元に行かせてもらえるが、それは本当に希少であり、ほとんどの者が“生前犯した罪や行い”で振り分けられ、それぞれの“永遠の償いの世界”へといざなわれるのだ。宗教によってそれぞれ解釈の仕方に差異はあるものの、俗にいう“地獄”成りし世界は確かに存在しているのだ。

 ただし、死んだ人間が皆必ずしもそこに行くわけではなく、以前にも少し触れたが、現世に異常なまでの執着を持ちながら死んだ者(誰かを深く恨んでいたり、深い悔いを残したりなど)は“審判”を受けられず、あの世に行けずに永遠にこの世をさまよう浮遊霊になる。だが、百年以上経過していくと、その魂はだんだんと“妖怪や化け物”と化していくのだ。そうなるともはや人間としての記憶など微塵も残っていない。

 生きているうちに何かに対して“執着心”を抱いてしまっても、その感情をコントロールして克服出来るのは自分しかいない。普段から何かに溺れることなくおおらかな気持ちでいられるよう気をつけたいものだ。



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