神の終焉

風白狼

神の終焉

 レンガ造りの街並みは、人々の往来で賑わう。人々は平穏を疑わず、いつも通りの日常を過ごしている。そこへ、バサリと大きな羽音が飛来した。真っ赤な翼を生やしたヒトが、天空から舞い降りる。

「天使様だ! 天使様がいらっしゃったぞ!」

 を見た人々が歓声を上げ、赤い翼の天使に駆け寄った。天使は消えぬ炎を生み出し、人々に暖をもたらした。人々はそれに感謝し、天使を遣わした神に祈る。――それがここでの日常。反吐が出るほどありふれた光景だった。


 この世界に神はいる。神々は特に信仰に厚い者を天使として召し上げ、神の力の一端を授ける。例えば赤い翼の天使は炎の神・ロカメアから。例えば緑の翼の天使は森の神・ファレストから。そうして授かった力で天使は人々に恵みをもたらす。人々はそのことに感謝し、神々を称える。信仰が強まり、神の力も増していく。それこそがこの世界の真理であり、神と人が共存する理由でもある。だからこそ、天使の来訪は歓迎されるのだ。――ただ一つの例外を除いて。


 飛来した天使の元へ、別の羽音が向かってくる。何事かと見上げた人々の顔が強張った。

「そ、そんな……白い翼の天使が!!」

 白い翼を誇示して、天使は降臨する。人々は逃げ惑い、赤の天使の表情も険しくなる。それを嘲笑いながら、白の天使が腕を振り下ろした。見えざる力が地面を割る。人も、建物も、大地の亀裂になすすべなく呑まれた。辺りは一瞬で地獄の様相を呈し、悲鳴が響く。

「邪神の使いよ、神罰に屈しろ!!」

 赤の天使は上空に飛び上がり、白の天使に炎を放つ。全てを灰燼かいじんに帰すほどの炎は、しかし掠りもしない。炎を躱し、白の天使は悠々と低空飛行する。すかさず放たれた追撃は、やはり白き翼には当たらない。流れ弾が大地を焼き、建物に燃え移り、やがて命を奪う。激昂した彼はそのことに気づいているのだろうか。白の天使はただ口の端を吊り上げ、飛ぶ速度を上げた。素早く方向転換し、相手の懐に飛び込む。飛行の勢いで拳をめりこませる。

「かはっ……」

 赤の天使の喉から息が漏れた。よろめくその翼を掴み、人ならざる力で引きちぎる。飛沫が上がり、絶叫が空に響いた。白の天使は象徴的な真っ赤な翼を地に打ち捨てた。とどめとばかりに相手の頭を掴み、無理な方向へと捻じ曲げる。鈍く嫌な音がして、赤の天使は動かなくなった。手を離せば、片翼になったそれが地に落ちる。地上でさらに悲鳴が上がった。人々がパニックになって逃げ惑っている。けれど逃げ場などない。白の天使が腕を振れば、たちまち建物が崩れ瓦礫が人々を襲う。その圧倒的な力に、邪神の神威に、畏怖し絶望することしかできないのだ。それでも人は神に祈るのだろう。どうか我々をお救い下さいと。その救いの手が斬り落とされた現実から目を背けて。


 白の天使、それは神を憎み世界の崩壊を望む邪神の使い。それが現れるということは、すなわち世界の崩壊の始まりだ。だからこそ、人も神も事態を重く受け止めたらしい。神は天使を募り、力を与えた。国は軍を編成し、武器を集めた。邪神の下僕を打ち倒さんと、続々とつわものが集った。誰もが万全の体制だと疑いもしなかった。

 だが、相手は破壊の化身だった。人ならざる存在に人間の軍も武器も通用せず、神を天使を殺すことに特化したそれに敵う天使さえいなかった。白き翼が羽ばたくたび、集落が焼け、都市が崩壊した。天使も翼をもがれ、首を落とされ動かなくなっていく。焼け野原に赤の、青の、緑の翼が捨てられていく。たった一人の天使の襲来で、世界の人口はあっという間に減ってしまった。

 人類はこんなに脆かっただろうか、とおれは独りごちる。こんなにあっさりと終末へ向かっていいのだろうか。変わらない、変えられないと思っていた日常が、いとも簡単に蹂躙される。今まで存在できていたことが不思議に思えるほど、世界は存外儚いらしい。絶望が、否、失望が胸の内を占める。それに付け入るように、闇がおれに語りかけてくる。こんな世界、無くなっても変わらないだろう、と。


 人々は神に祈った。ただただ、この先の平穏を望んだ。神はせめてもの救いにと、人を天使に召し上げた。儚くか弱い存在から、神の側で生きられる存在になれるようにと。焼き尽くされた地上から、飛び立つことができるようにと。

 それは圧巻の光景だった。天使で空が覆われている。後世に語り継ぐ人がいれば、それはそれは神秘的に脚色するだろう。様々な色の天使が、虹色の雲を作るその様を。

 これには流石に白の天使といえど多勢に無勢だった。四方八方から攻撃され、逃げる場所さえ与えられず、休みなく追撃される。最後の抵抗にと相手を狩るも数が減った気がしない。そのうち胸を穿たれ、四肢を折られ、翼をもがれ、地上に叩き落された。白の天使討伐に上空で歓声が上がる。ある者はおれの白い翼を掲げ、ある者は喜びで宙返りをしてみせる。ただの人と変わらない姿に成り果てたおれは、動くこともできずにそれを見上げることしかできなかった。戦いで荒れ果てた大地には人影がない。静かな地上とは裏腹に、天空は煩わしいほど溢れかえった天使で埋め尽くされている。終わったのか、と薄れる意識で理解した。

 白の天使は討伐された。だが、とうに終焉は迎えている。だからおれは役目を終え、使い捨てられて息絶える。なんて愚かで滑稽なのだろうか。ずっと感じていた違和感が肯定されて、嗤うことしかできない。この手で滅亡させてやれたのがせめてもの救いか。この世界なんて大嫌いだ――その感情に付け入って、闇がおれをいざなおうとする。邪神の声が嘲笑っているのが聞こえる。よくぞ我が宿願を果たしてくれたと、そう言いたいのだろう。


――くそったれ。


 最期の悪態は、けれど声にならずに意識が途絶えた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

神の終焉 風白狼 @soshuan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ