第4話 「いい夜を。(Good Night.) 」「君もね。(You Too.)」.」

 僕はパーティーに出席していた。ドナルド・トランプの大統領補佐官として。カナダ大使館は他国の大使館と比べてかなり敷地が大きく、さらに一等地に位置していることから、アメリカとの友好関係が伺える。大きなパーティールームには数々の名産のシャンパンやワインが置かれ、そのつまみも多く置かれた。室内は黒のスーツを着た要人たちに埋め尽くされ、蟻の集団のようだった。僕のように濃いダークブラウンのスーツ、しかもMade in Japanの物を着ているのは僕くらいだった。ワインよりシャンパンの方が圧倒的に多く置かれていたのを見て、カナダ人はアメリカ人をシャンパンしか飲まない人種だと思い込んでいるのではないのかと考えたりもした。アメリカ人にだってワインを好む人は一定数いる。(僕のように。でもその数は非常に少なく、天然記念物に指定され、国立公園として保護されるほどだとは思う。)僕は政府の人間や大使館の人間といった政治家とつるむのが好きではない。どちらかと言えば、芸術家やコメディアンといった文化人(この使い方が適切かは分からないが。)と話す方が好きだ。そんな僕が訳も分からずに、天井に設置されたシーリングファンを集中して見つめていたら、大統領が僕に話しかけてきた。

「つまらなさそうな顔をしているじゃないか。」

「いえ、自分ではとても楽しい顔をしていたつもりだったのですが。」

そう言うと大統領は笑った。いかにもアメリカ人らしく。

「そんな顔をしていたらFired(クビ)してやるぞ。」と明るく投げかけてきたので、

「私が顔を変えたら”You are Hired!(君を採用する!)ですか?」とジョークじみた感じで返した。

「まぁ、私も分かるよ。君の気持ち。私もビル・クリントンとパーティーで酒を飲んだ時も君と同じ気持ちを感じてた。」

「あれ、つまんなかったんですね。2000年のテレビのアーカイブを見た時はそんな感じしませんでしたが。」

「ここだけの秘密だ。誰にも言わないでくれよ?彼はまだ生きてる。」

そういって大統領は手に持った赤のプラスチック製のコップの中身を飲んだ。中身は紫っぽくも見えるし、黒にも見えた。ワインなのか、シャンパンなのか、コカコーラなのかは、分からない。

「表に黒色のSUVが置いてある。シークレットサービスのね。それで帰りな。」

「いいんですか?」

「ああ、もちろん。それかビーストで帰りたかったか?」

そう言うと再び大統領は笑った。

「ありがとうございます。失礼します。」

そういって僕は少し早足で出口のあるロビーへと向かった。黒服のシークレットサービスの男に話をつけて、黒のSUVに乗った。車内には運転席に1人、助手席にもう1人のシークレットサービスの男がいた。車が発進し、ホワイトハウスとは逆の方向へと走り出した。おそらく僕の家に向かっているのだろう。初対面の男に自分の住所が知られてるというのには少し気が引ける。こういう場合、ジミーはよくシークレットサービスの人間と雑談をするらしいのだが、彼らの雰囲気が苦手な僕はどうもそういう気にはなれなかった。結局、車内は家に着くまでにずっと無言で、3分の周期で助手席の男が無線機で通信をするという状態が続いた。世間一般的にこれを気まずい雰囲気と呼ぶのだろうけど、この生活を続けてるうちに慣れてしまった。20分ほどのドライヴで僕の家に着いた。コンクリートが剥き出しのアパートで、政府の高官にしては狭く、豪華ではない家かもしれないが、僕が大学生の頃に住んでた中野の学生寮と比べたらゴージャスでビックな家だろう。僕はシークレットサービスの男たちに「Have a good night」と一言言って車外へ出て、鞄から鍵を出し、玄関の鍵を開けて家の中へと入った。スーツを脱いで、牛革でできたブラウンのソファーに横になる。リビングとダイニングの間にある柱に掛けた時計を見ると、もうすでに7時だった。僕はソファーから立ち上がり、ジーンズとTシャツに着替え、キッチンの調理台に置いた新聞の番組表を見た。いつものスポーツ番組は珍しくアメフトの試合の中継をしていて、音楽番組も「Billie Eilish」の特集番組を放送していた。それらには対して興味が持てず、珍しくPanasonic製のテレビの電源をつけなかった。代わりに、レコードプレイヤーにビーチボーイズの「California Girls」の入ったレコードを置き、針を優しく置いて、再生ボタンを押した。そのまま手を隣の本棚に伸ばし、村上春樹の「風の歌を聴け」を手に取った。僕はソファーに腰をかけ、それを読んだ。僕が村上春樹を初めて手に取ったのは、大学生の頃の同級生に勧められてのことだった。(それは村上春樹が早稲田の文学部卒業という事実からかもしれない。)それから9年が経ったが、僕は何回もこの本を手に取っている。今日もなぜか無意識にこの本を手にしてしまった。僕が「California Girls」を流した事と関係をしているのかは分からないが。ページが71ページに入り、主人公が女と電話をしているシーンで僕は思い出した。昨晩、レコード屋で彼女の電話番号をもらったことに。彼女がただの女性で、出会った場所がスターバックスなら僕は電話を掛けないだろう。それにただのカフェで初対面の男に電話番号を渡す女はあまり好みではない。異性としても。人間としても。だけど、僕は彼女がそういった女性じゃないと思った。現代の、2019年のアメリカで、ジャズを聴く女性に悪い人はいないと思った。それに話しやすく、趣味が合いそうだったのも理由だろう。そういう女性だったからなのかは分からないが、とにかく僕は彼女と仲を深めてみたいと思った。異性としてかは自分でも分からないが、1人の人間としては確実だろう。SONY製の固定電話の受話器とスタンドの間には、昨晩僕が挟んだ紙があった。僕は受話器を取り、首を右に曲げて受話器を右肩に固定した状態で、左手でその紙を持って、右手で番号を入力した。入力を完了したら、自動的に電話がかかった。ベルの音が5往復して、その音が止んだ。

「Hello?」

女性の声が聞こえた。

「もしもし?レコード屋で紙をもらったから掛けてみたよ。」

「あなたね。待ってたのよ。もしかして一生電話を掛けてきてくれないかもって。」

「そうかい。」

「”Moshi Moshi”なんて言うアメリカ人初めてみたわ。何かのおまじない?」

「日本だと電話をする時に言うんだ。僕にだって意味は分からない。おそらく日本人もね。」

「あなたって面白いのね。日本語を喋るの?」

「ああ。かなりね。流暢に。」

「へえ。昔住んでいたの?」

「大学生の時に4年住んで、仕事でも数年。」

「グローバルなのね。」

「昨日から思っていた事を話していいかい?」

「もちろん。」

「君は僕に質問しかしない。この構図は会話と呼べるものかい?」

「あら。そうかしら。」

「そう。」

僕がそう言うと彼女は少し考えているようだった。

「だってあなたの口調、何か質問したくなる感じなの。」

「そうかい?初めて言われたよ。そんなこと。」

実際に僕はそう思った。今まで生きてきて自分の口調を意識したことは一切なかったし、それは僕だけじゃないと思う。

「君だって、なんというか。言語化はできないけど、随分と特徴的な口調をしていると思うけど。」

「そう?初めてそんな事を言われたわ。私たちって似たもの同士かもね。」

「そもそもこんな時代に、互いにチェットベイカーを聴く人も似たもの同士だと思うけどね。」

そう言うと彼女は軽く笑った。確認はできないが、受話器越しにそんな音がしている気がした。

「後ろで流れてるの、ビーチボーイズ?」

そう彼女がまた質問をする。

「聞こえていたかい?」

「かなり聞こえるわよ。」

「それは申し訳ないな。君は聴くかい?ビーチボーイズ。」

「父さんが聞いてたわ。サーファーだったの。だから私も聴く。ロックは好きよ。」

「どんな?」

「そうね。ビートルズとか、オアシスとか。ハードで音がガンガンに割れたロックは好きじゃないわ。」

「僕もそう思うよ。僕たち、気が合いそうだ。」

「そうね。私も同感。」

僕の電話が古いせいなのか、彼女の声にかすかにノイズが走る。

「今週末、会わない?」

彼女が聞いてくる。

「もちろん。どっちの日?」

「日曜日はどう?」

「分かった。また明日話して、その時に細かく決めよう。」

「オーケー。それじゃあ、いい夜を(Good Night.)。」

「君もね。(You too.)」

そう言うと僕は受話器をスタンドに戻した。いつものこの時間なら腹が減っているが、先程のパーティーでたらふくたいして旨くもないイギリス風カナダ料理を食べてきたので、食欲が湧かなかった。僕はレコードの音楽を止めて、シャワーを浴び、歯を磨いて、寝た。寝たのは11時くらいだろうか。僕の木曜日が終わった。寝る前、彼女の顔を思い出した。そのどこかでみたことのあるような顔を。そのことを考えていた。もしかしたら気のせいなのかもしれないし、そうじゃないかもしれない。僕がいくら考えても答えは出ない。そう思い、眠りについた。

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