第3話 Waseda University

 翌日、僕は職場にいた。

 「失礼しました。」

僕はそう言って大統領の居座る執務室の扉を閉じる。この年齢で、こんなにも毎日執務室の扉を開閉する人は歴史上で自分くらいなのではないだろうかと思う。執務室を出ると7分ほど廊下を歩き、自分のデスクのある部屋に入り、デスクに腰をかける。このホワイトハウスは無駄に大きい。公務に使う部屋と、大統領の生活に使う部屋が混じっている建物だからだろうか。時計が正午を指し、僕の周りの部下たちが次々とデスクから離れ、ランチに向かう。僕だけが部屋に取り残された。扉が開き、男の声が聞こえた。

「マクドナルドへ行こう。」

その声は同僚のジミー・マッギルのものだった。職場では僕と一番年齢が近く、(それでも僕の方が4歳若いが。)そのフランクな性格もあり話しやすいやつだ。

「政府の高官がSPも無しにマックなんて行ったら他の客が驚くんじゃないのか?」

「誰も俺らに気づかないだろう。それに最近の若者は政治に興味がないんだ。」

「・・それもそうだな。」

そう言って僕らは大統領公園の敷地を通って、大通りに出た。横断歩道を渡り、道の対岸へ行くとすぐにマックに着いた。秋から冬に完全に移り終わったのか、木々の紅葉は完全に枯れ、見窄らしくなっていた。空には青空が広がり、太陽が揚々と光を放っていて、穏やかな冬日和だった。そのおかげもあってか、後ろを向くと職場のホワイトハウスの白色が輝いている。

「マックなんて数年ぶりだよ。」

「マクドナルドをマックなんて呼ぶやつは初めて見た。」

「日本だとこう呼ぶんだ。」

「日本人はなんでも略そうとするんだな。」

ランチタイムでとても混んでいる店内の列に並びながら、ジミーと僕は無駄な会話をした。観光地だからなのか、家族連れや外国人がとても多かった。

「夜中に無性にマクドナルドのチップスを食いたくなる時がないか?」

「僕にはないね。”フレンチフライ”は苦手なんだ。」

少し皮肉っぽく言ってみた。

「イギリスだとそう言うんだ。アメリカ人ってのは英語を変えようとしたがるんだな。」

「しかし、君だってアメリカ人じゃないか。イギリスにいたのはほんの数年だし。」

僕がそう言うと、僕たちは軽く笑った。列が動き出し、ふとレジの上にあるメニューを見た。普段はジャンクフードをあまり食べないから、こういった場には慣れない。

「僕はMc.Chickenのコンボを頼むよ。」

「もっと肉肉しく行こうぜ。」

「脂っこいのは苦手なんだ。」

「お前はアメリカ人っぽくないな。ほんとに。」

「きっと君も僕もよく言われてる台詞だ。」

列がさらに進み、僕たちのオーダーの番になった。僕はMc.Chickenのコンボ、チキンナゲットとスプライトをオーダーした。ジミーはBigMacのコンボ、コーラと”チップス”をオーダーしていた。彼は黒色のアメックスセンチュリオンのクレジットカードを財布から出し、レジにおいてある黒の決済端末にそれを挿した。

「スプライトなんだな。」と彼が言う。

「ああ、中学生の頃にパンプルアクションを見てからバーガー屋ではずっとスプライトだ。」

彼は決済端末からクレジットカードを抜いて、番号のかかれたレシートを持った。そして、僕たちはレジ横のスペースでランチが完成するのを待った。数分間、雑談をしていたら液晶に僕たちの番号が映し出され、ランチを受け取って2階へと上がった。2階は非常に混んでいて、僕たちの席も空いてなさそうだったが、ちょうどスペイン語で話していた家族の席が空いた。僕は彼らに「Con permiso.(失礼するよ)」と言うと、「Hablas bien español.(スペイン語が上手だね。)」とメキシコ訛りのスペイン語で父親らしき人に言われた。

「スペイン語ができるんだな。」とジミーが僕に言う。

「趣味程度だけどね。それにメキシコ訛りのスパニッシュは苦手だ。」

僕たちは席に着き、紙に包まれたバーガーを開く。

「お前は日本語も話せたよな。」

「ああ、かなりね。」

「じゃあ日本駐在中も困らなかったろ。」

「もちろん。」

僕はそう言ってMc.Chickenバーガーを口に含み、咀嚼する。それを飲み込むと、氷で冷やされたスプライトを喉の奥に流し込む。

「君だって国務長官じゃないか。何か第二言語があってもおかしくない。」

僕がジミーにそう聞く。

「それがおかしいことに、俺は英語しかしゃべれないんだ。強いて言えば、American(アメリカ語)とEnglish(イギリス語)の2カ国語はしゃべれるがね。」

「UCLA(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)の文学部でゲルマン言語専攻だったんじゃないのか?ドイツ語くらい喋れそうな経歴をしているじゃないか。」

「単位ギリギリで卒業したんだ。論文だって全部先輩の丸写しさ。」

「4年間何を?」

「タバコを吸って、本を読んで、女と寝て、気が向いてたらサンタモニカでサーフィンをしてたさ。」

「最高な学歴を持って、最低な生活を送ってたんだな。」

「そういえば、お前の大学を聞いたことがないな。」

「早稲田大学さ。聞いたことがないだろ?」

「日本の大学か。」

「ああ。あっちじゃ名の知れた上位大学なんだ。それもこれもアメリカ政府で働き始めてからは無名の大学になっちまったが。」

「そうだな。”ここ”の連中はコロンビア大学だったりハーバード大学の奴らしかいない。俺らは肩身が狭いもんだ。」

互いに少し落ち込んだのか、話をやめて目の前のハンバーガーを食べるのに専念した。

「来年の今頃は大統領選挙だな。」

ジミーがそう口を開いた。僕はプライベートだったり休憩の時に仕事や政治の話をされるのがあまり好きじゃないが、22歳の時に大学を卒業してから6年という長い年月が経ち、もうこういうのには慣れた。

「ああ、そうだな。」

「政権が変われば俺たちクビだぜ。」

「それは言い過ぎだが、今の仕事はできないな。」

「今の役職、かなり金が稼げるのに。」

「僕にとって金は重要じゃない。ランチとディナーが食べれて、愛車のメンテナンス費用があって、趣味に使う金が多少あれば僕はいいよ。」

「ブレックファーストは食べないんだな。」

「寝起きは食欲がないんだ。代わりにタバコを吸うが。」

「じゃあお前は仕事に何を求めてるんだ?」

「僕は生活が変わるのが好きじゃないんだ。僕の役職が変われば、通勤時間が変わって、通勤場所も変わって、そうなると睡眠時間も変わる。生活の全てが根本的に変わるのが好きじゃないんだ。僕は。政権が変わればまた僕は海外に行かないといけないかもしれない。以前僕が東京でアメリカ大使をしていた時のようにね。君だって同じだろ?ジミー。以前のようにロンドンで大使をしないといけなくなるかもしれない。」

「俺はワシントンよりロンドンの方が好きだ。正直言って前の生活の方が良かった。でもそうなると年収がガクンと落ちる。俺がアメックスセンチュリオンのカードを持つことはなくなるし、君にハンバーガーを奢ることはなくなる。」

「それは僕にとって困るね。僕だって東京での生活は気に入っていたが、変化が好きじゃない。ワシントンの生活を変えるのが好きじゃないんだ。」

「俺はお前が変化を嫌う理由が分からない。面倒臭いという気持ちか?それともただ単にワシントンの生活を気に入っているのか?」

「僕はそんなにめんどくさがりではないし、ここでの生活よりかは東京での生活の方が好きだ。でも、僕の体が脳の奥深くから言ってるんだ。今の生活を変えないでくれってね。それを僕は直感的にしか感じれないし、それを言語化するのは難しい。もしかしたら、僕の体は怖がってるのかもね。変化に。」

「なるほど。ようするに、俺も、お前も、来年の大統領選挙でドナルド・トランプに勝って欲しい。そういうことだな。」

「そうなるかもね。」

「来週の金曜日。午後の予定を空けておいてくれ。共和党の中枢の人間で選挙の対策について話し合うらしい。俺もお前も参加する。細かいことはEmailに送る。それとも電話で伝えた方がいいか?」

僕が残り1ピースのチキンナゲットを口に頬張りながら、ジミーはそう言う。僕は電話が苦手だ。仕事の電話に限るが。Emailは向こうが勝手に送ってきたのを、僕が知らないうちに受信するだけ。そっちの方が僕は好きだ。

「Emailで頼むよ。」

「分かった。」

そう言って僕は残りのスプライトを全て飲み終え、僕のランチが終わった。彼はまだBigMacを頬張っていた。今日、僕は午後に大統領とカナダ大使館のパーティーに参加するという予定が入っていた。午後3時にはホワイトハウスを出て、ペンシルベニア通りに位置するカナダ大使館までビースト(キャデラック・ワン)に揺られながら行く。パーティーは8時までを予定しているらしい。正直言ってただの隣国との親睦会に僕が参加する意義を見いだせない。そんなことを考えていたら、

「お前、今日大統領とカナダ大使館のパーティーに出席するだろ?」とジミーが話してきた。

「うん。3時にはホワイトハウスを出るから、そろそろ準備を始めようかな。」

「そうか。俺はまだランチ食ってるから、行ってこい。」

「ああ、ありがとう。またランチに誘ってくれ。」

そう言って僕はマックを出て、ホワイトハウスに向かって歩き始めた。最後の「ありがとう」はMc.Chickenをご馳走してくれたことに対しての言葉だったのだが、主語がないからジミーがそれに気づくかは分からない。アメリカ人はそんな小さいことを気にしないのかもしれないが、僕が大学に入学して、東京での生活をしていた頃に、すっかり日本人の感性が染み付いてしまった。そんな事を考えながら、木々の葉が薄くなった大統領公園を通って職場に戻る。その道中、ビルエヴァンスの「Blue in Green」が似合いそうな景色だなと思った。

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