第2話 I Fall In Love Too Easily
2019年の11月24日、僕は仕事帰りに愛車の赤色のアルピーヌA110に乗ってレコード屋に寄った。午後7時頃で外は暗かった。レコード屋と言っても、タワーレコードだったりのチェーン店ではなく、(2006年にアメリカのタワーレコードは倒産したが。)老人が趣味程度にやっている中古のレコード屋だが、僕はそっちの方が好きだ。アメリカでは珍しく、ビートルズやクイーンのLP盤があったり、店主の趣味で日本の曲もある。毎朝、山下達郎の「FOR YOU」のカセットテープを車で流しながら通勤するというのが習慣となっていたのだが、「SPARKLE」のメロディーに飽き飽きとしたため、竹内まりやだったり杏里だったり(もしくは細野晴臣などと言ったフォークロック的なものも。)のテープを買いに行った。店に入ると、いつものように店内はガランとしていて店主がレジでポータブルテレビを見ていただけだった。音からしてベースボールの中継だろうか。どうやらヤンキースとタイガースのゲームらしい。
「ゲームの結果はどうだい?」と僕が店主に聞く。
「ああ、ヤンキースが勝ちそうだ。大満足だよ。」
「それはよかった。ところで、JーPOPかJーROCKのカセットテープはあるかい?」
「テープか。君にしては珍しいね。いつもLPなのに。」
「カーラジオで流したいんだ。」
「ちょいと待ってな。」
そういうと店主はレジの奥の部屋へと姿を消していった。レジにはASAHIのビール缶が灰皿代わりに使われ、かなりの量の灰が溜まっていたようだった。しばらく店主が帰ってこなく、退屈になった僕は隣にあった「HARDーROCK CORNER」の文字を見た。中学生の時に一度だけメタリカを聴いたが、夏の生ゴミにむらつくハエの羽音のボリュームを5000倍にしたような音楽だったのを思い出した。今思えばあれは音楽ですらないのかもしれない。僕が理解に苦しむのは、なぜアメリカ人というのはこんなにも無教養的な作品を好むのだろうかということだ。その点、ここの店主と僕は馬が合う。彼は理性や教養を持っており、音楽作品という物を理解している文化人だ。アメリカ人にしては珍しく、僕と同様にJーPOPも愛し、ビートルズを愛す。僕と店主以外の一部のアメリカ人と気が合う点は、互いにビーチボーイズの作品を好む点だ。しかし、これはアメリカ人のサーファーにしか当てはまらない。それほど、アメリカ人の好むものと僕の好むものはことごとく合わない。そんな無駄なことを考えていると、珍しくドアのベルが鳴った。僕以外に客が来たのだ。片手に「Trader Joe’s」の文字が入ったブラウンの紙袋を抱えて、もう片方の手でドアノブを掴んでいるベージュのコートを着た女性だった。20代後半あたりだろうか。僕と年齢が近そうだった。
「いらっしゃい。」
と僕が店員だという風に振る舞う。
「あら、ヤンキースが勝ったのね。」
ポータブルテレビから高い男の声の実況音が聞こえたのだろう。
「悲しいかい?」僕がそう聞いた。
「私は”ヨーク”育ちよ。嬉しくて今にでも飛び出しそう。」
「そうかい。よかった。」
そう僕が話すと彼女はあたりを見回した。汚くはないが、決して綺麗とも言えない店内を。
「何か探し物を?」
「そうね、チェットベイカーのLPってあったりしないかしら。PACIFIC盤の。」
「そこの棚にあるよ。JAZZって書いてある。」
僕は指を指す。なんで僕が店員になりすましているのか自分でも疑問に思ったが、考えないことにした。
「ニューヨーク育ちが西海岸のジャズを聞くなんて明日は雪でも降るのかな。」
「あら、そうかもね。」
そう言って彼女は赤色のネイルを施した細い指で棚から一枚のLPを取り出す。僕は彼女の顔をじっと見た。どこかで見たことのある顔だ。4歳の頃に飼っていた犬に似ている。もう死んだが。
「これ、いくら?買うわ。」
彼女はチェットベイカーのPACIFIC盤を手に持ってそう僕に尋ねる。
「僕は店員じゃない。」
「随分端的に言うのね。あなたがいらっしゃいなんて言うから店員かと思っちゃったじゃない。」
「この店に僕以外の客が来たのが嬉しかっただけさ。」
「あなた、ジャズは聞く?」
彼女に会ってから質問しかされていないと思う。
「ああ、ジャズバンドもやってたよ。テナーをね。」
「チェットベイカーは?」
「僕の16の頃のガールフレンドに勧められて聞いた。青春の歌声が綺麗で僕は好きだよ。当時を思い出させてくれる。」
「かなり聞くのね。」
「僕の人生の3分の1はジャズさ。」
「残りの3分の2は?」
「ロックとJーPOP」
「JーPOPなんて聞くアメリカ人初めて見たわ。」
「よく言われるよ。」
そんな感じで2人で雑談をしていたら(ほとんどが彼女が質問して、僕が答える、という構図を雑談と呼べるかは僕には分からない。)、店主がJーPOP、JーROCKと書かれた青のプラスチックの箱を2つレジ後ろの部屋から持ってきた。プラスチックの箱には、「江田商店」と漢字で書かれていた。日本の酒屋かどこかで使われていたのだろう。
「この箱にあるのか全ての在庫だ。お客さん以外買わないし、安くまけるよ。」
「ありがとう。細田晴臣ってあったりするかな?」
そう僕は店主に尋ねる。探しても無かった場合、骨折り損だ。
「さあね、探したら答えが出るんじゃないか?」
そう店主が言うと、僕の隣に立った女性を見つめた。
「これ、買います。いくらですか?」
そう彼女が店主に言う。今度は店員だと信じたんだろう。
「姉ちゃん綺麗な美人さんだし、5ドルにまけるよ。」
「だいぶ安いのね。」
「老人の道楽でやってる店だ。いつ潰れても構わないんだ。」
僕はこんなに大振りのユダヤ人を見たことがない。もちろん差別的な意味はないが。彼女がレジに1ドル札を5枚出し、レシートを受け取る。コートの内ポケットから安そうなプラスチックのボールペンを出し、レシートの裏に何かを書き始めた。
「駐車場のアルピーヌはあなたの?」
ボールペンの先を走らせながらそう言う。
「ああ、気に入ったかい?」
「すごくね。これ、平日の午後6時までは出られないけど。」
そう言って僕に一枚の紙切れを渡してきた。彼女の電話番号らしい。
「奇遇だね。僕の職場も6時に終わるんだ。毎日残業があるけどね。朝に電話をしてもいいかい?」
「朝だけはやめて。私、寝起きは機嫌がすごく悪いの。毎日二日酔いみたいな気分だし。ほんとに、あなたのお母さんよりも機嫌が悪いわよ?」
そう彼女は微笑みながら話す。
「それは怖いね。オーケー。夜に電話をかけるよ。」
そう僕が返すと、彼女は右手にLPを、左手に紙袋を持って出口まで歩いて行って背中でドアを開けた。最後に、「今日は久々に楽しかったわ」と言ってドアを締めた。
その後、僕はプラスチックの箱から細野晴臣のカセットテープは見つけれなく、代わりに杏里の「Timely」のアルバムのテープを買った。アルピーヌA110の窓を開け、夜風に吹かれながら家までドライヴをし、家でCOSTCOで買った冷凍ピザを食べ、シャワーを浴び、ターンテーブルを回してビルエヴァンスの「Waltz For Debby」を聴きながら村上春樹の「ノルウェイの森」を読み、学生時代を懐かしみながらベッドに入った。もちろん彼女からもらった紙は無くさないようにSONYの固定電話の受話器とスタンドに挟んでおいた。この日は、何も変哲のない数ある日常生活の中では楽しかった日で、「楽しい日常ランキング」があればかなり上位にランクインするだろう。ビーチボーイズの曲が全米シングルチャートにランクインしたみたいに。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます