第四話 聖女は覚悟を決めて命を奪う

 コローテとフローテの所に戻る前に、胸に手を当てて深呼吸をした。


 ここから先は何かあった時、確実に生死を分ける場面になる。

 その判断をためらわず行う覚悟は固めておかなくてはいけない。


 「おい、聖女、本隊はどうなっておる?」


 そうしていると、丘の上からコローテとフローテが姿を現し、声をかけてきた。


 二人とも旅団の本隊の野営地の状況を見て、言葉を失っている。

 彼らの姿に、私はぐっと胸に当てていた手を握り締めた。


 (……私だけの問題じゃない。この二人の命も、私の判断にかかっている)


 ──ためらっている場合では、ないのだ。


 私は二人の〈土精霊ノーム〉に向き直り、ぐっと顎を引いた。


 「今、本隊の野営地は近づける状況じゃありません」


 そう言って、私は辺りに亜人の気配がないか、注意深く見渡した。


 「近くで身を潜める場所を探して、一旦、そこに身を隠しましょう」

 「ほっ、本隊の方たちは、どうなりますか?」


 フローテが目尻に涙を浮かべて尋ねてくる。

 その姿を一瞬、コローテが気遣うように目を細めて振り返る。


 「今は他人の心配をしておる場合ではない」


 すぐに厳しい表情を取り戻したコローテが、フローテに告げる。

 私は今は彼に同調して、草地の上に膝を突きフローテの手を取った。


 「リュッカとジオの二人も本隊の救援に向かってます。腕利きの探索者たちがあれだけ揃えば、本隊の方は心配いりません」


 そして、怯える彼女に私はうなずきかけた。


 「今は、私たちの身の安全を図りましょう。本隊の方で出た怪我人を後で治療するのが私たちの仕事です」


 その声に、フローテははっとなって「そうですね」と私につぶやいた。


 「……聖女」


 背後から、コローテが重々しく声をかけるのに振り返る。

 〈土精霊〉の老人はうかがうような眼で私を見上げていた。


 「フローテはこの通り、戦いに向かん。ワシも、もう武器を握ることすらおぼつかん身だ。……いざとなればお前に頼るしか術がない」


 そして、コローテは厳しく問いかけた。


 「頼りにして、いいんだな?」

 「…………はい」


 私はうなずいた。この状況では──うなずくしかない。

 だって、そうでなければ、この場にいる誰も生き残ることはできないから。


 **


 襲撃を受けた野営地に群がる亜人の群れを、ヴァレンシアは細剣レイピアを抜いて。その刀身で相手の石斧や石の矢じりの矢という原始的な武器を弾き返し、胸や頭部を貫いてほふっていく。


 横ではミラが細身の長剣を抜いていた。

 その青白く輝く刃が流星のような軌跡を描いて、巨大な石斧を振り上げた〈野猪鬼オーク〉の武器を両断し、返す刃で見上げるような巨体を一刀のもとに斬り伏せていた。


 「これ以上、亜人共を野営地に入れるな!隊列を固めて魔道斑を守れ!」


 両手の手甲をカティスが血に染めながら、懸命に戦闘班を集めて指揮している。


 その背後ではマツリハが魔道斑に所属する精霊種たちを集めて、反撃態勢を整えている所だった。


 「慌てるでない!何の為にこれまで重ねてきた訓練か!落ち着いて、自分のなすべき事に専念せよ!周囲の敵はヴァレンシアたちが引き受けておる!」


 ヴァレンシアはミラと共に野営地の外に出て迎え撃つ。

 その間に野営地本隊の方も徐々に反撃態勢が整っているようだった。


 (カティスもマツリハも自分の役割にてっしてくれている)


 〈黒き塔の旅団〉の旗印であるヴァレンシア自身は、もちろん代えの利かない旅団の頭だが、組織としての役割を担うのはヴァレンシアだけではない。


 弓を構えている〈小鬼ゴブリン〉の一団を視界の端に捉え、ヴァレンシアはすかさず地面を蹴ってそちらへ駆け出す。


 こちらに振り下ろされる〈野猪鬼〉の石斧をぎりぎりまで引きつけ、その無骨な刃の下を地面を滑ってくぐりぬける。


 立ち上がる勢いをのせて細剣の切っ先で〈野猪鬼〉を顎から串刺しにして、その巨体を蹴倒す。その向こうに見えた〈小鬼〉の弓手たちに、ヴァレンシアは突進した。


 〈小鬼〉の弓手たちがつがえた矢を引くのが見えた。

 間に合うか、とヴァレンシアがぎりぎりの判断を強いられた時、飛び込んできた俊敏な影が〈小鬼〉たちの首を薙いだ。


 「リュッカ!」


 首筋から血を噴き出して倒れる〈小鬼〉たちの向こうから、ずざっと音を立ててヴァレンシアのそばに滑り込んできたのは、獣人種の少年だった。


 「わりぃ、ヴァレンシア。遅くなった」


 獣人種の少年は、脚絆きゃはんに仕込まれた刃の血をぬぐって、周囲の安全を確かめた。


 「ジオの奴も野営地の外にいた連中の相手してる。あのじいさんなら一人で任せておいて大丈夫だと思う」


 手短に状況を報告するリュッカに、ヴァレンシアは顎をしたたる汗をぬぐった。


 「助かったよ。……まさかこんな数の亜人が待ち伏せかけてるなんて……」


 そう、苦り切ってつぶやいた瞬間、本隊の野営地の方から顕現けんげんした魔素の塊である魔法弾が放たれ、亜人の群れのただ中に着弾して爆発した。


 「マツリハたちの攻撃も始まったみたい。……もう、本隊の方は大丈夫だよ」

 「そっか……」


 一瞬、息を吐きかけたリュッカが、はっとして表情を引き締める。


 「俺、イサリカたちの所に戻らなきゃ……!」


 その声に、ヴァレンシアも目を見開く。


 「イサリカが?」

 「コローテとフローテも一緒だ。乱戦している所につれていけないから、安全な場所に隠れるように言ったんだけど……」


 それを聞くなり、ヴァレンシアは細剣に付いた血をぬぐった。

 再び柄をきつく握り締める。


 「案内して。イサリカたちも、今ならそう遠くへは行っていないはず」

 「ああ!ついてきて!」


 リュッカとヴァレンシアは次第に亜人の群れを押し返し始める本隊の野営地から、一陣の風を切る影となって離れていった。


 **


 身を隠すもののない草が生い茂っているだけの丘の上に、なんとか、地をはうようにねじれた木を見つけて、その陰にコローテとフローテの二人と共に身をかがめてもぐりこんだ、


 太い幹の陰にコローテとフローテの二人が身を寄せて、懸命に身を縮めている。

 私は小剣を鞘から抜いて握り締め、二人を背にかばうように立って息を殺した。


 しばらくは静かだったが、やがて傷を負った亜人たちが敗走を始めた。

 私たちが身を潜める木の周りを走り抜けていく。


 〈小鬼〉や〈野猪鬼〉がこちらには目もくれずに駆けていく姿を、ねじくれた枝の木の葉の陰から息を殺して見送る。


 (この分だと……本隊の方は無事に撃退したんだ……)


 傷を負った亜人たちがほうほうの体で逃げていくのを確かめる。

 だが、私たちの危険はこれからだ。

 脇目もふらずに逃げていく亜人たちがこちらに気付く様子はないが──


 コローテたちを背中にかばいながら、ひたすら時間が過ぎるのを待った。


 やがて、再び辺りが静けさを取り戻す。

 なおも息を潜めて私は外の様子をうかがっていた。


 (もう、出ていいだろうか。いや、リュッカが本隊の人に私たちのことを伝えているだろうし、誰かが様子を見にくるまで、このまま隠れていた方がいい)


 そう思ってちらりとコローテとフローテの二人をかえりみる。

 フローテをかばうように抱いていたコローテが、私の意を汲んだようにうなずく。

 このまま救助が来るまで身を潜めよう、と意思の疎通そつうがなって、息を吐いた。


 ひとまず安心して、二人から目を離した瞬間──


 ──「イサリカ……っ!コローテ!フローテっ!」


 リュッカが私たちを呼ぶ声が、闇の向こうに聞こえた。

 私ははっとなって声のした方を振り向く。


 「リュッカ!」


 こちらを呼ぶ声に、木の陰から返事をする。


 (よかった、助かっ……)


 そう思って息を吐きかけた瞬間、私の視界の端に「ああ」と緊張の糸が切れて、よろめくように、フローテが木陰を出るのが見えて──


 次の瞬間、樹上からフローテめがけて小さな影が降ってきた。

 フローテの甲高い悲鳴に、頭が真っ白になる。


 いつのまにか、樹上に身をひそめていた〈小鬼〉がフローテに襲い掛かっていた。   

 私の目の前で二つの影は絡まり合うように斜面を転がり落ちていった。


 「フローテ‼」


 コローテの悲鳴を聞きながら、私はフローテと〈小鬼〉の転がり落ちていった斜面へ反射的に飛び出していった。


 もつれ合うように斜面を転がり落ちていくフローテと〈小鬼〉の影を懸命に追いかけると、最後は私も地面を空踏みして宙を舞った。


 「っ!」


 頭から地面に激突する、そう思った瞬間、外套が──フレンタから譲り受けた深緑の外套が、ふわりと空気をはらんで、倒れる私の体を押し留めた。


 しかし、それでも勢いを殺しきれずに私は湿地帯の湿った地面の上に転がった。

 手に握っていた小剣を取り落とし、何度も視界がぐるぐると回転して、最後には湿った泥の上に背中から突っ込む。


 「っ……くっ!」


 泥の上に手を突いて起き上がろうとした──途端に、私の目の前に〈小鬼〉の影が跳んできて、馬乗りになる。


 「ぎぎがっ!」と、獣じみた声を〈小鬼)が上げる。

 敵意と殺意に輝く濁った目が私を見下ろし、鋭い爪の生えた手で押さえ込む。


 胸元をつかんで乱暴に揺さぶる〈小鬼〉の肩越しに、私は地面の上で気絶しているフローテが視界に入った。


 (フローテは気絶していて……他に、誰も……誰も見ていない……!)


 今なら──


 迷っている暇はない。目の前の〈小鬼〉は私の命を奪おうとしている。

 私はとっさに左手の手袋を脱いで──私の胸をつかむ〈小鬼〉の手に触れた。


 「ぎっ……がっ!?」


 次の瞬間、〈小鬼〉が驚愕の声を上げる。

 その腕はぐねぐねに折れ曲がった木の枝のように歪んでいる。


 私は続けざまに左手で〈小鬼〉の顔をわし掴みにする。


 「……っ!?」


 〈小鬼〉の頭部が、ぼこぼこと歪に膨れ上がった。

 獣じみたその顔が苦悶に歪み、意識を失ってよろめく。

 私はその体をつかみ、地面を蹴り上げる足に乗せるように投げ飛ばした。


 〈小鬼〉の体は湿地帯の沼の上へ飛んでいく。

 私が振り向くと、〈小鬼〉の体は暗い沼の水面を力なく沈んでいった。

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