第三話 聖女は上司に嫌われる

 「聖女の癒しの力など自然の摂理に反しておる!大きな傷や病というものはその時の生命力が耐えることができなければ、命を落とすのが自然なのだ!その道理を破って水増しした生命力は一体どこから来るというのだ!?全くもって理不尽で不条理ではないか!」


 薬草や薬瓶の詰まった背嚢はいのうを背負って、くどくどと言いつのるコローテの言葉に、私だけでなく、本隊のいる野営地に向かう全員がげんなりとしていた。


 私の隣にいるフローテが小声で「すみませんねえ」と言う。

 しかし、当然ながら彼女のせいではないし、私が聖女である以上はこういう反応も、経験がないではないので──


 「薬草や怪我の手当ても一通り知識として知っているからなんじゃ?おぬしが正常でない力の持ち主だというのに変わりはないではないかっ!」


 コローテはこちらを振り向いて、べーっ、と舌を出す。


 ──前言撤回。


 ここまで大人げない扱いを受けたことはさすがにない。


 (……ここは、救護班のリーダーのコローテのこの考え方を逆手にとって、今の私の状況には有利に働くと考えよう)


 「……聖女の癒しの力が救護班のリーダーであるあなたの方針に反するというなら、極力、それを使わないで済むよう心がけます」


 私が息を吐いて言うと、リュッカが「イサリカ」と心配そうに振り向いた。


 「薬草や薬品の知識は〈大陸正教会〉で身に着けましたから、その分の貢献はできるはずです。非常時でない限り、聖女の癒しの力は使いません」


 そうコローテに向けて言うと、コローテは真っ白な髪とあごひげの奥の落ちくぼんだ目でまじまじとこちらを見詰めた。


 「それで、納得してくれませんか?」


 コローテのこの方針に従っていれば、私の聖女の力が正常のものでない事が露見する可能性も低くなる。冷静に考えれば、都合がいい状況であるのだ。


 コローテ個人とりが合わないのは仕方ないにしても。


 私が神妙な態度で黙っていると、コローテはふん、と鼻を鳴らした。


 そして、ぺっ、と唾をそこら辺の茂みに吐き捨てた。

 そのまま振り返りもせずにずんずんと森の外へと向かっていく。


 本当に──反りが合わないのは、仕方ない。


 気が付くと、両手に拳を握り締めてぷるぷると震えている私を、フローテやリュッカが若干、おののくような表情で見ていた。


 〇


 森を抜けると、日が暮れて──というより、辺りが暗くなっていた。


 「本当に夜が来るんだ……」


 来た時は薄桃色の薄暮のようだった空が、暗灰色のうすぼんやりとした色に染まっている。星の光を探してみたが、なんだか曇り空のようにもやがかっている。


 一体、どうなっているんだろう。

 そう思うが、この迷宮ダンジョンに足を踏み入れてからそんなことばかりだ。


 今は気にしていても仕方ない、とカンテラをかかげ森の外へと出て行く。

 〈黒き塔の旅団〉の本隊が野営を張っている平原までは遠くない。


 なまぬるい風が吹き渡る丘の上に向かう途中で、不意に先頭を歩いていたリュッカがぴたりと足を止めた。


 「ちょっと待って」


 その表情をうかがい見ると、彼の幼さの残る顔立ちにこれ以上ない険しい表情が浮かんでいた。

 思わず、「どうかした?」と尋ねると、なお一層リュッカの表情が引き締まる。


 「様子がおかしい。多分……」


 丘の向こうに鋭い目を向けるリュッカにならって、私もそちらへ注意を向けると──風の向こうに物音が聞こえた。


 これは──


 私が確信するより前にリュッカが風のように疾駆して、一息に丘を駆け上がった。


 私は、後からついてきているコローテとフローテ、そしてジオの様子を確かめた後でリュッカを追って、丘の上へ駆けた。


 丘の上からは旅団が野営を張っている平原の様子が一望できた。


 「これは……」


 立ち尽くすリュッカの隣に立つと、私にも本隊の様子が見て取れた。


 なまぬるい風に乗って聞こえる喚声と剣戟けんげきの音。

 倒されたかがり火が近くの天幕に引火して燃え上がっているのが見えた。


 団員たちがテントや天幕を飛び出して争う姿も見える。

 野営地の周りに群がっている黒い影は──


 「〈小鬼ゴブリン〉に〈野猪鬼オーク……亜人の群れ!」

 「待ち伏せされてたんだ!」


 リュッカが「くそっ」と舌打ちして、身構える。


 「迷宮の中に、亜人まで……」


 亜人とは、異種間戦争時代、その強大な魔力で大陸中を脅かした種族──魔族の眷属となり暴虐の限りを尽くした種族で、一般的に人間などより知能が劣っていると言われている存在だ。


 異種間戦争の時代が終わり、魔族が大陸本土から姿を消した後で、亜人たちは大陸本土に残り、人の住まわぬ荒地や山奥に、獣同然に暮らしているという。


 時に、旅人や村などを襲う危険な種族だが、迷宮の中にまでその姿を現すとは──


 呆然と立ち尽くしていると、ギギッ!とすぐ近くで甲高い動物的な声が上がった。


 「っ!」


 気が付くと、こちらにまで数人の〈小鬼〉が向かってきていた。

 とにかく応戦しないと、と思って革ベルトに吊られた小剣の柄を握った時、ひゅっと小柄な影が空を切って跳躍するのが見えた。


 「イサリカ、伏せてっ!」


 その声にとっさに地面に伏せた瞬間、跳躍したリュっカの強靭な脚が閃いた。

 襲い掛かる〈小鬼〉の頭上でリュッカが旋風つむじかぜのように舞った。


 再びリュッカがすとんっ、と音を立てて着地した時、周囲にいた〈小鬼〉たちの首から鮮血が噴き出し、残らず倒れる。


 「イサリカっ!平気っ!?」


 リュッカが地面に伏せている私を振り返る。

 彼の強靭な脚を覆う脚絆きゃはんに仕込まれていた鋭い刃が、どす黒い亜人の血に染まっているのが見えた。


 「ごめん、怖い思いさせて……」


 呆然とする私を見下ろすリュッカの表情が曇る。

 私は慌てて立ち上がり首を左右に振った。


 「ううん、守ってくれて、ありがとう。……ちょっと驚いただけだから」


 私が言うと、リュッカがほっとしたようにうなずいた。


 「うん。……俺、本隊の救援にいかなきゃ。イサリカはコローテたちと身を隠していて欲しい」


 真剣な表情で私に告げるリュッカが、亜人たちの襲撃を受ける旅団の野営地へと向き直る。そこへ、丘を越えてジオもやってきた。


 「やれやれ。待ち伏せを喰らったか、完全な乱戦になってしまっておるの」

 「ジオ、俺たちも行こう。こんな迷宮に入ったばかりのとこでつまずいているわけにいかない」


 リュッカが精悍せいかんな表情で告げる。

 ジオの方も背中に担いでいた戦斧を両手に持つ。


 「確かに……こんな場所で装備や物資を壊されてはかなわんの」


 リュッカはもう一度、私を振り返って念を押すように口を開いた。


 「イサリカはコローテとフローテを頼む。もう周囲に亜人どもの気配はないけど、どこかその辺りに身を潜めている奴がいるかもしれない」


 リュッカが注意深く目と耳で辺りの様子を探った後で、早口に告げる。


 「油断しないで。後で必ず、迎えに来るから」

 「分かった。何かあった時は、私もちゃんと戦う」


 私が鞘から抜いた小剣の柄を握るのを見て、心苦しそうな顔を一瞬、リュッカは浮かべた。


 「……リュッカ。お前も手練れの探索者であろ」


 迷っている表情のリュッカは、ジオに肩をつかまれる。

 そうして、リュッカは後ろ髪を引かれるのを断ち切るように大きく息を吐く。

 獣人種の少年は、完全な乱戦の様相をていする本隊の野営地に向けて大きく跳躍していった。


 私は、コローテたちと共に身を潜められそうな場所をとっさに探す。

 張り詰めた空気に右手に小剣を握り締め──左手で拳を握った。


 乱戦に陥っている本隊に、こちらに人員を割く余裕などないのは明らかだった。


 コローテもフローテも探索者として一通りの能力はあるのだろう。

 だが、決して戦闘に向いているようには見えない。


 私が──いざとなれば、彼らの身を守らなければならない。

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