第二話 聖女は自らの上司と出会う
**
薄暮のような薄桃色の空が次第に明るさを失い、薄ぼんやりとした不気味な暗い灰色に塗り変わっていくのを、ヴァレンシアは眺めていた。
この地下世界には定期的に『夜』が訪れる。
どうやらそれが地上の昼夜と連動しているらしい事は分かるのだが、果たしてこの地下世界において昼夜とはどういう原理で訪れているのか、皆目見当がつかない。
(ここまで常識とかけ離れていると、逆にそこだけ外と繋がりがある感じが不気味なんだよな)
地上と似通った部分、地上ではありえない部分が混沌と入り交じる。
この
自分だけでなく、多くの探索者たちがそうなのだ。
どうにも落ち着かなくて、ヴァレンシアは野営地近くの草原にごろりと横たわっていた。別動隊が合流するまでは、この野営地に留まって他にすることもないので団員たちもそれぞれに待機させている。
いっそこのまま目を閉じて寝入ってしまおうか、などと考える。
すると、不意に下草を踏む音がヴァレンシアのそばに近づいてきた。
ぬっ、と自分の視界の中に入ってきた、十字の切れ込みの入った銀色の仮面。
ヴァレンシアは驚くよりも、呆れて息を吐き、草地の上から体を起こした。
「はいはい、団長がこんなとこに何も言わず一人で出歩いて悪うございました」
草地の上であぐらをかくと、仮面の剣士──ミラが軽く腕を組んだ。
「……浮足立ったまま、全体の指揮を取られるようはマシだ」
仮面の奥からくぐもった声が響いた。
ヴァレンシアは不満を隠さずにミラのすらりとした長身を振りあおぐ。
「野営地は今のところ、マツリハの指示で回っている。このまま別動隊を待って、予定では明日の昼にはここを離れる」
そう言うと、ミラは肩越しに背後の野営地を振り返る。
そこで立ち働いている団員たちの姿を遠目に見た。
「意地を張ってやせ我慢をしているバカの出る幕はない」
「いくらあんたでもそこまで言う?」
ヴァレンシアが盛大に顔をしかめるのに、ミラは肩をすくめた。
「……私がここであの子に目をかけたら、団の秩序が崩れるじゃん」
「今でも十分、悪影響が出てると思うがな」
そう言うと、仮面の奥でミラが呆れた風に息を吐いた。
「団長自身の精神状態にな」
「……色々と複雑なんだよ。首を突っ込まないで」
そう言って、ヴァレンシアは頭の後ろに腕を組んで、ごろりと草地に横たわる。
「……あんたに私の気持ちは分かんないよ」
ヴァレンシアがぽつりとつぶやくように言う。
すると、地下世界を吹き渡る風の中で、ミラが小さくかぶりを振った。
「かもしれんな」
そう言って離れていくかと思ったが、ミラはそのまま、その場にたたずんで空を見上げた。
ヴァレンシアも横たわったまま空を見上げる。
二人の視線の先で、地下世界の空に夜の帳が下りていった。
**
「きゃふん」
樹上に登っていったリュッカがつるを切り落として解放する。
不気味な植物のつるに絡め取られていた人物が、下で私とジオで丈夫な布を広げて待っていた所に落ちてきて、そんな悲鳴を上げた。
「あいたたたあ……」
「怪我はない?」
そっと、ジオとタイミングを合わせて布を地面に下ろす。
その上でつるに絡まっていた女の子の体からつるを取り払い、顔をのぞき込む。
「いや、助かりましたあ。あのまま誰も来てくれなかったら、干からびて寄生植物の肥やしになってたかも」
言葉と裏腹にのほほんとした口調で言う女の子は、私の胸丈ほどしか背丈がない。
茶色の巻き毛がふわふわと顔の周りを覆う女の子──いや精霊種、〈
「って、よく見たら、リュッカとジオじゃないですかあ?こちらの方は?」
樹上からひょいと飛び降りてきたリュッカと、腕を組んでいるジオを見て〈土精霊〉の少女が目を丸くする。
とすると──
「この子は新入団員のイサリカ。……イサリカ、こいつは救護班のフローテ」
「あー、新入団員の方でしたかあ」
フローテと呼ばれた〈黒き塔の旅団〉の救護班らしい少女が顔をほころばせる。
「それはあ、とんだ失態を見せてしまいましたあ。こんな先輩ですけどお、見損なわないでくださいねえ」
「ああ、いえ……」
言いながら、ぱんぱんと膝についた砂埃を払うフローテの独特なテンポに、私は困惑しつつうなずいた。
でも、ということは──
「俺たち、コロじいを迎えに来たんだけど」
「ああー、じゃあ今回はみなさん、迷宮に潜って来られたんですねえ」
「ようやくじじいの世話から解放されますう」と、意外と口の悪い言い草でにっこりとフローテが立ち上がる。
「家はすぐそこです。ちょっと庭の薬草を取りに出ようと思ったらあ、油断してカンテラ持つの、忘れちゃったんですねえ」
「じゃあ、コローテさんに助けてもらえばよかったのでは?」
私が尋ねると、フローテは短く息を吐いてかぶりを振った。
「それが駄目なんですねえ。あのじじい、薬草の研究や調合を始めると平気で二日や三日は引きこもっちゃいますからあ」
「はあ……」
困惑しつつフローテの後に続くと、本当に森の中に
なんとなく私とリュッカとジオと、三人で顔を見合わせる。
すると、フローテが無遠慮に小屋の扉を叩いた。
「じじい、おーい、じじい。団員の方が迎えに来ましたよお」
無造作にそう言い放ってフローテは扉を開いた。そのまま私たちを小屋の中に促すのに、本当にいいのだろうか、と思いつつその中に足を踏み入れた。
小屋の中は空気がこもっていて、甘ったるいような匂いがしみついていた。
思わずせき込みながら小屋の奥を見やると、小屋の大部分を占める大きな作業台の上に、粉末が付いたままの乳鉢や液体の入ったフラスコが所狭しと並んでいるのが見えた。
「うわあ、相変わらず散らかってんなあ」
リュッカが小屋の中の惨状と臭いに、鼻をひくひくさせながら顔をしかめる。
「コローテ、おるかの?」
あごひげをなでながら、ジオが小屋の奥に呼びかける。
小屋の奥から返事はない。フローテを見ると、意外でもなさそうに肩をすくめて小屋の奥へとてくてくと歩いて行く。
全員で手分けしてコロじいことコローテを探すことになりそうだった。
リュッカが小屋の外へ向かいジオがフローテと共に小屋の奥へと足を踏み入れる。
私はその場に残って、作業台の周りを見て回ることにした。
「……すごい数の薬草だ」
作業台の上にある分だけでなく、壁や天井の梁にも乾燥させた薬草が吊るされていた。中には子供の頃、神父様の家でも見たものや、暗部で訓練を受けていた頃に覚えた毒草の類もある。
無闇に触らない方がよさそうだ、と思いつつ、薬品棚の方も観察してみる。
〈土精霊〉は、人間に最も身近で、付き合いの長い精霊種とも呼ばれている。
薬草の豊富な知識を持ち、土壌に含まれる魔素を感知できる彼らは、薬師としてどの村にも一人はいて重宝されている。
コローテも、その例にもれず優秀な薬師のようだ。
この小屋にある分だけでも、一通り、怪我や病の治療に対処できるのではないか。
そう考えて、ふと薬品棚のびんのラベルを確かめようと手を伸ばした時だ。
「ワシの薬に触るでない!」
「いっ!?」
突然、床板が開いてそこから小柄な老人が顔をのぞかせる。
その場に飛び上がる位に驚いてしまった。
突然のことにどきどきと脈打つ胸に手を当てて、床下から顔をのぞかせる老人──コローテとおぼしきその老人を振り向くと、厳しく私を見据えている。
「その手でわしの薬を触るんじゃない!」
私は、無意識に薬品棚に伸ばしかけていた──左手を見下ろす。
まさか──と、冷や汗が額に浮かぶ。
何事かと集まって来たリュッカとジオ、フローテの前で、コローテとおぼしき〈土精霊〉の老人は私に厳しい声をかけた。
「卑しい〈大陸正教会〉の聖女がワシの薬に手を触れるんじゃない!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます