第四章 未知への旅
第一話 聖女は地下世界を旅する
目の前に広がる異様な風景──夢を見ているとでも言われた方がまだしも納得できそうなその光景に私が呆然と立ち尽くしていると、ヴァレンシアが近づいてきた。
「初めて見たら驚くよね。私も、こうして改めて見ると落ち着かない気分になる」
そう言って私の隣に立ち、地上と異なる異質な世界の風景を眺めた。
「……私たちは、洞窟を抜けて地下に来たはずなのに……」
私は、頭上を振りあおぐ。
薄桃色の空に、小さな星のきらめきががいくつもちりばめられていた。
「天井がないのが、ささいな事のように思える……」
地上へ眼を戻すと、広がる平原と、緩やかなこう配の先に川の流れと湿地帯が見えた。果たしてどこから流れて来た川の水なのだろうかと考えると、わけが分からなさ過ぎてくらくらとした。
「こんなでも、一応、昼と夜はある。人が住んでるわけじゃないけど、遺跡や廃墟みたいなものまであるよ」
「……あんまり混乱させるような事、言わないで」
本当に頭痛がしてきて頭を抱えて座り込むと、ヴァレンシアがくすりと笑った。
「そうだね。わけ分かんない場所だけど、一応『奥』はあるんだ。際限なく広がり続けているように見えて、果てはあるんだよ。この『世界』は」
「……本当に?」
目の前の光景に圧倒されて、思わず不安をのぞかせて私が見上げる。
すると、ヴァレンシアは、この異様な地下世界の空にない、輝く太陽のように、曇りのない笑顔を私に向けた。
「一緒に行けば分かるよ」
そして、遠く見える山脈に、ヴァレンシアは視線を戻した。
「私と一緒に、この『世界』の果てまで、ね」
〇
再び隊列を組んで、ヴァレンシア率いる〈黒き塔の旅団〉はこの異様な空間──
私が背嚢を背負い直し、隊列の後方に加わると前方で誰かが声を上げた。
「おい、ヴァレンシア!コロじいの奴は拾ってかなくていいのか!?」
見覚えのある聖職者の制服──カティスだった。
その声に、ヴァレンシアは一つ首をひねって「そうだな」と、隊列の中にいる面々に目を向けた。
そのやりとりに私は近くにいたリュッカの肩を叩いた。
「ねえ、コロじい、って誰?」
「コロじいは……あ、そっか、前に潜った時にそのままここへ置いて来たから、イサリカは初めて会うのか」
「置いて来た!?」
私は思わず悲鳴のような声を上げてしまって、慌てて両手で口をふさぐ。
カティスが一瞬、ちらりとこちらを振り返るのが見えたが、それ以上は騒ぎにならずに済んでほっとする。
「置いて来た、って迷宮の中にってことだよね?そんなことして、平気なの?」
「普通は平気じゃない……って思うけど、変人だからなあ、コロじい」
そう言ってリュッカは苦手な相手らしく、嫌そうに顔をしかめた。
「一応、同じ救護班の奴が定期的に様子を見に行ってるし、行動を共にしている弟子がいるから、心配はない、ってことなんだけどね」
「もしかして……私が訓練の間、救護班の人とほとんど顔を合せなかったのって」
「……うん。みんな救護班のリーダーのコロじいの様子を見に行ったり、世話をしに行ったりで不在だったんだと思う」
それは、また──
(……前途多難だ)
まさか救護班のリーダーがそんな変人だったなんて──
(でも、あれ?ということは……)
そう、はたと気が付いた途端、顔を上げるとヴァレンシアと目が合った。
彼女の目が申し訳なさそうなかげりを帯びる。
「本隊から数人、別行動にしてコロじいを迎えに行こう。救護班のイサリカと護衛に……リュッカとジオがついていってあげて」
〇
本隊から離れて、なだらかな下りこう配の続く道を進んでいく。
「まあ、道知ってて周囲の様子も分かる俺と、腕っぷしの立つジオがついてりゃ平気だよ。イサリカは大船に乗った気でいなよ」
「うむ、コローテの奴とは知らぬ仲ではないし、まあ奴も置いていかれるのは困るじゃろうて」
「はあ……」
私は先導する二人の後に続いて、前方の湿地帯へと足を進める。
その間も周りの景色を観察してみたが、この辺りはまだ地上の様子と大きく変わっている所は見当たらない。
私の膝丈ほどの草が密生して、背の低いねじくれた木がまばらに生えている。
前方の湿地帯に目を向けると、水草と泥の絡まり合った塊が、小さな浮島となってぷかぷかと流れのない淀みの上に浮かんでいた。
「……本当にこんな場所歩けるの?」
私はおそるおそる浮島を踏み締める。
すると、かすかに沈み込むようなぶよぶよとしたいわく言い難い感触がブーツの底に伝わってきた。が、体重をかけてみると案外、しっかりと支えてくれた。
「リュッカは身軽じゃし、儂も大きな荷物は本隊の方に置いてきたからの」
一足先に浮島を渡っていくリュッカとジオが、私を振り返る。
「こ、怖かったら、俺が抱えていこうか?」
リュッカが慌てて戻ってくるのに、私は顔を上げて制止した。
「平気。注意深く、暴れたりしなかったら大丈夫そうだから……」
私は先導する二人を追い越し、少し離れた淀みの上に浮かんでいる浮島の上へ思い切って飛び移った。──ちょっとだけ楽しいかもしれない。
「こっちも大丈夫そう。大きい浮島だし、リュッカとジオが乗ってもいいと思う」
そう言って振り返ると、何故か両手を差し出したまま固まっているリュッカと、彼を背後から生温かく見守っているジオの姿が見えた。
「どうかした?」
私が尋ねると、リュッカが「いや」と手を下ろしてうつむく。
ジオが腕を組んで、愉快そうに目を細めていた。
「いやはや、若い連中と行動することでしか得られぬ刺激があるのお」
「……?」
私が首をひねると、ジオが堪え切れずに笑い声を上げる。
その様子をリュッカが恨めしそうな眼差しで見ていた。
〇
浮島を渡って湿地帯を移動している間、興味をひかれて水面をのぞき込んでみると流れの緩やかな水の底で、小魚の群れがきらきらと銀色に光っていた。
一度、少し離れた場所から水鳥の群れが飛び立った。
薄暮のような薄桃色の空を横切っていくのに、私は呆然とそれを見上げる。
「地上の生き物が普通にいる」
「うん、地上で見かけるやつはこっちでも普通に見かけるよ」
「地下の迷宮で……。どこから、入り込んでくるんだろう?」
また別の離れた水面に着水して浮かび始める水鳥を並んで眺める。
すると、背後からジオが太い腕を組んで低くつぶやいた。
「儂らの出入りするあの洞窟とは別の入り口があるのかもしれんな。あるいは」
振り返ると、ひげをたくわえた〈
「見かけは儂らの知る姿でも、中身は全く別の物やもしれん」
その言葉に、私はリュッカと顔を見合わせる。
なんとなく気味が悪くて、足を速め湿地帯を抜けることにした。
──地上にいる動物だけならともかく、何か得体の知れないモノが、その湿地帯の泥の中に身を潜めているような、そんな想像が頭に浮かんだからだ。
〇
湿地帯を越えて森に入った辺りで、周囲の様相が一変した。
地上のような強い陽射しがないためだろう。
木立の中に足を踏み入れると、一気に周囲が暗くなる。
「俺が先頭に立つから、イサリカはジオと一緒に後をついてきて」
先頭に立つリュッカが火を灯したカンテラを掲げる。
森の奥の闇に光が照らされると、なにか植物のつるのようなものがうぞうぞと音を立てて、カンテラの光を避けて潮のように引いていく。
思わず足を止めていると、後ろからジオが追いついて私の肩を叩いた。
「安心せい。森の中でも、光があれば危険はない」
「……じゃあ、光がなかったら?」
当然の疑問を私がぶつけると、ジオは「わはは」と笑っただけで答えない。
そこで笑われても、困る。
しかしとにかく、前に進むしかない。
カンテラの光から離れないように森の中の道を一塊になって進んだ。
「その、コロじいって人のいる場所はまだ遠いの?」
薄暗い森の中を進んでいると、あちこちの茂みががさっと物音を立てたり、すぐ頭上を素早い影が横切ったり、時折、不気味な何かの吠え声が響く。
かなり不穏な雰囲気に、全身の神経が過敏になっているのを感じる。
「もう、すぐそこだと思うんだけど……」
リュッカの返答も頼りない。私は、思わず声を上げた。
「ねえ、本当にこんな場所に残って、その人が無事だと思え……」
私が思わず声を上げた桁時、不意にリュッカが口の前に指を一本立てて振り返る。
彼のいつにない真剣な表情に私は黙り込む。
リュッカの耳がぴくぴくとあちこち何かを探るように動いている。
と──
私の耳にも聞こえた。誰か──人の声が。
「どこだ……?」
リュッカが四方八方に耳を向けて、そのかすかな声の発生源を探している。
私も、リュッカの邪魔にならないように口を押さえて、素早く周囲に視線をめぐらせた。
すると、不意に私の背後からジオが、太い指を木の葉の生い茂る樹上へ向けた。
「上だの」
その声に、灰色の葉が密生した樹上を見上げると──
──そこに、誰かが植物のつるに吊るし上げられ、か細い悲鳴を上げていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます