第四話 聖女は地下世界を目にする

 「迷宮ダンジョンに続くこの洞窟は、すでにその影響を受けてる」


 はぐれないようにカンテラを片手に持ち、もう片方の手で私の手を握っているヴァレンシアが説明をする。


 「最初にきちんと説明しておくべきだった。本当にごめん」


 ヴァレンシアが深刻な表情でわびるのに、私は呆然としてつぶやいた。


 「さっきの……声、は……」

 「迷宮の奥へ誘い込む声が聞こえるんだよ」


 迷宮の奥へ誘い込む声──


 「そばに仲間がいればすぐにそれがただの幻だと気付けるし、お互いの様子に気を配っていれば誘い込まれることはない。そもそも、その情報を知っていれば、不自然だとすぐに見抜ける」


 ヴァレンシアはそう言って、真剣な表情であごを引いた。


 「……自分にとって近しい相手の声が聞こえるんだよ」

 「そんな……」

 「私も何度か、聞いたことがある。母様や……それに、父様やお祖父様の声」


 カンテラの明かりを頼りに元来た道筋をたどるヴァレンシアは、深々と息を吐く。


 「それが原因かどうかは確かめようがないけど、この洞窟で姿を消す探索者は思いの外、多いんだ。この暗闇と、心を惑わせる声」


 ヴァレンシアは私を肩越しに振り返った。


 「もし、イサリカが元来た道にいなかったら、手の打ちようがなかった」


 そして、ほっと穏やかな笑みを浮かべた。


 「よく頑張ったね。惑わされずに、イサリカがその場で耐え続けてくれたから、私はあなたを見つけられたんだ」

 「…………」


 私はうつむいて、私の右手を引くヴァレンシアの手を見下ろした。


 あの日──殺される直前に、私の育ての親がその名を言った相手の手だ。

 とても、皇女と接点があるとは思えない一介の町の神父が、わざわざ、その名をつぶやく理由。あの、落ち着かない態度。


 ──その直後に、私の恩人でもある育ての親は殺された。


 私は──


 左手で、私の右手を引くヴァレンシアの手をつかんで──


 ──そっと、その手を外した。


 「……ありがとう。でも、大丈夫」


 私は一つ大きく息を吐き顔を上げてヴァレンシアを見詰めた。


 「一人で、歩ける」


 私がそう告げると、ヴァレンシアは何度か目をしばたいた後で、そっと微笑んだ。


 「そっか」


 私がうなずくのを見届けて、ヴァレンシアはゆっくりと元来た道をたどっていく。

 今度は絶対に見失わないように、私はその背中だけを見詰めて、後に続いた。


 「……ヴァレンシア!イサリカ!」


 やがて、松明を掲げたリュッカの姿が前方に見えてくる。

 涙ぐみながら駆け寄ってくるその姿に、私もヴァレンシアも互いにほっと胸をなでおろした。


 「ごめん!本当にごめん!俺、イサリカがいなくなったのすぐに気付けなくて!」


 目の前で何度も深々とこうべを垂れるリュッカの耳がしおれている。

 私はかぶりを振って彼の謝罪を打ち消した。


 「……でも、最初に気付いて、ヴァレンシアに報告してくれたんでしょう?私の方こそ、何も知らなかったとはいえ、不注意だった。もう二度と、こんな事がないように気を付けるよ」


 リュッカは顔を上げてもう一度「ごめん」とつぶやき、うなずく。


 (もう既に……迷宮の中なんだ。ここは)


 私は、カンテラの光を吸い込む、どこへ続くとも知れない暗闇の中を振り返る。


 (それにしても、迷宮の中に誘い込む、近しい者の声か。まるで……)


 まるで──獲物を奥へ誘い込む、得体の知れない巨大な生き物のようだ。


 その得体の知れない生き物が大きく口を開けたその中に入り込む自分の姿を想像して、私は思わず、ぞくりと背筋を震わせた。


 (今回は、どうにか助かったけど、油断していて、常に助けがあるとは限らない)


 〈猫の手亭〉の二人や、流民の集落のあの母子の顔が脳裏によぎる。


 (気を引き締めよう。そうでなきゃ任務を果たすどころか、自分の身が危ない)


 私のそばにぴたりと寄り添ったリュッカの松明が照らす中、私は前を歩くヴァレンシアの背中へ眼を向けた。


 〇


 三人で寄り添い合うように進んだ先で、〈黒き塔の旅団〉の隊列が松明をかかげ待機していた。


 「みんな、ごめん。待たせたね。一人、道に迷いかけたけど無事合流できたよ」


 そうヴァレンシアが告げると、隊列の中のごく数人ではあるが、忍び笑いの声がもれた。ヴァレンシアの眉間みけんにしわが寄るのが見えて、私は思わず制止しかけたが──


 「今笑ったのは誰じゃ?」


 隊列の後方で松明を掲げた小柄な人影──黒髪の、〈精霊種〉らしい女性が袖の長いゆったりとした巫女のような装束を揺らして険しい声を上げた。


 「まるで自分はこの迷宮の中で足元をすくわれることなどあり得ぬ、とでも言わんばかりの尊大な振る舞いじゃな?」


 その声に、隊列全体がしんと静まり返った。


 「まったく……」と、その黒髪の〈精霊種〉の女性が額に手を当てて息を吐く。

 そのかたわらに寄ったヴァレンシアが小声でささやきかけるのが聞こえた。


 「ありがとう、マツリハ」

 「……お小言はわしの役割。ヴァレンシア、おぬしは先頭に立って団を率いる将の役を果たせい」


 二人でささやき交わす声が聞こえて、ヴァレンシアが再び隊列の先頭へと向かう。


 「みんな、待たせたね!もう一度前後の相手を確認して。先へ進むよ!」


 ヴァレンシアのその声に〈黒き塔の旅団〉の隊列が再び、前進を始める。

 はぐれないようにその後に続こうとすると、突然、私の横でリュッカが「いってぇ!?」と飛び上がった。


 見ると、マツリハと呼ばれた〈精霊種〉の女性が私たちの背後に回って、リュッカのお尻を思い切りつねり上げていた。


 「この粗忽者そこつもの!新入りに構うならちゃんと責任をもって面倒を見るんじゃ!」

 「ごめん!ごめんなさい!許してください!」


 更に思いっきりいい音を立てて尻をひっぱたかれてリュッカが悲鳴を上げる。

 私の方もさすがに怯えが勝って、その様子を見ているしかない。


 私が見ていると黒髪の精霊種の女性──マツリハがじろりと目を向けた。


 「なんじゃ?ぼけっと突っ立って。イサリカと言ったか、おぬしも尻を引っぱたかれたいのか?」

 「いっ、いえ……!」

 「じゃあ、さっさとこの粗忽者と先に立って歩かんか。殿しんがりはわしが務める」


 その声に私はお尻をさすっているリュッカと共に前に進む。

 後ろを振り返ると、厳しい表情でこちらを睨んでいるマツリハの視線にぶつかって、私は慌てて前を向いた。


 〇


 暗闇の中、背後からマツリハの厳しい視線をひしひしと感じながらリュッカと共に歩いていると、不意に前方からのっそりとたくましい影が近づいてきた。


 「災難だったの、修道女殿」

 「あなたは……」

 「〈猫の手亭〉で会った、と言っても、覚えてはおるまいか」


 そう言って松明の光の中、おっとりと微笑みかけたのは自分の体を大きくはみだした荷物を背負った壮年の〈鉱精霊ドワーフ〉だった。


 「ジオ。迷宮内で装備や道具の点検と手入れを行うのが儂の役割でな」

 「あっ、なるほど、それで……」


 その巨大な背嚢には、工具や素材がパンパンに詰まっている様子だった。


 「イサリカです。どうも……先程はお騒がせをしました」

 「いやいや。場合によっては手練れの探索者も陥る罠だ」


 そう言って、ジオは丸太のような太い腕を組んで、私の隣を歩き始めた。


 「心が弱った時、何かにすがりたい時、有り得ないと分かっていても『よもや万が一……』という可能性にすがりたがるのは、人として当然の情だもの」

 「…………」


 ジオは巨大な背嚢を揺らして、のしのしと私の隣を歩いている。

 私は、穏やかな空気を放つその〈鉱精霊〉に、思わず話しかけていた。


 「……何度もこの洞窟を通って、実際に、声に誘われて消えた人も見て……それでも、その声を聞いて、誘われるものなんですか?」

 「ふむ?」

 「たとえば……死別して、もう会えないと分かっている相手の声が聞こえても」


 私が尋ねると、ジオは「そうだの」とのほほんとした口調で答えた。


 「実際にその声に誘われて、どこへ行くか確かめた者などおらん。ただ、二度と戻ってこない。……たとえ話だが、その先に本当に求める相手がいて、姿を消した者たちが幸福に暮らしておったとしても確かめようがない」

 「…………」

 「ただ、あまりに個人に都合が良くて不自然である故に『これはおかしい、罠にちがいない』と誘われなかった側の儂らが言うとるだけだからの」


 私が振り向くと、ジオは穏やかに微笑んでいる。


 「聞いてもよいなら聞くが、イサリカは誰の声を聞いたのだね?」


 おもむろに尋ねられて、私は少しためらった後、口を開いた。


 「……もう二度と会うことのない人の声、です」


 そう言ってやりとりを終えると、後は黙々と暗闇の中、歩き続けた。


 松明の明かりを頼りに進んでいくと、次第に足元のこう配がきつくなってくるのが分かる。たとえるなら、私たちを丸々呑み込んだ生き物の喉元を滑り降りるように。


 先ほどのことがあって、神経がたかぶっているのを感じる。

 息を詰めていると、「イサリカ?」と横からリュッカが心配そうに覗き込む。


 「大丈夫」とうなずいて前方を振り向いた時、光が見えた。


 地下の洞窟の、その奥で、うすぼんやりとした日の光が差している。

 そう、不思議に思っている間に、〈黒き塔の旅団〉の隊列は暗闇に包まれた洞窟を抜けていた。


 私は目の前に広がった光景に目を見開いた。


 「ここが……迷宮?」


 それは、全く私の知る世界の光景ではなかった。


 洞窟を通り抜けて地下に潜ったというのに、天井がない。

 薄暮のような不思議な淡い桃色をした空が広がり、小さな星の瞬きのようなものまで見えた。


 そして──洞窟を通り抜けた私たちの目の前には茫漠ぼうばくとした平原が広がっている。


 遠くには森と湖、その奥に険しい岩肌の見える山脈が見えている。


 これまで、ここに足を踏み入れてきた人々の言葉がようやく私にも理解できた。


 ここは、私の知る世界とは全くかけはなれた、有り得ないことが起きる地下世界──異空間迷宮ダンジョンだ。

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