第四話 聖女は暗部の先達に報連相をする

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 ヴァレンシアの率いる探索者集団、〈黒き塔の旅団〉の本拠となっている屋敷は〈ソルディム〉の外れにあり、元は貴族の大がかりな別荘として使われていた。


 短期間に人口が過密になった〈ソルディム〉の喧騒けんそうを嫌って、他所へと移っていったその空き家を借り上げているのだが──


 ヴァレンシアを通じて〈帝都〉とつながりを持ちたい思惑も、その貴族にはあったのだろう。その下心を今は利用させてもらっている。


 ヴァレンシアは一つ息を吐いて、とっぷりと日の暮れた中、屋敷の門を開いた。


 ひょっとしたら、ミラやマツリハに説教を喰らうかもしれない。


 そんな事を内心考えつつ、ヴァレンシアは屋敷の扉を開いて辺りを見渡した。

 ひょいと足を踏み入れて、ひょっとしたらこのまま誰にも見咎みとがめられずに自室まで戻れるかもと思って、中庭の見渡せる回廊に出た。


 「あっ」


 中庭の四阿あずまやに、見覚えのある人影が卓を出して、そのかたわらの椅子に腰かけていた。


 卓には、その人物の向かいにもう一つ椅子が置かれていた。


 はあ、と一つ息を吐いてヴァレンシアはしぶしぶと四阿に向かった。

 卓につくその人物の向かいの椅子に渋々と腰を下ろした。


 ヴァレンシアは卓の上に出された、ワインのボトルと二つ置かれたグラスを見る。


 「つまみとかないの?」


 ヴァレンシアが尋ねると、向かいの人物は切れ長の目を細めた。


 「習慣でね」


 短く答えた向かいのその人物は、椅子の上で長い足を組んで頬杖を突いた。


 「腹が減ってるなら自分で用意しろ」

 「けちくさいなあ」


 そう言いつつも、ヴァレンシアは向かいの人物が手慣れた様子でボトルのコルクを開けて、グラスに深い紅色の液体を注ぐのを眺めた。


 互いに軽く酒杯を掲げて、ヴァレンシアは一口、葡萄酒を口に含んで薫香くんこうと風味を味わった。

 濃密な酒精が喉を滑り落ちてくらくらしそうだ。


 「口説き文句は届かなかったか」

 「うっさいな」


 瞬く間にグラスを干してしまった相手は、もう一杯、なみなみとグラスにワインを注いだ。


 「……何か事情がある相手に見えた」

 「分かってるよ。そんな事位はさ」


 ヴァレンシアが唇を尖らせると、相手は「子供か」と呆れてつぶやいた。


 「……でも、私はイサリカを連れていきたいんだ。他の誰でもなく」


 そう、強く言ってヴァレンシアは自分もグラスを一気に飲み干した。

 空になったグラスを音高く卓に叩きつけるように置いた。


 「返事を催促なんてしに行くなよ」

 「分かってる。次、潜るまでに返事がもらえなかったら、すっぱり諦める」


 そう言うと、ヴァレンシアは一気に自分の体に酔いが回るのを感じて思わず卓に手を突いて体を支えた。


 「だけど……私は本当に、あの子のこと……知りたいんだ……」


 ぐらぐらと揺れる視界の中で、ヴァレンシアは頭を押さえてつぶやく。

 向かいで、相手が鴉の濡れた羽のような長い黒髪を夜風に揺らしている。


 大きく傾いたヴァレンシアの視線の先で、卓に置かれた、十字の切り込みの入った銀色の仮面が月の光を受けて輝いていた。


 **


 ヴァレンシアの率いる〈黒き塔の旅団〉に、彼女から直接勧誘を受けた。


 あの場では断ってしまったけれど、ヴァレンシアは諦めていないようだ。


 なんで私なんかを、とも思うが。


 私は〈猫の手亭〉の二階の部屋で目を覚ますと、半ば途方に暮れた気分で窓の外から差し込む朝陽を見た。


 (冷静になって考えてみると……私一人で判断すべき事じゃないのかもしれない)


 悩ましい問題にしばらくベッドの上で考え込んでいると、相談できる相手の心当たりは不本意だけど、一人しかないことに気付く。


 ……本当に不本意だけど。


 〇


 教会の手伝いに出ると、私は同じ教会にいるはずの修道女の姿を探した。


 私と同じ〈大陸正教会〉の暗部に所属する、アグリスの娼館で殺戮を行った、神速の刀剣使いの修道女──シュハだ。


 礼拝堂の掃除や敷地の中にある畑仕事を手伝いながら、それとなく彼女の姿を探すと、そう時間をかけることなく彼女は見つけられた。


 本当に、以前となんの変わりなく教会の仕事をこなしていた。

 同僚の修道女や孤児院の子供たちににこやかに穏やかにシュハは笑いかけていた。


 正直、彼女に声を掛けるのは──いや、同じ場所にいることさえ、かなり覚悟がいった。


 それでも、それとなく声をかけて呼び出さないと──


 そんな事を考えながら自分に割り当てられた仕事をこなす。

 夕方の礼拝までにどうにかしてシュハを呼び出す手段を考えていると、年上の修道女に呼び止められた。


 「ああ、イサリカ。手が空いたのなら、書庫の掃除をお願いできるかしら?」

 「あっ、ええ……はい。分かりました」


 この分ではシュハを呼び出せないだろう、と思いつつ、裏腹に少し安堵した。


 「手際がよくて助かるわ。今日、食堂で焼き菓子を配っていたから、後でもらいに行くといいわよ」


 そう言いながら、修道女はほくほくと嬉しそうな顔で離れていく。

 暗部となんの係わりもない人、なのだろう。

 彼女の背中を見送りながら、今日はもうシュハを呼び出すのはいいか、と見切りをつけて書庫の方へと足を向けた。


 倉庫からハタキを持って、教会の建物の片隅にある書庫へと向かう。


 扉を開くと、普段使っていない場所特有の埃臭い空気が鼻をついた。

 窓の少ない薄暗い部屋の中を、まあ、目の届く範囲だけでも埃を払っておこうと手を伸ばした。


 ──「何かご用でしたか?」

 「っ!?」


 突然、背中に涼やかな声がかかって、その場に飛び上がる。

 振り返ると、窓の横の石壁に背中をつけたシュハが、私を見ていた。


 どくどくと鼓動が高鳴るのに黙り込んでいると、シュハが首をかしげた。


 「何か私に用事があって、声をかけようとしていたのではないですか?」


 シュハは感情をうかがわせない淡々とした声で再び尋ねた。

 私は息を整えるのに、一度、深く呼吸をしてシュハに向き直った。


 「……実は、暗部の方に報告して、判断を仰ぎたいことがあって……」


 私が言うと、シュハは小さく首を傾げた後、うなずいた。


 「聞きましょう」


 〇


 シュハは、私がヴァレンシアの〈黒き塔の旅団〉に勧誘されたことを知っても、特に反応を見せなかったが、柱に背中を預けたまま軽く顎の先を指でつまんだ。


 「……あなたは最初、暗部に、どういう指示を受けましたか?」

 「それは……」


 私は〈ソルディム〉に来る前、〈聖都〉にあった〈大陸正教会〉の本部──その暗部の面々に命じられた言葉を思い起こす。一言一句、なるべく正確に。


 「〈ソルディム〉で探索者の集団を束ねている、皇女ヴァレンシアに、近づいて……彼女から可能な限り情報を引き出すこと、そして……」


 私は、自然と、薄手の手袋に覆われた自分の左手を握り締めた。


 「彼女が〈ソルディム〉の迷宮ダンジョンの『奥』に到達するより前に、その命を奪うように、と」


 そう、それで──


 ──私はこの任務に自分から、志願したんだ。


 「ふむ」とシュハが思案するようにうつむいた。

 ヴェールからこぼれた髪の一房が差し込む陽の光に照らされて輝く。


 「……なら、あなたはその勧誘を受ければいいのではないですか?」

 「えっ?」

 「私の意見を言わせてもらえれば、何を迷う必要があるのか、とも思います」


 シュハが顔を上げて私を見た。

 薄く見開かれた柘榴石ガーネットの色の瞳が、私をじっと見詰める。


 「皇女の懐に潜り込めばいい。潜り込んで、必要とあらば寝首をくのがあなたの仕事でしょう?」


 淡々と、しかし言い逃れを許さず断言するシュハの口調。

 私は言葉を失って彼女を見詰めた。

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