第三話 聖女は皇女に勧誘される
「ミラは先に帰ってくれない?」
ヴァレンシアに連れられて〈ソルディム〉の街の外──城門をくぐった先の、流民の集落まで来た所でおもむろにヴァレンシアが背後を振り返った。
彼女は、それまでいない者として扱っていたミラにそう告げた。
鏡のように磨かれた仮面のその人物は腕を組んだまま、たたずんでいる。
「イサリカもいるんだから変な騒ぎは起こさないよ。大して時間はかけないから、お願い」
ヴァレンシアがそう言うと、ミラは少しうつむいた後、仮面の奥から聞こえるほど大きく息を吐くと、不承不承とばかりにうなずいた。
「ありがとう」
ヴァレンシアが微笑むと、ミラは無言のままきびすを返す。
私はしばらく立ち尽くして城門の方へ歩き去るミラの背中を見ていた。
すると、おもむろに背後から手をつかまれた。
「行こう」
ヴァレンシアが私を促す。
その顔には傾きかけた日の光がほの赤く照りつけていた。
〇
ヴァレンシアに連れていかれたのは〈ソルディム〉の街を見下ろす位置にある小高い丘の上だった。
「ここは……」
平らに地面がならされた見晴らしのいい丘の上には、名前と墓碑銘の刻まれた石碑、〈大陸正教会〉の聖印を模した墓標、簡素な石を積み上げたもの、あるいは生前使っていたであろう剣が遺品として地面に刺してあるだけの──
──墓が、並んでいた。
「墓場、なんですね」
「うん、そう。迷宮探索者たちの……」
そう言いながら、ヴァレンシアは近くにあった墓の上に積もった砂埃を手で軽く払った。
「昔はちゃんと〈ソルディム〉の街の中に教会の管理する墓場があったんだけど、それだけじゃとても場所が足りなくなっちゃってね……」
「こんな街の外に場所を移しちゃったんだ」と、ヴァレンシアは墓場の一角へと歩を進める。その足元で、かさかさと下草が乾いた葉擦れの音を立てた。
皇女は横目に夕陽を受けて照らし出される〈ソルディム〉の街の遠景を眺めた。
「イサリカは〈ソルディム〉の街の成り立ちを知ってる?」
突然尋ねられて、私は困惑しつつうなずいた。
「確か異種間戦争時代が終わったばかりの頃は、小さな東の辺境の村だったと」
「そう。それがある日、一人の男が地下の洞窟とその奥に広がる空間を発見した」
ヴァレンシアは夕暮れに刻々と色彩を変える街を見詰めていた。
「男はその空間を探索した。奥へ、また奥へ、最初は何もない真っ暗だったその場所が、男の進むごとに姿を変えていったと言われている……」
「本当の話、ですか?」
私が困惑して言うと、ヴァレンシアは「さあね」と肩をすくめた。
「最初の探索者と言われているその男の手記に書かれて、今でも伝わっているってだけ。……だけど、一度でも足を踏み入れた者はその記述を疑わないと思う」
「……本当に?」
「イサリカも探索者になったらきっと分かるよ」
どこまで本気なのか、ヴァレンシアの顔を見たが真意ははかれない。
「〈ソルディム〉の地下に広がる
ヴァレンシアはその意見に賛同するとでも言うように黙り込む。
彼女の蜂蜜色の髪が夕陽を受けてその色合いを変えていく。
「そうやって広がり続けているとしたら、本当に『奥』なんてあるんですか?」
私は疑問を抑えることができず口にした。
「奥があるとしたら、そこに何があるのか、分かるんですか?」
「さあね。でも、探索者たちはそれを確かめる為に大陸中から集まった。あるいはその際限のない欲望が、今も迷宮を広げているのかも」
「あなたは……ヴァレンシアは、違うんですか?」
日没が近づくと肌寒い風が吹いてきて、私は腕を抱いてうつむいた。
すると、ヴァレンシアは私の方を振り向いた。
「そうだね。イサリカにはちゃんと言っておくけど、私は探索者がこれ以上、際限なく集まらないように、迷宮を攻略する事を目指しているんだ」
「…………」
「迷宮の方は際限なく欲望を呑み込むのだとしても、地上の〈ソルディム〉の方はもう限界だよ。……いや、本当はもうその限界すら、超えてしまっているかもね」
その言葉に、私は顔を上げて〈ソルディム〉の街を遠く眺めた。
城壁の中に所せましと並んだ雑多な街並み。城壁から溢れ出た流民たちの集落。
──そこからもはみ出してしまった、探索者たちの墓場。
「それに、もし迷宮の影響が地上にまで表れ始めたら、かなりまずい。……そうなったら、話は〈ソルディム〉に留まらない。この大陸の平和そのものが脅かされることになる」
「大陸の、平和」
私がつぶやく声に、ヴァレンシアは力強くうなずいた。
その目が、一瞬、ここではないどこか、私ではない誰かを見た気がした。
沈黙が落ちた。
私は黙りこくっていたが、やがて目を伏せてヴァレンシアに尋ねてみた。
「なんで……今、その話を私に聞かせたんですか?」
そう言うと、ヴァレンシアは茜差す夕陽の中で苦笑を浮かべた。
「……やっぱり、途中から、気付かれちゃうか」
そう言って笑みを消すと、ヴァレンシアはじっと私を見詰めた。
彼女の淡い青灰色の瞳を初めてまっすぐに見た。
「最初に会った時から思ってた。イサリカ、私の〈黒き塔の旅団〉に入って探索者にならない?」
〇
「……私は、単なる町の修道女です」
私はすぐにかぶりを振ってヴァレンシアの勧誘を打ち消した。
「ヴァレンシアの、皇女の、探索者集団に入るような、大それた力なんて……」
「……まあ、私も、イサリカが言われて『はい、そうですか』って承諾してくれるなんて少しも思ってなかったんだけどね。でも、話を聞いて欲しい」
そう言って、ヴァレンシアは自分の周りの墓を見回した。
「ここが、そうだよ」
「えっ?」
「〈黒き塔の旅団〉に入って、そして命を落とした仲間たちの墓」
ヴァレンシアの静かに告げる声に、私は言葉を失う。
「気の休まる場所とかないの?ってさっき聞いたよね」
ヴァレンシアは目の前の墓標にかぶった砂埃を払って、かすかにうつむいた。
「何か考える時や、判断に迷った時は、ここに来る。そういう時はミラも残ってもらって、一人で色々な事を考える。……気が休まるってわけじゃないかもだけど」
そうして、ヴァレンシアは夕闇の迫る中、私を振り返った。
「私と初めて会った日のこと、覚えてる?」
「酒場で会って……私は、昼間も通りでヴァレンシアを見かけて……」
私がその時の記憶を思い起こしていると、ヴァレンシアが小さく苦笑した。
「実はその時も、ここに来てたんだ」
「えっ」
「今回は無事に全員が探索から帰ってこられて、その事自体は喜ぶべきだけど、それとは別に思う事もあったから」
ヴァレンシアはそう言って、改めて私を見た。
「その帰りに見たんだ。門の所でイサリカを」
「それって……」
「うん。流民の親子を、衛兵を説得して街の中に入れてたの、見た」
「でも、あれは……あそこから、大通りに……」
「私は街の近道をいくらでも知ってるし、それに普段から足腰も鍛えてる」
得意げに胸を張るヴァレンシアの姿に、私は、とっさにどう反応すればいいか分からずに固まった。ヴァレンシアはそんな私の反応をかがうように見詰めた
「今まで黙っていて、ごめん。イサリカが聖女だって事も、癒しの力を持ってる事も知ってる」
その言葉にすっと背筋が冷えた。
「だったら……」
私はごくりと唾を呑み込んで、浅くなりかけた呼吸を抑えた。
「なおのこと……誘いを受けるわけにいかない。私は……私の力は……」
──歪んでしまった。忌まわしい、〈歪みの聖女〉の力だ。
「……と、とてもじゃないけど、ヴァレンシアの助けになるとは思えない。だってあれが精一杯、今の私にできることだから……」
軽い体の変調や小さな傷の痛みを和らげることなら、なんとか歪みを生じさせないでできる。でも、探索者に同行して緊迫した状況で傷や病を癒すのは──
だがヴァレンシアは私のことを少しも疑っていないまっすぐな目を向けた。
「私は、〈黒き塔の旅団〉の代表として、ここに眠る仲間を増やすわけにいかない。そういう責任からもイサリカを勧誘してる。でもね……」
ヴァレンシアの眼差しはひた向きだ。
なのに私は、それを真っすぐ見返すことができない。
「あの時、困っていた流民の親子を助けた時、イサリカは自分が正しいと信じて、なんの打算もなくそうした」
ヴァレンシアはそう言って、笑みを浮かべた。
いつもの太陽のように明るく快活なそれではない、はかないような切ないような、そんな微笑みを。
「そんなあなただから私は……そばにいて欲しいと思ったんだ」
ヴァレンシアのその言葉と同時に、西の山の端に夕陽が落ちた。
私とヴァレンシアの周りをすうっと夕闇が包んで──私はうつむいた。
「……無理。そんなことで、安請け合いは……できない」
私は背中を向けて墓場の外へと去る。
これ以上、ヴァレンシアと一緒にいるのは限界だった。
感情が──
重い足取りで逃げるようにヴァレンシアから離れていく。
彼女の顔を見られない。気落ちしているのか、失望しているのか。
墓場の外へ出ると、背中から声が掛かった。
「一か月後に、私たちはまた迷宮に潜る」
ヴァレンシアは声を張り上げたわけでないのに、夕闇に吹く風の中大きく響いて、私の耳に入ってくる。
「待ってるよ、イサリカ。私は。誰がなんと言っても」
彼女の声から逃がれるように、私は足を速めてその場を立ち去った。
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