第二話 聖女は皇女と街を巡る

 「ちょっと見なかったけど、街には慣れた?」

 「ええ、まあ……」


 私は。広場の石垣に腰かけ揚げパンを頬張るヴァレンシアの横で、屋台で買った、芋と小麦粉を丸めた団子の浮いたスープを匙ですくってうなずいた。


 ヴァレンシアも気にはなるのだけど、私は少し離れた場所に立つ人物を盗み見た。


 そこに、前に〈猫の手亭〉でも見かけた、鏡のように磨かれた仮面の人物が腕組みして、彫像のように微動だにせずに立っていた。


 「ああ、ミラのことは気にしないで。私のお目付け役みたいなものだから。いつも、あんな調子で付かず離れずいるだけだから」

 「はあ……」


 そうは言っても──気にはなるのだが。


 でも、そんなミラと呼ばれた仮面のお目付け役や、気まずそうに身を縮める私の存在に係わらず、広場を通りがかった多くの人がヴァレンシアを目にすると声をかけてきた。


 それに対して、「やあ、こんちは!」とか「今日も元気だねぇ!」とか、ヴァレンシアは快活に笑って片手を振り返す。


 顔が売れているだけではない。知り合いが多いのだ。


 青空の下、木の棒を持って何か芝居じみたことをしながら笑いさざめく子供たちを見かけた時には私に揚げパンを預け、彼女も子供たちに混ざって遊んでいた。


 「やあ、ごめんね。待たせて」


 ヴァレンシアが戻ってくると、その頬に土埃が付いているのに気が付いた。


 「汚れてますよ」と、私は一度、食べ物を石垣の上に置いて懐から取り出した布でその頬をぬぐった。


 ヴァレンシアは子供のように目を細め、私が汚れを取るのを任せている。


 つかず離れずの距離で、ミラがこちらを見ているのに気付いた。

 鏡のような仮面の中央に十字の切り込みが入った、その隙間からじっとこちらを観察している視線を感じつつ、私はヴァレンシアの頬から手を離した。


 「ありがとう」


 そうにっこりと笑って、ヴァレンシアは自分の揚げパンを手に取る。

 そして、また私と並んで広場の石垣に腰を下ろした。


 ヴァレンシアに声をかける人の波が途切れた。

 私は、明るい日の降り注ぐ広場の噴水の彫像を見ながら、口を開いた。


 「知り合いが、多いんですね」

 「まあね。最初来た頃は、みんな遠巻きにしてる感じだったんだけど」

 「それは……」


 皇女だから、と言いかけた私は一度、口を閉ざして食べ終えたスープの椀に目を落とした。


 「気の休まる暇が、ないんじゃないですか?」


 代わりに、ぽつりとつぶやくように口にした私の一言に、ヴァレンシアは少し意表を突かれたような表情で私を振り返った。

 そうして、少しだけその目にかげりのような物を映して、微笑んだ。


 「……今日は少し元気がないね。何かあった?」


 「いいえ」ととっさに口にして、目の前をよぎった血だまりの色に口ごもる。


 「大したことじゃ……」


 そう答えてうつむくと、不意にヴァレンシアが手近に置いておいた私の荷物を振り返り、残った揚げパンの欠片を口に放り込み飲み込んだ。


 「買い出しの荷物?」

 「はい」


 私がうなずくと、止める間もなく買い出しのリストの書かれた紙をヴァレンシアが手に取った。私が「あっ」と声を上げるのも構わず、目を通したヴァレンシアがうなずいた。


 「けっこうあちこち行くんだね。大変じゃない?」

 「今日、一日……〈ソルディム〉の街を見て回るのと一緒に頼まれて……」

 「なるほどね。それだったらかなり余裕があるね」


 そう言うと、ヴァレンシアは「よし」とうなずいて石垣から立ち上がった。


 「それじゃあ、そろそろ行こうか」

 「えっ?」


 私が首をかしげると、ヴァレンシアが雲一つない今日の天気のような快活な笑みを浮かべて私を見詰めた。


 「買い出しの続き。街を見て回るのなら私も一緒についていって色々と教えるよ」


 〇


 ヴァレンシアに半ば強引に連れられて、私は残りの買い出しを進めた。


 おいしい砂糖菓子の売っている屋台、静かで見晴らしのいい高台、手頃で手持ちの心許ない時に重宝する食堂、こまごまとした日用品や服を買うのに便利な店、親切な船頭のいる水路の船着き場──


 ──そういう街暮らしに知っておくと便利な場所や名所を、私に教えながら、順調に買い出しを進めていく。


 その間も、ヴァレンシアは行き交う人々に挨拶されて、それに対して笑顔で返事をする。


 私は相も変わらず付かず離れずの距離にいるお目付け役のミラをかえりみたが、それが常普通のことなのか、特に反応もなく淡々と歩いていた。


 皇女として、腕利きの探索者として──常に人の目にさらされるとはどういう気分なのだろう?


 思わずそんな事を考えて、ヴァレンシアの晴れ渡る陽の光のような笑顔を斜め後ろから、私は見詰めていた。


 (……だめだ。何考えているの……)


 私は、うつむいて唇を噛み締めた。


 ヴァレンシアに近づくのは、彼女から情報を集めて最後にはその命を奪うためだ。

 私の手で──


 私自身の手で──それを、やるんだ。


 そう思っていると、ふとヴァレンシアが私を振り返った。


 「これで買い出しは全部かな?」

 「えっ……?」


 ヴァレンシアが私の顔をのぞき込んでくるのに、思わず身を引きながら、左手の手首を反射的につかんだ。


 慌てて買い出しのリストと、手に持った荷物の中身を検めてうなずく。


 「はい。これで、全部……」


 私は気を落ち着ける為に息を吐いて、これ以上表情をのぞきこまれないようにヴァレンシアに深く頭を下げた。


 「その、助かりました。お陰で、早く終わって……」

 「そうだね。あちこち寄り道したけど、結果的に早く終わったかな」


 ヴァレンシアは満足げにうなずいて、私の方に歩み寄る。

 そうして、おもむろに私の手首をつかんで満面の笑みを浮かべた。


 「元々、一日、買い出しに使うつもりだったんだからまだ時間、あるよね?」

 「えっ?」

 「付き合って欲しい場所、あるんだ」

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