第四話 聖女は暗部の先達と出会う

 結局、その日はそれ以上店を続けるわけにいかなくて、ドットルとフレンタの二人と一緒に店に入っていた客に詫びて、店を閉めた。


 「あいてててて」


 その場では気丈に振る舞っていたけど、倒れた時に腰を打ったらしいドットルがカウンター近くのソファの上でのびていた。


 「無茶しやがって。アグリスが来た時は遠慮しねぇであたし呼べって言ったろ」

 「最初っからおめぇをアテにできっかよ。店もやってかなきゃならんのに……」


 ドットルの腰の上に、呆れ顔で氷嚢を当てているフレンタに、私は声をかけた。


 「あの……」

 「昔、ここら辺を取り仕切ってた悪党だよ、あの男は」


 私が物問いたげな視線を送ると、フレンタが肩をすくめて答えた。


 「ちょっと前までこの辺りは色町だったんだよ。色町って分かるか?修道女様」

 「あっ、えっ、その……」


 私は口ごもる。

 大きな町で住んでいたら、不用意に近づいてはいけない場所とか、それとなく子供なりに薄ぼんやりとはそういう知識は与えられるわけで──


 フレンタは再び肩をすくめて口を開いた。


 「その時の顔役だった男が、あいつだったんだよ。正直、その頃はこの辺一帯は〈ソルディム〉でも有数の悪所でね」

 「あいつ自身も探索者で……ある時、探索者の間で示し合わせてな、迷宮の中で奴をとっちめたんだよ」


 腰をとんとんと軽く叩いてうめきながら、ドットルが後を受ける。


 「そんな事が、あったんですか」

 「そう。それで、一時の勢いを失った奴から、今度は町の連中で奴のシマを買い上げて力を失わせたってわけ」


 こうなった以上は、フレンタも私に隠しておけないと思ったのか赤裸々にそういった事情を説明してくれた。


 「まあ……そういう状況になっても、大人しく引っ込んでるような奴じゃないってのは、今日見た通りだよ」

 「もう今日は仕掛けてこねぇと思うが、イサリカも店にいる時は用心しろ」


 腰を冷やしながら、ドットルが一つ息を吐いて私を見上げた。


 「間違っても自力でなんとかしようとか思うなよ。そんなのが通用する相手じゃない。俺やフレンタがいない時は、きちんと戸締りをして、何かあったら衛兵の詰め所に一目散で駆け込め」


 「でも……」と私はうつむく。


 ──この店の経営が苦しいのは少なからず、あのアグリスという男の嫌がらせが原因だというのは、今日、事情を知ったばかりの私にも分かることで──


 「いいから、言うとおりにしな。イサリカ」


 フレンタがきつい眼差しを私へ向けて腕を組む。

 ソファの上で、ドットルも毛むくじゃらの顔をうなずかせた。


 「あいつは話の通じるような相手じゃない。……欲望に取り憑かれた悪鬼だよ」


 ドットルが重々しく告げる声が、私たち以外に誰もいなくなった酒場の中に響き渡った。


 〇


 〈ソルディム〉に着いたその日から、色々な出来事があったせいだろう。

 その日は部屋に戻るなり、ほとんど部屋の内装などを見る余裕もなくベッドに倒れ込んであっという間に眠りに落ちた。


 目が覚めた時には、窓のかなり高い角度から陽が差し込んでいた。

 もう昼近くのようだ。慌てて持って来た鞄から出した修道服の替えに着替えて身なりを整える。


 私物は、数えるほども持っていない。

 小さい頃から使っている身の周りの品や着替えだけ棚に出して、後は鞄に入れたまま部屋の隅に置いておいた。


 厨房の裏に続く急な階段を下りていくと、厨房の方に人の気配がした。


 のぞき込むと、既にドットルが出て夜の仕込みを始めていた。


 「……よう、ゆっくり休めたようだな」


 金緑の虹彩の瞳がこっちを向いてそう低く告げるのに、私は思わず顔を赤らめた。


 「あのっ、店の前の、掃除……やっておきますから……っ」

 「ああ、頼む。ついでに今の内に看板を出しておいてくれ」

 「はいっ」


 私は慌ててほうきとちりとりを持って店の前へ駆けていく。

 店の外に出ると、水路の上を吹き渡る爽やかな風が香った。


 他にもドットルに言われた仕事をこなして店内に戻ると、ドットルが「ご苦労さん」と告げて、カウンターの上にパンと何か煮込み料理を出した。


 目をしばたいていると、ドットルが「まかないだよ、食っとけ」と短く告げてまた厨房へと引っ込んでいった。


 「……この煮込み料理……」


 じっくり見たわけではないけど、昨晩、ヴァレンシアが食べていたのと同じ物だ。

 食前の聖句を唱えて匙を手に取ると、湯気の立つ深皿の中の料理にとりかかる。


 匙を手に取って一すくい、食欲をそそる芳香を放つ濃い琥珀色のスープとそれに浮かんだ野菜や、よく煮込まれてほぐれやすくなったすじ肉を口に運ぶと、滋味のありそうな絶妙な味わいが口に広がった。


 「……おいしい」


 気が付くともう一すくい、自然と手が伸びていた。

 気の済むまで煮込み料理を口に運んで、ふとカウンターを見ると、出されたパンに全然手を付けないまま食べきってしまった。


 行儀の悪い行いに誰が見ているわけでもないのに気恥ずかしく思いながら、パンと千切って口に運ぶ。


 カウンターの炊事場で皿を洗って厨房に戻ると、そこで大なべをかき混ぜていたドットルの背中に声をかける。


 「あの、ごちそうさまでした」

 「おう」

 「……美味しかった、です」


 少し迷って私が言い足すと、ドットルの金緑の瞳が肩越しに向けられた。

 ただ、小さく肩をすくめるとそのまま鍋をかき混ぜる作業へ戻った。


 「あの、今日は、教会の方へ、顔を出してきます」


 私が切り出すドットルは「分かってる」とうなずいた。


 「一通り、お手伝いをして夕方の祈りに顔を出して帰ってきますから、夜には戻ってきますので……あの……」


 なんとなく身の置き所がない気分で口ごもるが、ドットルは気にした風もなく料理の仕込みを続けていた。その様子に、ちょっとだけ安心したような、拍子抜けしたような気分で、口を開く。


 「いってきます」


 そう告げると、ドットルは「おう」と短く片手を挙げた。


 〇


 〈大陸正教会〉の教会の建物には一応、守るべき様式というものがある。


 特に鐘楼しょうろうを備えた背の高い尖塔は、一日の時間や場所の目安になるので、どの教会の建物にも大抵あるものだ。


 だから、なるべく大きな通りに出て、困った時は頭上を見上げて教会の尖塔を探せば目印になる。それ位は、私も町の暮らしになれているので、目的の教会までは迷わずにたどり着けた。


 〈ソルディム〉のような異種間戦争時代の終わった後に繁栄した街にあるのは、多くが私の属する〈コルバン派〉の教会だ。


 別に他宗派との折り合いが悪いとか、露骨に敵視しあっているとかいうわけではないのだけど、自分の属する宗派以外の教会は少し敷居が高いとは感じる。

 〈ソルディム〉の街にいる間は、そういう気苦労は味わう必要はなさそうだ。


 教会の敷地に入って、近くにいた修道士に事情を話すとスムーズに教会の主である司祭と面通しと挨拶が済んで、あっさりと受け入れられた。


 礼拝堂の掃除と水汲みを早速任されたので、とにかくすれ違う修道士や修道女に会釈をして溶け込む努力をする。


 ただ、教会の暗部に係わる私の場合、それだけで済むわけがなかった。


 水汲みに中庭の井戸に出た所で、生け垣の手入れをしている修道女とすれ違った。


 会釈をすると、細くすがめるような目付きをしたその修道女が、ヴェールから一房こぼれた白金の髪を揺らして会釈を返した。


 「あら、どうもこんにちわ」

 「今日からこの教会のお手伝いに参りましたイサリカです。よろしく」


 年上に見えたが、畏まる相手でもなさそうで、簡単に名乗って井戸へ向かう。


 すると手入れを終えたらしいあの細目の修道女がにこにこしながら近づいてきた。

 何気なく彼女を振り返った瞬間、そのほっそりした手が私の肩に置かれた。


 なんだろう?と思ってみじろぎしかけた体がびくとも動かない。


 修道女のその手には全く力が込められているように見えないのに、完全に動きを封じられていた。


 これは──


 驚愕に目をしばたき、その修道女の顔を見上げると、彼女はにこやかに微笑んだまま、すっと私の耳元に唇を寄せた。


 「三日後の夜、店が終わった後で迎えに参りますね」


 何気ない口調でそう告げられ、私が見詰める先で、細目の修道女は再び私に向けて会釈をし、背中を向けて教会の建物へと歩き去った。

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