第三話 聖女は諍いを目撃する

 カウンターのそばまで戻ると、そこに置いてあった水差しから、思わずグラスに水を注いでそれをごくごくと喉を鳴らして飲み干した。


 今ばかりはうまく取り繕える自信がない。


 心と体が静まるまで、客のいないカウンターに突っ伏すように両手を突いた。


 (何をやってるんだろう。私は……)


 怖気づいたわけではない。そうだとは思わない。


 (……もう少し、情報を集めてから。改めて、教会の指示を仰いでから……うん、それで遅くはない)


 だって、既にヴァレンシアとは接点を持って──

 幸いなことに、向こうは私に興味を持っているらしいのだから。


 (そうでしょ……この街に来たばかりでこれだけの成果を上げられたんだから、上出来じゃない。これから先、相手の懐に潜り込みやすくなったんだから)


 私はもう一杯だけ水を注いで、今度はゆっくりと一口だけ口に含んだ。

 ごくりと喉を鳴らして飲んで、胸に手を当てる。


 「うん……大丈夫。思いも寄らない展開に動揺しただけ。情報も集められて、疑われるような振る舞いもしてない……大丈夫、大丈夫」


 そう口の中でつぶやくと、ようやく平静さが戻ってきた。

 改めて店内を振り返ると、注文がそろそろ増えてきそうな様子だった。

 ドットルさんたちに声を掛けたほうがいいかもしれない。


 そう思って、カウンターの奥へ向かおうとした時だ。


 厨房の奥から大きな物音と、押し殺したような悲鳴が聞こえた。


 私はぎょっとして、慌てて厨房の奥へと走っていった。


 〇


 ──「……俺にそんな口を聞けるたあ、えらくなったもんだなぁ、ドットルよ」


 厨房の中に駆け込むと、厨房の奥にある裏口に数人の男が店の中に入り込んできていた。彼らの前には床に倒れ込むドットルと、男とドットルの間に割って入るフレンタの姿が見えた。


 「あのっ、なに、が」


 私が声をかけようとすると、フレンタが鋭くこちらを振り返った。


 「いいから!あんたはこっちに来んじゃない!」


 厨房に入ろうとした途端、フレンタの声が鋭く飛んできた。

 思わずびくっと足を止めた私を「おやぁ?」と二人を見下ろしていた男が顔を上げて、目を向けた。


 「なんだぁ、お前ら、こんなちっこい店で新しく人を雇ったのかぁ?」

 「……てめぇには関係のねぇことだ、アグリス」


 ドットルが、切れた口の端をぬぐって立ち上がる。


 「関係ないってこたぁねぇさ。俺ぁここいらを取り仕切ってんだぜ?」


 そう言って私の方を値踏みするような視線を向ける男。

 派手な身なりをした大柄な男で、露骨に威圧するような振る舞いをしていた。


 私が見ている目の前で、じろじろと無遠慮に私を見下ろしたアグリスと呼ばれたその男はにやにやとしまりのない笑みを浮かべた。


「まだ体付きも物足りんガキだがそういうのが好みの客層もいるしなぁ。どうだ、嬢ちゃん、こんなしけた店は辞めて、俺の店で働かねぇか?よっぽど稼げるぞ?」

 「……おい、ふざけんな。さっきからべらべらと」


 私をその男の視線からさえぎるようにフレンタが立ち塞がる。

 それを見て、ドットルがフレンタと共に男に向き直った。


 「アグリス……あんたがなんと言おうとこの土地と店は、俺が金を出して買った土地で、俺が建てた店だ」


 ドットルがぐっと顎を引いて大柄な男を睨んだ。


 「あんたの顔色を窺う必要なんてないし、あんたに従うつもりもねぇ。構うだけ無駄だ。さっさと帰れ」

 「……ああ、そうかよ」


 ドットルとフレンタの二人を見下ろして、男がすうっと目を細めた。


 「おい」と、周りの男たちに目配せをする。

 その途端、周りに引き連れていた男たちが手当たり次第に店の中を破壊し始めた。


 「ちょっと!何を……!」

 「馬鹿、そこを動くんじゃねぇっ!」


 さすがに見ていられず男たちを制止しようと厨房に足を踏み入れると、フレンタの厳しい声が飛んだ。でも、私も目の前で店を破壊される様を見て、居ても立ってもいられなかった。


 とっさに、自分の左手を見下ろす。

 ばれないように──やるしか──


 左手の手袋を脱ごうと指でつかんだ時──


 ──「下がってて」


 突然、私のすぐ横を疾風のような影がよぎった。

 そして、厨房を目にも止まらぬ速さで横切ったその影は店を手当たり次第に破壊しようとしていた男たちを、瞬く間に次々と打ち倒してしまった。


 フレンタも、ドットルも──私も。

 本当に何もできない間の出来事だ。


 「っ、てめぇ……っ!」


 大柄なあの男が歯を剥いて唸り声を上げていた。

 その喉元に、鞘に入ったままの細剣レイピアの切っ先が当てられていた。

 私は思わず目をしばたいた。


 「ヴァレンシア……皇女……」

 「こっちは仲間内で慰労会を兼ねた食事をしてんの」


 細剣の柄を逆手に持って、素早く次々と男たちを打ち倒したヴァレンシアはアグリスと呼ばれた男の顎先をぐいっと、鞘の先で押し上げた。


 当然、鞘から抜かれていればアグリスという男も、その引き連れた男たちもただでは済んでいなかったはずで。


 「騒がしくされると気が散る。文句があれば、いくらでも相手になるから外へ出よう?」

 「……ぐっ。いたのかよ、皇女様」


 アグリスと呼ばれた男は、ヴァレンシアを悔しげに見下ろす。


 「あんた、この辺りの店からしつこく金を巻き上げてる野郎だよね」

 「ここは元々、俺のシマだ。てめぇらに口出しされる筋合いは……」

 「でも今は違うってことでしょ」


 ヴァレンシアが口調鋭く切り返すのに、アグリスと呼ばれた男が口をつぐむ。

 アグリスが退いて厨房の裏口から出ていくまで、ヴァレンシアは油断なく柄に入った細剣の切っ先を向けていた。


 アグリスの引き連れていた男たちが、したたかに打った頭や手足を押さえてアグリスの後に続いて店を出て行く。


 「……てめぇのやった事は忘れねぇ。いつか必ずこの借りは返すからな」


 凶悪に歯をむき出しにうなるアグリスに、つまらなさそうにヴァレンシアは鼻を鳴らす。


 「この街にあんたみたいなチンピラがどれだけいると思ってんの。そういう言葉はもう聞き飽きたよ」

 「……物見遊山気分の皇女様がよ。いつか絶対後悔するぞ」


 最早アグリスに取り合うつもりもない、白けた表情でヴァレンシアは腕を組む。


 「このしけた店の連中もなぁっ!」


 そう吠えるように言い残して、アグリスは男たちを連れて去っていく。

 厨房の裏口の扉が半端に開いて風に揺れているのに、私ははっと我に返ってドットルやフレンタに駆け寄った。


 「あの……平気ですか?」

 「俺は平気だ」


 手で顔をぬぐって、ドットルはフレンタを振り返る。

 フレンタの方もやれやれとばかりに息を吐く。


 二人の様子を確かめて──私は背後のヴァレンシアを振り返る。

 彼女は腰に細剣の鞘を戻して、静かな苦笑を浮かべた。


 「あの……」

 「騒がせて、申し訳ありません」


 私が何か言うより先に、ヴァレンシアが口を開いた。


 「店の中まで聞こえてくる位、あの男の声がうるさくって、つい我慢ができませんでした」

 「それは……」


 あくまで客同士の揉め事として処理する物言いに、私は何も言えなくなる。


 「今日はもう仲間と一緒に帰ります。お金は、十分に置いていくので。ご迷惑をおかけして、重ね重ね申し訳ありませんでした」


 ドットルもフレンタもそれに対して何も口を挟まなかった。

 私が言葉を失って彼女の背中を見送っていると、ヴァレンシアは言葉通りにカウンターの上に十分な量の銀貨を置いて店内へと戻っていった。


 しばらくして、不満そうな仲間たちを引き連れて皇女は店を出て行った。


 その背中を見送っていると、私の視線に気づいたヴァレンシアが肩越しにこちらを振り返り、決まりが悪そうな笑みを浮かべて扉の向こうに消えていった。

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