第二話 聖女は皇女と出会う

 〈猫の手亭〉が、皇女ヴァレンシアをはじめとする探索者集団、〈黒き塔の旅団〉の行きつけの店であることは、事前に教会から知らされていた。


 ただ、彼らは腕利きの探索者であり、迷宮に潜っている期間も長い。


 行きつけと言っても、当然のことながら街にいる間、毎日通っているわけではないし、常にヴァレンシアが訪れるとも限らない。特に理由もなく足が遠のく可能性だってあるだろう。


 私が〈猫の手亭〉に住み込んで働くのは、ヴァレンシアと接点を持つ可能性を高めるための策の一つであり、私だって、迂遠うえんなその手段が目的に繋がるとは限らないことは理解していたはずだ。


 だけど──


 私は、自分の背後で探索家の仲間と酒杯を打ち合わせ、談笑しているヴァレンシアを肩越しにうかがい見た。


 数人の仲間相手に、テーブルを囲むヴァレンシアはくつろいだ様子でいる。


 気を許した相手同士だからか、ひどく無防備で──


 ──「あいつら有名な迷宮探索者の集団だよ」


 不意に、すぐそばでざっくばらんに声をかけられて顔を上げると、フレンタが私を見下ろしていた。下手にとぼけたりしたらボロが出そうで、私は慌てて口を開いた。


 「知ってます。昼間、大通りを通ってる所を見ました」

 「ああ、あんたも見かけた?」


 フレンタは腰に手を当ててヴァレンシアたちのいるテーブルに目を向ける。


 「あそこにいるのはその中心メンバーってところ。たまにああして、ごく限られた身内同士の慰労会とか親睦会とか……そんなのをうちでやるんだよ」

 「そう、なんですね」


 私がぎこちなくうなずくと、フレンタは店内を見渡した。


 「一通り注文が行き渡ったな。一息つけるようならついていいぞ」


 そう言って、フレンタはカウンターの方を振り向いた。


 「ドットルの奴は厨房に引っ込んでんな。何か用事がないか聞いて来るから、イサリカはこっちにいろ。何かあったら厨房の方にいるから、声かけろ」


 てきぱきとそう言い置いて早足にカウンターの奥へ向かうフレンタを見送って、私は言われた通りに店内を見渡せる場所に立って店内の様子を確かめた。


 と言っても、やはりヴァレンシアたちのいる一角に視線が吸い寄せられる。


 なんとなく、店内の他の客もその集団を気にかけているように見えた。

 それだけの存在感があるのを感じた。


 それとなく、私は左手のいつもつけている手袋に目を落とした。

 普段は不用意に直接誰かに触れないように付けているものだ。

 不自然にならないよう、さりげなく外しておこうか。


 でも──と、判断が付かず考え込んでいると、突然、その左手を前から伸びてきたほっそりとした手に握られた。


 「えっ?」


 思わず息を呑んで顔を上げると、目の前で蜂蜜色の髪が揺れていた。


 「君、新しく入った子だよね?」


 この大陸を統治する血筋に連なると思えない気さくな笑顔。

 高貴な身分に似つかわしくない素朴な朗らかさを発する少女が、私の左手をつかんでいた。


 「ヴァレン、シア……皇女」

 「あっ、私のこと、知ってるんだ?」


 思わずその名をつぶやく私を、嬉しそうに目を細めて見ている。

 慌てて視線をそらすと「ちょっと来て」とぐいぐいと手を引っ張られる。


 呆気に取られた私は、成り行きに逆らえず、その手に引かれるしかなかった。


 〇


 ──なんなんだろう。


 「そうか。イサリカ、っていうんだ。〈大陸正教会〉の仕事でこの街に呼ばれて、普段はこうして酒場を手伝っている」

 「……そうは言っても、今日街に着いたばかりです。こういう仕事も、初めてで」

 「そっかぁ、それじゃあ慣れない事も多いんじゃない?」

 「いえ……その……」


 ──なんなんだろう、この展開は。


 私は、少しの間話し相手になって欲しい、と呼ばれて席に着いている。

 ──ヴァレンシアたちの、テーブルに。


 「他のお客さんの注文があったら、厨房に行かないと、ですし。そろそろ」

 「まあまあ、その時はちゃんと解放してあげるからもう少し付き合ってよ」


 逃げるように、と言うよりまさしく逃げようと席を立ちかけると、ヴァレンシアに引き留められる。彼女も少しお酒を飲んでいるのだろうか。距離が近い。


 「イサリカはお酒はどうなんだ?飯は何かいる?」


 そうすると、私を挟んで元々、ヴァレンシアの隣にいた獣人種──の少年が私に話しかけてくる。まだあどけなさの残る顔立ちは人間そのもので、しなやかな体付きと頭頂部にあるぴんと立った耳は獣人種の野性味を感じさせるが、全体的にまだまだ幼さが勝つ雰囲気だった。


 「あ、えっと……」


 私が困惑していると、テーブルの上に危ういほど身を乗り出した獣人種の少年を横からすっと伸びた腕がさえぎった。


 「なんだよー、ミラ、イサリカと話してるのに邪魔すんなよ」


 獣人種の少年が不満げに振り向く先を見て、私は思わずぎょっとした。

 店の明かりの届かない薄暗がりの席で、給仕をしている間は見えていなかったのだけど、顔を覆う仮面の人物が腰かけていた。


 振り向くこちらの顔がうっすらと映って見えるほど磨き抜かれた銀色の仮面。

 顔の中心にすっと十字の切り込みが入ったような隙間から、辛うじて鋭い目付きが垣間見えた。


 獣人種の少年は不満そうにしていたが、その鏡のような仮面の人物が何も言わずじっと顔を向けるのに「ちぇっ」と幼い不満をもらす。


 「なんだよー、飲み食いもしない癖にいつもいつもついてきやがってー」

 「馬鹿だの、リュッカ。〈大陸正教会〉の修道女が酒や肉はだめじゃろ」


 仮面の人物の隣に腰かけたあごひげの短躯の男性──〈鉱精霊ドワーフ〉の逞しい男が腰かけていた。こちらを向いて、温和な表情を浮かべる。


 「ジオは黙ってろよー」

 「何を言っておるか未熟者。無理を言ってすまなんだの、修道女殿」

 「いえ……」


 獣人種の少年を制止する〈鉱精霊〉のその男性に、私はかぶりを振って、言うべきかどうか迷ったが結局口を開いた。


 「私が属している〈コルバン派〉は飲酒や肉食に関しては寛容です。別に禁止されているわけじゃありません。ただ、私はまだ酒を飲める歳じゃなく……」

 「ほう、〈コルバン派〉ねえ……」


 更に奥の席から声がかかってそちらを振り向いた私は、エールのジョッキを置いたその青年の身なりを見て、どきりとした。


 同じ〈大陸正教会〉の聖職者と分かる服を身に纏った、いかにも油断ならない顔つきの男だった。〈大陸正教会〉の聖職者が探索者の集団に加わっている事自体は何もおかしい事ではないけれど──


 「確かに、教条が比較的寛容な〈コルバン派〉は都市部で信徒を増やしているし、この〈ソルディム〉の街にも教会は多い」


 「だが」と、その男は椅子のテーブルの上に肘を突いて、私をじっと見た。


 「〈コルバン派〉は教会の暗部とも距離が近い。よくない噂を聞くことも多い」

 「ちょっと、カティス」


 ヴァレンシアがいさめるような声を上げても、その男は私を見ている。私は一瞬、怯んだが──その視線を受けて背筋を伸ばした。


 「……厳格な教条の〈シカリィ派〉の神官殿には、私が胡乱な者のように見えるみたいですね」


 私が言い返すと、男の鋭く弧を描く眉がくいっと持ち上がった。


 「でも、教会から破門された人に言われる筋合いではありませんよ。〈シかリィ派〉は飲酒を厳格に禁じてますし、素行の悪さで破門にされたのでは?」


 そう言うと、私の向かいに座っていたその男は不愉快そうに顔をしかめた。


 「いじめてやるつもりがすっかり言い負かされおるわ、残念じゃったのう」

 「……うるせえ」


 すると、その横から小柄な、私の胸の辺りまでしか背丈のない黒髪の──少女と見まがう華奢な女性が果実酒のグラスを置いて、ぶらぶらと足を揺らした。


 「イサリカと言ったか?すまんのう、うちの皇女が興味本位で連れてきて」

 「あっ、ちょっと、マツリハ」


 ヴァレンシアが困り顔で言うのをマツリハと呼ばれたその──精霊種の女性が「いい加減にせい」とあきれ顔でヴァレンシアを振り向いた。


 「他人に興味をもつのはいいが、弁えよ。既に我らもこの街で恣に振る舞っていい立場ではないのじゃぞ」


 どういう立場なのか知らないが、その女性が言うとヴァレンシアが目に見えてしゅんとしおれてしまった。


 「それは、そうだね。……うん、ごめんね」


 ヴァレンシアがすっと私に向き直り、頭を下げる。


 「ちょっとあなたの事、気になっちゃってさ。知り合いになりたかったんだけど」

 「あっ、えっ……」

 「ちょっと慌て過ぎたね。ごめん、引き留めちゃって」


 申し訳なさそうなヴァレンシアに、私は思わず目を伏せる。

 手袋を付けたままの左手がうつむいた視界に入る。


 (……こんな仲間が大勢いる所で、わざわざやらなくても……)


 私は一つ、息を吐いて、かぶりを振った。


 「……いいえ。誘ってくれて、嬉しかった」


 私は右手でヴァレンシアの肩にそっと触れて、彼女に微笑みかけた。


 「よかったら、また声をかけてくれると、嬉しいです」

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