第34話

 前のめりに倒れたラヴラは、咄嗟に両手をついた。地面で擦れた手のひらと膝、撃たれた太ももがじわじわと痛み始める。だが痛みを味わっている場合ではない。くるりと仰向けになると、小屋の二階の窓から体を乗り出してピストルをこっちに向けている男が見えた。


「――大丈夫!?」


 火事の混乱で銃声に気が付かなかったのか、人ごみから飛び出してきた若い女がラヴラに駆け寄ってきた。


「駄目だよ、こっち来ないで――」


 そう叫んだが遅かった。駆け寄ってきた若い女はラヴラの目の前で撃ち抜かれ、血しぶきを降らせて横たわった。ほんの少しの間は混乱に満ちた瞳でこっちを見ていたが、すぐにその目から光が消えた。


「どうして? ただの住民なのに、殺さなくてもいいじゃん」


 腹の底からふつふつと熱が沸き上がった。怒りで血が頭に登り、逃げなければいけないということを忘れてしまったようだった。ラヴラは二階からこっちを狙っている男をギロリと睨みつけた。男は構えていたピストルに弾を装填しなおすと、銃口を若い女からラヴラの方へと向けた。ラヴラはまだピストルを構えてさえいなかったし、そもそも弾が無かった。


 ドン、と重い発砲音がした。引き金の引かれなかったピストルは、ラヴラの手からすべり落ちた。早い呼吸を繰り返しながら両手で胸にそっと触れた――が、血は出ていない。慌てて肩や腹にも触れたが、痛むのも血が出ているのも、さっき撃たれた太ももだけだ。ドスンという音がしてそっちを見ると、彼女を狙っていた男が二階の窓から落ちて地面に横たわっていた。しばらく警戒してそっちを見ていたが、男はもう動かなかった。


「ラヴラ、無事!?」


 聞きなれた声。人ごみの中から飛び出してきた煤だらけのパルが、転びそうになりながら駆け寄ってきた。パルはラヴラの横にしゃがみ込むと、彼女の怪我を見て泣きそうな顔になりながら慌てふためいた。


「どうしよう、怪我してる! そうだアミスさんの鞄に何か入ってるかも!」


 そういって両手に持った鞄を地面に置いたところで、ラヴラがその手を止めた。


「ねえ、どうしてここに居るの?」

「どうしてって――そりゃあ、ラヴラが僕たちのことを置いていくから追いかけてきたんだよ?」

「……アミスも?」

「うん。でも僕とは別で動いてくれてる。ほんとは僕は近づくなって言われてたんだけど、ラヴラが見えちゃって」とパルは笑った。


 少しの間、ラヴラは目の前にしゃがんでいる幼馴染を見つめていた。そんなラヴラのことをパルは不思議そうに見ていた。危険を知らせる鐘の音も、逃げ惑う住民の喧騒も意識の外に遠のいた。だが、それも再び鳴った銃声によってかき消された。はっとして銃声の方を見ると、扉から出てきた男が膝から崩れ落ちるところだった。ラヴラはピストルを拾い上げて立ち上がると、脚を引きずりながら石塀の陰に隠れた。頭を下げながら、パルもそれについてきた。


「出来ればパルは離れてて」

「嫌だよ!」

「だって武器も持ってないんでしょう?」

「それはそうだけど…でも、この鞄は金属の板が入っているからピストルの弾くらいなら耐えられるって!」


 アミスに借りてきた鞄を誇らしげに見せつける。


「だからって後ろから撃たれたら世話ないでしょうが。分かったよ、せめてここに居て。下手に動かないで」

「うん、わかった」


 小屋から男が出てこないことを確認し、周囲を見渡した。どうやって登ったやら、すぐ近くの民家の屋根に人影が見えた。アミスだろう。フードを被り闇に紛れているアミスは、ラヴラが自分に気づいたとわかると手で「逃げろ」とサインした。だが、ラヴラは首を横に振った。アミスはもう一度、大げさに腕を振って逃げるように促した。だがラヴラはじっとアミスを見つめたあとで、やっぱり首を振った。


 心底うんざりした様子で、アミスはうなだれた。だが、顔を上げると今度は手の平を見せて「待っていろ」とサインを出した。今度は頷いたラヴラを見ると、アミスはくるりと後ろを向いて屋根から降りて行った。


 ラヴラの赤いマントに向かって来る銃弾を石塀で何度か防いでいるうちに、向かいからアミスがやってきた。彼は猟銃を構えながら小走りにこっちに近づいてきていたが、顔がわかるくらいの距離に来ると突然銃を構えた。


「後ろに警戒しろ、ラヴラ!」


 そう叫ぶと、アミスは引き金を引いた。夜の闇を一瞬明るく照らした銃弾は二人の頭上を真っすぐとんで、後ろから忍び寄っていた男を撃ち抜いた。地面に崩れ落ちる男を見て、再び前に向き直るころには静かに駆け寄ってきたアミスが通路を挟んだ向こう側にしゃがんでいた。


「油断しすぎだ。――怪我か? 傷は深そうなのか」

「開口一番お説教ですか。ちなみに掠っただけ。肉は抉られたけど骨も筋肉も多分無事」

「正直なところ一日説教しても足りないくらいだが、今はそれどころじゃない。ひとまず止血を。悪いがこれで止血しておけ。消毒は後でするから」


 アミスはコートのポケットからハンカチを取り出すと、一度はたいて広げてからラヴラに手渡した。その手に向かって飛んできた銃弾が、アミスの腕のやや上をすり抜けていった。そのハンカチを受け取ったラヴラは、まだ血が流れる太ももにしっかりと巻き付けて結んだ。


「まだ三人はいそうじゃないか? 全く、どうして逃げないやら」

「だっておばあちゃんに貰った猟銃が中にあるから。あれだけは、絶対に取り返さなきゃ。それに、捕まったときに五人、家の中にも五人くらい居た気がするんだけど」

「火事だと聞いて慌てて逃げていったのが数人いたよ」

「なにそれ。意外と小さいやつ」

「おかげで助け出せてるんだがな。さて、あと三人をどうするか」

「ちなみに私のピストル、弾ないから」

「なんでちょっと偉そうなんだ、全く。後ろのやつから拝借しておけ」

「わかった」


 ラヴラはおびえているパルの横を通って、うつぶせに倒れている男の近くにしゃがんだ。ピストルの先で何度か揺らしたが、起き上がったり反撃してくる様子はない。そっとズボンのポケットに手を伸ばして探ると、革の小包を見つけた。蓋を開けてみると中には銃弾がいくつか残っていた。一つ取り出してピストルに装填し、残りは自分のズボンのポケットに突っ込んだ。またパルの横を通って通路付近まで戻ってくると、弾を装填し終わったアミスがコートの端を石塀からちらつかせて敵を翻弄していた。

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