第33話

ーードンドンドン!!


 ウルフの下っ端達がたむろする小屋に、ノックの音が響いた。酒を飲んで談笑していた男達の顔は、やにわに真顔になった。彼らの中の一人が椅子から立ち上がり、廊下をそっと覗き込む。玄関から廊下にかけて、人の気配は無い。


ーードンドンドン!!


 再びノックの音が響く。男はズボンのベルトに掛けていたホルスターからピストルを抜き取ると、慎重に廊下を進んでいく。


「誰だ、女を呼んだのは!」


 仲間が後ろから野次を飛ばしてくるのを無視して、男は廊下を進んだ。すると、廊下の先の床ーー地下と廊下を区切る蓋から、また大きな音がした。


「うるさいぞ!」


 男は叫んだ。


「だって、漏れそうなんだもの!」


 ラヴラの言葉が聞こえたのか、部屋で待っている男達はわっと笑い出した。


「はあっ!? そんなもの、そこでどうにかしろ!」

「無理だよ!」

「無理なんてことないだろ。それともお前、そんなお上品な女だったか?」

「別にそうじゃないけどーーいいの!? でっかい方だけど!?」

「ーーはっ!?」

「ここでしてもいいけど、私、知らないからね! 掃除とかしないから!!」

「わ、分かった、今開けてやるからちょっと待て! 蓋から離れて大人しくしてろ。少しでも変な動きをしたら撃つからな!」

「わかった」


 片手にピストルを構えたまま、男はもう一方の手でベルトに引っ掛けていた鍵を取った。それから錠前を外し、蓋を開けた。暗がりに赤いマントをつけたラヴラがじっと立っていた。彼女は手を後ろに回したまま、黙ってこちらを見上げている。


「ほら、上がってこい」


 そう言われるままに、ラヴラはゆっくりと階段を上がり始めた。男はピストルの銃口を向けたまま、その様子をじっと監視していた。彼女が階段の一番上までやってくると、男は彼女の肩を肘で押して前に進ませた。


「そのまま進め」


 男に押されたせいで少しよろけたラヴラは、じろりと男を睨みつけた。だがすぐ前に向き直った。その時になって、男はやっと気がついた。ラヴラの両腕から縄が消えているということに。


「お前、縄ーーッ!?」


 バレた、と分かった瞬間ラヴラは男に向き直って思い切り体当たりした。不意にきた腹への衝撃になすすべも無く、男はくぐもった声をあげるなり階段からごろごろと転がりながら落ちていく。階段の木板に男の体がぶつかって、ゴトンゴトンと大きな音がした。


「どうしたー!?」


 男の仲間が声をあげる。咄嗟に男から奪ったピストルを手に、ラヴラは廊下を見渡した。左手にある窓を開けると、勢いよく外に飛び出した。それとほぼ同時に、ウルフの下っ端達が仲間の様子を見に廊下に出てきた。男達は小屋の外に飛び出した赤いマントを見つけるなり、「待て!!」と叫んだ。


 もちろんラヴラが待つわけも無く、彼女は背を低くしたまま壁伝いに走った。男達がいた部屋とは逆向きに走っていくと、突然耳をつんざくような轟音が鳴った。鐘の音だった。リタスの街に建てられた鐘楼が、ガンガンと鳴り響いていたのだ。ふと空を見ると、宵闇に覆われた街の向こうで黒煙が上がっていた。


「ーー火事?」


 そう呟いたラヴラのすぐ横を、銃弾が走った。思わず肩をすくませ、体を翻す。


「今ならまだ許す! 戻れ!!」


 酒に酔った赤ら顔で、男が叫んだ。少しふらついているようにも見える。これなら、もし狙われても当たらないという確信があった。男との距離は十メートルも開いていない。ラヴラが奪ったピストルはどう見ても質の悪い作りだったが、いくら粗悪品だとしてもこの距離なら当たるはずだ。ラヴラはピストルを構えた。それを見た男が慌ててピストルを構えたが、そのころにはラヴラが引き金を引いていた。


 急所を狙ったはずだったが、普段使い慣れていないピストルだったせいか、粗悪品だったせいか、銃弾は男の右脇腹に当たった。男は「ぎゃあ」と悲鳴をあげてその場にへたり込んだので、その隙にラヴラは駆け出した。その間も、鐘楼の鐘は鳴り続けている。「火事だ!」と騒ぐ住人を見て、ラヴラはしめたと思った。彼らの中に紛れることが出来れば、このまま逃げ延びられる確率がうんと高まる。


 壁からひょっこりと顔を出すと、左右を確認した。今のところ人影は無い。火事で混乱する人波まで数メートル。その距離をなんとか駆け抜ければ、ひとまずこの小屋から脱出することはできる。だが、彼女には心残りがあった。旅の荷物が詰まったリュックはもちろんのこと、祖母からもらった猟銃がまだ小屋の中に残されていた。このまま逃げてしまっていいのだろうか?そんな疑問が頭をよぎる。だが、今は迷っている暇は無い。一度逃げ出してしまった以上、戻ることもできない。


「……クソ」


 そう呟くと、ラヴラは人波に向かって駆け出した。ーーと同時に、人々の喧騒に紛れて発砲音が聞こえた気がした。そう思った時には彼女の太ももの肉を銃弾が抉っていた。

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