第32話

 足元に転がった、カビの生えたパン。薄暗がりの中で冷たい地面に座りながら、ラヴラはウルフの下っ端が放り投げていったパンを見つめていた。ネズミでも避けていきそうなそのパンを食べる気にはなれなかったが、飯を寄越すということは今すぐ殺すつもりは無いのだろうと考えた。

 祖母にもらった猟銃も取り上げられてしまったし、両手は麻縄で縛られたままだった。唯一の救いは足が縛られていないことだ。ラヴラはゆっくり立ち上がると、弱々しいランプの光を頼りに部屋を歩き回った。時々剥き出しの土を足で掘ってみたり、ヒビが入った壁を肩で押してみたりした。だが、どちらも上手く行かなかった。地面は土が剥き出したが、土を掘っても石と柱にぶつかってしまい外に抜けられそうにない。壁も、いくらヒビが入っているとはいえラヴラ一人で壊せるほどヤワでは無かった。


「はあーあ。大失敗だ」


 がっくりと項垂れると、再び地面に座り込んだ。両足をどかっと前に放り投げる。腹が減ったなあ、なんて考えながら土で汚れた自分のブーツを眺めていると、ランプの光が何かに反射したのに気がついた。そして、リタスの街に来たばかりの頃を思い出した。アミス達と一緒に行った、武器屋のことを。


 ラヴラはがばっと起き上がると、ブーツを出来るだけ自分の顔に近づけた。手は背中側で拘束されていたため使えなかった。仕方なく、首を伸ばしてブーツのタン裏に隠してあったシークレットナイフの柄を噛んだ。そうっとナイフを引っ張ると、無事にシークレットナイフを取り出すことができた。問題は、後ろ手に縛られている状態でどうやって縄を切るかということだった。


 口に咥えていたナイフを一旦地面に落とすと、ラヴラはその上を跨いだ。後ろをみながらゆっくり腰を落としていき、ついに指の先がナイフに触れた。つっと指先の皮膚に嫌な摩擦を感じた。ナイフで指の表面が切れたのだ。顔をしかめながらも、もう一度、今度は場所を少し変えてナイフに触れた。今度はちゃんと柄の部分をつかむことができた。指を軸にしてナイフをくるりと回すと、刃を上に向ける。両手の指で出来るだけナイフを固定しながら、ナイフの背を地面に押し付けた。ーー切れない。どうやら、刃の向きが逆になっているらしい。


「ぎゃははは! お前は本当、バカだなぁ!!」


 地下室のすぐそばを、ウルフの下っ端が通っていく。蓋を開けられても誤魔化せるように、ラヴラは胡座をかいた。しばらくすると下っ端の声が聞こえなくなり、近くから人の気配が消えた。作業再開だ。


 ラヴラはもう一度ナイフを地面に落とすと、振り返ってナイフの向きを確認した。それからまた柄の部分を指先で捉えると、器用にくるりとナイフを回した。縄に触れた状態でナイフの背を地面に押し付け、ぐっと体重をかける。すると、ブチブチッという音がして縄が切れた。一本だけ残った縄も、ナイフですぐに切ることができた。

 縄からやっと解放されたラヴラは両腕をぐるぐる回した。それからナイフをブーツのベロの部分に隠し直す。


「さて、次はどうやってここを脱出するか……」


 階段の下まで歩いていき、閉じられている蓋を見上げた。足音を忍ばせて階段を上ると、古びた板がギシギシと嫌な音を立てる。それでも何とか一番上までやってくると、出来るだけ音が鳴らないように、ゆっくり蓋を両手で押してみた。ほんの少しだけ蓋が開いたが、すぐに何かに引っかかった。錠前のようなものでロックされているらしい。


「ーーはぁっ」


 小さなため息をつくなり、ラヴラはその場に座り込んだ。立てた膝の上に頭をもたげ、部屋の中を見渡す。小さな窓もない、ドアもない、四面は壁で覆われている。おまけに武器はブーツに隠したナイフだけ。アミスとパルの姿が脳裏をよぎったが、首をゆっくりと横に振った。彼らは自分が捕まったことすら知らないのだ。きっと助けには来ないだろう。


 こんな時に祖母から貰った猟銃があったらな、と思った。祖母から譲り受けたバラの模様入りの猟銃は、心が折れそうなとき、何度もラヴラを励ましてくれた。気骨のある祖母の姿を思い出すと、それだけで勇気を借りられる気がするのだ。


 一緒に猟に出かけたとき、仕留めそこなった猪に体当たりされそうになったことがある。まだ十歳かそこいらのころだった。立派な牙をこちらに向けて走ってくる猪の形相を、今でも鮮明に思い出せる。少し狩りに慣れてきたころで、気が抜けていたのだろう。咄嗟に逃げ出すことも猟銃を構えることもできずに突っ立っていたラヴラを守るため、祖母は猪に横から突進した。腕を嚙まれながらも祖母はナイフで猪を仕留め、ふうっと息を吐いて汗をぬぐっていた。


「不意打ちってのは野性の動物にも効くもんだよ」


 階段の先にある蓋を、ラヴラは再び見上げた。諦めるにはまだ早い。


 

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