第26話

 こつこつ。乾燥した太い指の先で銃身を叩く。炎が作り出す陰影が彼の表情を怒っているようにも笑っているようにも見せていた。アミスは顎をすこし掻いてから口を開き、少し躊躇った後で再び口を開いた。


「コインのことは知ってたよ。だからコインについてあまり聞き回るなと注意したんだ。あれがウルフという組織の脅しだということも知っている」


 ラヴラは炎の向こうからアミスを睨んだ。嫌悪を隠そうともせず、強い語気で尋ねた。


「ウルフ?」

「ーー名前までは聞いていなかったか。失敗したな」少し困ったように笑う。「リタスの住人に聞いたなら分かるだろう。ウルフと呼ばれているあいつらは、普通に暮らしている人々の生活に根を張り生きている。日陰者ってやつだ。意味分かるか?」

「分かるに決まってるでしょ。馬鹿にしないで」

「ああ、悪い。そんなに警戒しないでほしいもんだな。ーーで、まぁ、恐れられてるわけだ。奴らに法は通じない。そもそも奴らの中に独自の法があるからな。みんな名前すら出さず、下手に関わらずに生きている。それなのに君達が突然ウルフの脅迫であるコインを見せびらかしてきたら、距離を取られて当然だ」

「そんな組織があったなんて知りませんでした。一体どのくらいの規模の組織なんですか?」


 怯えた顔でパルが聞いた。


「そりゃあヴォルマグの上で暮らしていた君たちは知らないだろう。そもそもまだ子供だし、不穏な話っていうのは大人は子供にしたがらないもんだ。で、ウルフの規模は年々拡大していると聞くが詳しくは俺も知らない。数百か、数千か……」

「どうして誰も取り締まらないんですか?」

「……ま、みんな下手に関わりたく無いんだろう。さっきだって、君らが少しコインの話をしただけでどこからともなく湧いて出てきた。どこにウルフの仲間がいるか分かったもんじゃ無い。取り締まろうとしても、下手うって情報が漏れれば奴らは徒党を成して襲ってくるだろう。だからみんな見てみぬふり、知らぬふりといったところだろうな」

「ーー馬鹿馬鹿しい」


 二人の話を聞いていたラヴラが吐き捨てるように言った。


「いい大人が雁首揃えてビクついて、ならず者のご機嫌伺ってるってわけ? 本当は嫌いで怖くてどっか行ってほしいと思ってるのに、言うことすらできずに?」


 その言葉を聞いたアミスは小さく笑った。


「本当にそう思うよ。でもな、世の中なんてそんなものだ。自分たちが死ぬまでの間をなんとか平和に生きようとして、面倒なものからは目を逸らす。だって自分たちじゃ敵わないんだ。無駄死にするのも馬鹿らしいのさ」

「馬鹿みたい……。私は絶対、あんな奴らに負けないから。絶対ばあちゃんの仇を取ってやる」

「相手が組織なのに、どうするつもりだ? 殺した犯人を見つけて一人だけ殺すのか?」

「違うよ! こんな下らないことしてくるウルフとかいう奴ら、全員ぶっ殺す!」


 炎の紅がラヴラのグレーの瞳に映り込んでいる。輝きを失わないその瞳は自分の言葉に疑いなど持っていないと言っているようだった。


「ーーははははっ!!」

「馬鹿アミス、うるさいな」

「ああ、悪い悪い。不思議だな。たった五人にすら勝てなかった君なのに、なんだか信じたくなる」

「僕は信じてるよ」


 傍からパルが言った。アミスはそんなパルに優しく微笑んだ。それからラヴラに向き直る。


「ーーだが」急に真剣な面持ちに変わった。「それは勇敢じゃ無く無謀というものだ。君たちが相対した組織は君たちが思っている以上に凶悪なものだ。彼らは難癖つけて住人から金をむしり取るが、出し惜しみをしたらどうなる? 俺の知っている人たちは悲惨だったよ。体の一部を失ったもの、家族を誘拐されたもの。生きて帰ってくればまだマシな方だとさえ言われている。俺が言えるのは、やめておけ、ということだけだ。こんな純粋な男の子を連れて勝てるような相手じゃ無い。君が死ぬか、彼が死ぬか、二人とも死ぬか。それだけだ」


 静寂が三人を包んだ。薪にしていた枝が、ばきりと音を立てて割れた。突如、地面を蹴り飛ばすようにして立ち上がったラヴラは両手の拳を強く握ったままギロリとアミスを睨みつけた。だが、何も言わなかった。少しだけ距離をとってこちらに背を向けると、そのまま地面に横になった。


「君も寝た方がいい。逃げ回って疲れただろう。周囲は俺が見張っておくから、安心して寝なさい」


 パルの方を見て言った。ラヴラの方をちらちらと見て気にしていたが、躊躇いがちにうなづいたパルはその場で横になった。

 しばらくするとパルの寝息が聞こえ出した。少し離れたところで横になっているラヴラの背中も、ゆっくり深く動き出す。ああ疲れた。そう思いながらアミスは周囲を見渡した。妙な気配は無い。近づく人影もなければ、ランプや松明の火も見えない。膝に置きっぱなしになっていた銃を取ると、掃除の続きをし始めた。先に綿をつけた棒で、丁寧に銃身内部を拭いていく。この作業が好きだった。不思議と無心になれる。

 彼が手入れをしているこの銃は年季の入ったもので、銃身や銃床には深い傷がいくつか残っていた。そろそろ買い換えた方がいいだろうと武器屋の親父には言われるが、なかなかその気になれなかった。


「暴発したらその時だ、俺の天明もそこまでということだな」アミスはふっと笑った。「アニが聞いたら怒りそうだ」

「アニって?」

「ーーうわっ!!?」


 手に持っていた銃を落としそうになり、大慌てで銃を握った。いつの間にか小さくなった炎の向こうに、ラヴラが座ってこっちを見ていた。


「いつの間に起きたんだ」

「たった今。ねえ、ちゃんと見張ってた?」

「見張ってたさ。ついさっきまで」

「どうだか」


 アミスはムッと口を尖らせた。


「疲れてるんじゃ無い? 不本意だけど色々助けてもらっちゃったし。少しの間なら私が周囲を見てるから、少し休んだら。これでもばあちゃんと夜通し狩に出たこともある。短時間の見張りなら、大丈夫だから」

「……そうか?」


 正直なところアミスは疲れていた。ああ年をとったなと自分の体の衰えにうんざりしていたところだったし、ラヴラの申し出は嬉しかった。だから彼女の提案に承諾した。


「すまないな。少し休んだら、すぐに起きる」

「大丈夫、気にしないで。何も」


 薪を少しだけ足すとアミスは横になった。そしてすぐに深い眠りに落ちた。彼が再び目を覚ました時には、東の空がすっかり白んでいた。アミスの体が何かにゆすられている。


「ーー?」

「アミスさん!!」


 ぼやける視界に、青ざめた顔のパルが入り込んだ。


「起きて! ラヴラがいなくなっちゃったんです!」


 パルが何を言っているのか理解できなかった。パル、ラヴラ、少女、いなくなった。いなくなった……。

 

「……いなくなった!!?」


 飛び起きた時、焚き火はまだ小さく燃えていた。向かいにいたはずのラヴラの姿は無く、彼女が持っていたリュックも銃も忽然と消えていた。


「しまった!!」

 

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