第22話

 ラヴラ達がタダ飯を喰らっていた同時刻、リタスの街の南側、あまり知られていない古びた宿の一室でアミスはベッドに腰掛けくつろいでいた。老婆が自宅の一室を貸し出している宿で、普通の旅人は存在にすら気が付かない。普通の宿屋と違い、部屋の掃除をする時を除けば老婆はこちらへ干渉して来ない。変に気を遣うことも遣われることもなく、アミスにとっては一番気が休まる宿だった。


 ベッド一床とサイドテーブルでほとんど埋まってしまうような手狭な屋根裏部屋でランプを灯し、ここへ来る途中で買ってきたサンドイッチを頬張る。塩とレモンの効いたハムは冷めていても十分に美味しい。少し塩辛いハムに舌鼓を打ちながら、ふと窓の外を見た。月明かりで照らされたリタスの街。民家の窓からは優しい橙の光が漏れている。その街の中を、虫のように蠢く人影があった。それは民家の影からほんのちょっとだけ姿を表すと、光を恐れるかのように物陰にさっと消えてしまった。手に持っていたサンドイッチを口の中に突っ込むと、ランプの火を消し、人影の見えたあたりをじっと観察した。だが人影はもう見つけられなかった。


 なんとなく嫌な予感がしたアミスは周囲を見渡した。梁の浮き出た屋根裏部屋。背筋を伸ばすと頭がぶつかるので、常に腰をかがめていなければいけなかった。もしこんなところに敵が来たら、狭すぎてまともに戦えない。下にいる老婆は老眼で目があまり見えていないし、耳もよく聞こえない。だからアミスのことを聞かれても答えはしないだろうが、そんな老婆の言動が相手を逆上させてしまうかもしれない。この宿はリタスの中でも一番気に入っている場所で、失うには惜しい。アミスは少し考えた後、鞄と銃を持って屋根裏部屋を出ていった。


 そこから数百メートル離れた街道では、ラヴラとパルが歩いていた。夜まで営業している店の軒先に吊られたランプのおかげで、夜でも比較的足元が見やすい。酒臭い男達をうまく避けながら二人は街の中心に向かって歩いていたが、その途中で酒に呑まれて横たわっている男を見つけた。髭面の男はうつろな目で月を見上げながら、片手に持った酒瓶を煽る。口の端から溢れた酒はぼたぼたと地面に溢れた。「やめようよ」と引き止めるパルを振り切ってラヴラはその男に近寄ると、そばにしゃがみ込んだ。男はラヴラの方を見ると、上機嫌に言った。


「よ〜う、嬢ちゃん。こんな夜に出歩いてっと危ねぇぞ」

「大丈夫だよ。一人じゃないしね。それよりさ、おっさん、こんなコイン見たことない?」


 ズボンのポケットから取り出したコインを、呑んだくれに見せた。男はコインをチラリと横目で見た後、再び酒瓶を煽った。


「見たことあるといえば、あるなぁ」

「ほんと!? これ、なんのコインなの? 通貨じゃないよね」

「……知らねぇのか。なら知らねぇままの方がいいかもなぁ。どこで拾った? 落ちてたのか?」

「落ちてたといえばそうだけど……。これに関係しそうな人を探してるんだ。何か知ってるなら教えて」

「どこで見たかなぁ、隣街か、さらに隣街か……」


 むにゃむにゃと喋りながら、呑んだくれは船を漕ぎ始めた。


「ちょっと、起きて! 起きてったば!!」


 呑んだくれの肩を掴んで力一杯揺らしたが、白目を向いてうわ言を呟くばかりでまともな答えは返ってこなかった。


「……駄目だ、まともな収穫がない」


 がっくりと項垂れるラヴラの肩に、パルがぽんと手を置いた。


「今日はもう帰ろう。初日から頑張りすぎたら続かないよ」

「それもそうだね。疲れたし、帰ろうか」


 呑んだくれを道に放ったまま、二人は街道を北に進んで宿屋に戻った。髪を刈り上げた店主は二人の帰宅に気がつくと「おかえんなさい」と言って暖かい紅茶をサービスしてくれた。小さなロビーで紅茶を飲んで一休みすると、階段を上がって部屋に戻った。それから二人はそれぞれのベッドに潜り込むと数分と経たずに寝てしまった。


 一方アミスは街を囲う柵に沿うようにして歩いていた。体を斜めに構えて背中を柵に預ければ、死角をかなり減らせるからだ。リタスの夜はいつも通り賑やかでむさ苦しく、酒と肉の匂いで包まれていた。だが肌がヒリつくような嫌な感覚がずっと消えないでいたし、さっき屋根裏から見えた人影も気になった。何の根拠もない疑惑だったが、勘があながち馬鹿にできないものだと長年の経験で知っていた。いつでも使えるように背負った銃に片手をかけながら歩いていると、すぐ近くで数人分の足音が聞こえた。アミスはすぐに息を押し殺してその場にしゃがみ込んだ。


「組織のことを調べている奴がいるって?」


 曲がり角の向こうから男の声がした。ランプの光に照らされて、三人の人影が曲がり角の奥からすうっと伸びている。


「なんでも若い女らしいぞ」

「へえ。そりゃ行幸だ」

「馬鹿、怪しい女だ。商売人じゃなきゃさっさと殺すんだよ」

「でも若いんだろ?」

「若いかどうかなんて関係ないんだよ。下手うってバレたら、ボスに殺されるぞ」

「ーーチッ」


 男達は街の中心へと向かっていった。彼らの影が見えなくなってしばらくしてから、アミスは立ち上がった。地面に置いていた鞄を取り上げると来た道を戻り出す。このまま南に向かってリタスの街を出るのだ。男達の言っていた若い女というのが気になったが、それがラヴラを指すとは限らない。それに、もしラヴラとパルのことだったとしてどうするというのか。二人をこの街へ連れてくるという契約を、アミスは守った。これ以上首を突っ込む義理は無い。足音を出来るだけ抑えながら、アミスは南に向かって歩き出した。トラブルが発生する前に、さっさとこの街を出てしまおう。

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