第21話

 部屋に入ると扉に向かって窓があり、左右の壁にはベッドが一床ずつ置かれている。店主の言っていた通りに日当たりは悪く、なんとなくカビ臭くどんよりとした空気が漂っていた。ベッドや床は綺麗に掃除されており、ベッドシーツなどは皺もなくピンと張られている。白いシーツがややくすんで見えるのは、この部屋が暗いからだと思うことにした。二人はそれぞれリュックを床に置いた。下にも上にも枝葉がない。木の香りも森の木漏れ日もない。少しだけヴォルマグが恋しくなったが、その想いは心の奥底にそっと隠した。


「ああ、疲れたーっ!!」


 そう叫んで左のベッドに飛び込んだパル。何があっても今日はもう起き上がらないぞという強い意思を感じる。


「私はもう少し街を歩いてくるけど、どうする?」


 右側のベッドに腰掛けながら、ラヴラは聞いた。体がベッドに沈み込み、根が生えてしまいそうだ。


「一人で行かせられないけど、今日は無理……」

「でしょうね……。とりあえず、少しだけ休憩」


 そう言うが早いか、二人はあっという間に眠りに落ちた。初めて外の世界に出て、盗賊に襲われ、街というものを目の当たりにした。新しいことだらけで体も頭も疲れ切っていた。

 深い眠りについていたラヴラは、ふと暖かい感覚に包まれた。目を開けるとそこには見慣れたヴォルマグの大樹があり、東の空から朝日が登っているのが見える。近所のパン屋の煙突から香ばしい匂いが漂ってきて、朝食を買いにいこうかな、と考える。そういえば母はどうしただろう? ラヴラはヴォルマグの枝に掛けられた梯子を登っていき、自宅の前までやってきた。いつもなら包丁の音がリズミカルに聞こえてくるはずだが、今日は聞こえない。


「母さん?」


 呼びかけたが返事は無かった。なぜか嫌な予感がして慌てて家に入ろうとしたラヴラの足元で、ぴちゃりと音がした。はっとして下を向くと、足元には赤黒い水たまりが出来ている。全身から血の気が引いて、肌が泡立つ。鉄のような匂い。母さん、と叫ぼうとしたがなぜか声が出ない。ラヴラは震える手でそっとドアノブに触れ、扉を開けたーー。


「ラヴラ!!」


 目を開いた時、全身にびっしょりと汗をかいていた。漆喰が塗られた壁が目に入る。パルが不安そうな顔でこちらを覗き込んでいた。


「大丈夫? すごいうなされてたよ」

「……」


 両目を手で覆うと、何度か深呼吸をした。ふうっと息を吐くと、ラヴラは体を起こした。


「大丈夫。変な夢見ただけだから……」

「あんまり無理しないでね。僕は心配だよ。ラヴラは頑張りすぎるから」

「気を付ける……」


 そう言って額を抑えたラヴラの手は、まだ少し震えていた。

 二人は気を取り直して部屋を出た。あたりはすっかり暗くなっていて、昼にあった子供や女の姿が街から消えていた。しん、と静まり返ったリタスの街を歩くのは男達ばかり。まだ若いラヴラとパルは、街の中で浮いていた。そんなことは気にしないラヴラは、男達の横を足早にあるいて街の中心部にやってきた。昼には開いていなかった店が光を灯し、中からは賑やかな声が聞こえてくる。香ばしい肉の匂いが、こっちこっちと誘うようだ。


「あの店、いってみよう」

「大丈夫かなぁ……」

 

 ぼやきながらもパルはついてきた。

 通行人の前を横切って店に向かう。両開きの扉の上には『ダイナー』の文字。扉を開けてちょっと中を覗くと、男も女も入り混じって酒を飲んでいるのが見えた。二人はそっと扉を開けると店の中に入った。店の奥では誰かが珍しい形の管楽器を吹いている。おそらく木の中をくり抜いて作ったものだろう。陽気な音色に笑い声や怒声が混じる。店の中は人臭くて、それに酒と肉の匂いが混じっていた。


「僕たち、ここの店であってる!?」


 周囲の音にかき消されないようにパルが叫ぶ。


「あってるも何も無いでしょうよ。ほら、あそこ空いてる」


 壁際のテーブル席が空いているのを目ざとく見つけると、ラヴラは人混みをかい潜りながら進んでいく。彼女のマントをぎゅっとつかんでいるパルは置いていかれないように必死で追いかけた。席に着くと一番近くにいたウェイトレスが二人に気がついた。短いスカートを履いたそのウェイトレスがにこやかに近寄ってきて「なににする?」と聞いた。目のやり場に困ったパルの目があちこちに泳いでいるのに気がつくと、にやっと笑って顔を近づけた。


「お酒、飲む?」

「いいいいえ、お酒はいらないです!」

「あら、そう? 美味しいのに」

「野菜スープとステーキ肉、二人分。あとポテト」とラヴラ。

「はーい! 他には?」

「それで十分」

「本当? もっと食べないと大きくなれないわよ? 色々」


 そう言ってウェイトレスはラヴラのことを頭の先からつま先までジロジロ見た。ラヴラはむっとして彼女を睨み上げたが、ウェイトレスは「わぁ怖い」といってケラケラ笑いながらキッチンの方へと消えていった。それから体感で三十分ほど待たされた。あまりに遅いのでキッチンに怒鳴り込みに行こうとしたラヴラを、パルが必死に止めた。それを三度繰り返してついにラヴラが耐えきれなくなった頃、ようやっとウェイトレスがやってきた。両手に持った盆に、スープの入った器と大きなステーキ肉がのった皿が置かれていた。遅い、と怒鳴りつけてやりたいラヴラだったが怒りごと言葉を飲み込んだ。まだ聞きたいことがあったからだ。


「ねえ」


 料理をテーブルに並べているウェイトレスに聞いた。


「なあに、お嬢ちゃん」

「……。あのさ、これ、見たことある?」


 また怒りをごくりと飲み込んだが、顔には怒りが現れていた。ラヴラはポケットから取り出した狼のコインを手のひらに載せてウェイトレスに見せた。すると、さっきまでの余裕の笑みがさっと顔から消え去った。ウェイトレスは両手でラヴラの手を包み隠すようにすると、押し返しながら言った。


「ちょっと、何てもの持ってるの!? 信じらんない、そんなものここで出さないで」

「ねえ、これなんなの?」

「本当に知らないの? 一体どこから来た田舎者な訳? 勘弁してよ……。お金はいいからさっさと出ていってくれない?」

「いや、お腹空いてるんだけど」

「ならさっさと食べて!!」


 ハッと周囲を見回すと、小声で「食べ終わったらさっさと出ていってよ」と言い残してウェイトレスは去っていった。口を尖らせて不服そうな顔をしていたラヴラだったが、コインをポケットに戻すとナイフとフォークを掴んだ。


「なんか、やっぱりコインについて聞かない方がいいんじゃないかな」


 声を落としてパルが聞いてきたが、喧騒のせいでほとんど聞き取れなかった。


「まあ、まずは腹ごしらえだよね! なんかタダ飯になったしラッキー」


 そう言って、ラヴラはナイフで切り取ったステーキ肉を大口を開けて頬張った。

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