第9話

 ラヴラが家に戻った時、家の中はしんと静まり返っていた。そっと母の部屋を覗くとベッドの上で横になっている母の姿が見える。母の体は規則的に上下していて、眠っているのだと分かった。足音を立てないようにしてリビングを横切り自室に戻る。マッチを使ってランプに火を灯すと、部屋の隅に置いていたリュックを引っ張ってきて部屋の真ん中に置いた。タンスの中から服を何セットか取り出すとリュックに詰める。弾薬とナイフ、包帯に薬草。空の水筒は、腰のベルトにくくりつけた。一度部屋を出てキッチンの方へ行くと、干し肉をいくつか拝借した。それを布に包んでリュックのポケットに入れた。最後に、コツコツ貯めていた金貨と銀貨を瓶から取り出すと、少しのコインだけポケットに入れていた袋に足した。あとの残りは布袋に詰め、リュックの底に押し込んだ。リュックの口を閉めると、壁に立てかけていた猟銃を取った。


「ばあちゃんの仇は、私が絶対討つからね」


 猟銃を手にしたまま窓の外を覗く。葬儀で疲れ切った村人達は、枝の上で横になったりベンチの上に寝転んだりして仮眠を取っている。まだ酒を飲み続けているタフな男もいるようだが、酔い潰れるのも時間の問題だろう。そっと窓を開けてから体を乗り出し、幹の下の方を見た。さっきまでいた場所に、アミスがまだ座っているのが見えた。立てた膝に頭を載せたまま動かない。恐らく眠っているのだろう。ヴォルマグには宿屋なんてないから普段は誰かの家に泊まっているのだろうが、葬儀のある今日みたいな日は人が出払ってしまうので泊まるに泊まれなかったのだ。だが、おかげでアミスの動向が分かりやすい。そっと部屋の中に戻ると、ラヴラは床に座ってベッドを背もたれにした。向こうの部屋から母の寝息が聞こえる。ラヴラからすると祖母だが、母にとっては自分を育てた肉親。祖母を亡くして悲しいのはラヴラだけじゃない。こんな日に一人にしてしまって申し訳ないと思い、後ろ髪を引かれる気分だった。


「怒るだろうなぁ、母さん」


 ポツリと呟いた。本当は心細く、少しだけ迷っていた。いつも気丈に振る舞っている母だが、もういい歳だ。そんな母をしばらくの間一人にしてしまうなんて、親不孝だという自覚があった。ずっと二人で過ごしてきた。祖母が元気だった時は、獣がいないことを確認してから三人で地上を散歩したこともあった。ヴォルマグの村は親切な人ばかりだったが、余所者のラヴラ達はヴォルマグに溶け込むために気をつかって生活してきた。特に母は。きっと今も気をつかって生活している。唯一本当に心を許せる家族だったのに、母は急に一人になるのか。本当にそれでいいんだろうか。


 睡魔が忍び寄ってくる中で、ラヴラはギリギリまで悩んでいた。だが悩む時間も限られていた。窓の外から、俄かに足音が聞こえた。はっとして耳を澄ます。誰かがゆっくり歩いている。物音を立てないようにそうっと窓から外を見ると、東の空が白んでいるのが見えた。朝がやってくる。そして、ヴォルマグの枝の影からアミスが歩いて行くのが見えた。村を出ていくのだ。もう悩んでいる時間は無い。ラヴラはリュックを背負うと、猟銃を肩に掛けて部屋を出た。


「ーーうわっ!!?」


 部屋を出た瞬間、何かにぶつかった。母だった。


「……もう行くの?」

「えっと……その……」

「はぁ〜。どうせ止めたって行くんでしょう。できれば行ってほしくは無かった。危険な目にはあって欲しく無かった。でもアンタも私の子だもんね。言っても聞かないのはきっと私譲りだね。ほら、これ持ってきな」


 暗がりの部屋の中でも、母の目が腫れているのが分かった。母はラヴラに小さな包みと赤いマントを手渡した。


「これ……?」

「おばあちゃんが昔つかっていたマントだよ。生地が分厚いから寒さも多少は凌げる。年季が入っているから随分色褪せてるけどね。それからそっちはお金。旅っていうのは想像以上にお金がかかる。大事に使いなさい」

「いいの?」

「本当はよく無いよ。でも、行くんでしょ?」


 ラヴラはこくりと頷いた。母は泣きそうな顔をして彼女のことをぎゅっと抱きしめた後、ラヴラを玄関へと連れていった。それから彼女の背中をバンと叩いた。


「無理だと思ったらすぐに帰ってきなさい。世の中にはどうにもならない事が沢山ある。少しでも勝ち目がないと思ったら格好悪くても逃げなさい。私がずっと、ラヴラの帰りを待っていることを忘れないで」

「わかった。ありがとう、母さん」


 母の顔をじっと見つめた。帰りはいつになるか分からない。もしかしたら帰ってこられないかもしれない。でも、祖母の仇は討たなければならない。だからラヴラは玄関を飛び出した。後ろから母の声が聞こえたが、彼女は振り返らなかった。

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