第5話

 上から降ってきた男に押し倒され馬乗りされると同時に、ラヴラのすぐ横の地面に大きなナイフが突き刺さった。ラヴラの金髪が一房、ぶちっと音を立てて千切れた。彼女の猟銃は投げ出されて地面に落ちている。手を伸ばせば何とか届きそうだが、下手な動きを見せればその瞬間に首の真横にあるナイフがそのまま下ろされるだろうことは容易に想像できる。


「どうして後をつけてきた」


 酒に焼けたような掠れた声で男は聞いた。男は金色の髪を後ろで一つにまとめており、無表情なその顔の右頬から額にかけて、大きな傷跡が残っていた。ヴォルマグの村では見た事が無い男だった。


「アンタがばあちゃんを殺したの?」

「オレの質問に答えろ。どうしてお前みたいな小さい女が猟銃なんて持ってる」

「私の質問に答えたら、アンタの質問にも答えてあげる」

「……」


 男は地面からナイフを抜き取ると、じっとラヴラを見下ろした。


「あの婆さんには娘とその旦那がいたはずだ。お前、なにか知っているか? 知っている事を話せば殺さない」

「話が通じない男だなぁ。アンタがばあちゃんを殺したのかどうか答えないなら、私も答えない」

「……ああ、オレが殺した」


 ラヴラは腰につけていた鞘からナイフを抜き出すと、男の胸めがけて撫切った。だがラヴラの動きに勘づいた男はさっと後ろに飛び退いた。切れたのは男の服だけ。


「なんで殺した」


 さっと立ち上がったラヴラはナイフを持っていない方の手で銃を拾った。弾は装填されたままだ。男も銃を背負っているが、まだ手にしていない。距離さえ取れれば勝てるという自信があった。


「質問に答えただろう。今度はお前が答える番だ」

「私がアンタを追いかけてきたのは、アンタがばあちゃんを殺したと思ったからだ。で、それは当たってた」

「オレがあの婆さんを殺したのは、命令されたからだ。それにあの婆さんは大事なルールを破った」

「命令って、誰に?」

「それは、オレの親父だよ」


 そう言った瞬間、男は手に持っていたナイフを投げつけてきた。既でのところでそれを避けたラヴラの視界に入ってきたのは、男が銃を構えている姿だった。間に合わない。そう分っていながらラヴラも銃を構えた。引き金を引く男の指がゆっくり動いた気がした。ラヴラの猟銃が放たれるより先に、銃声が響いた。森が一瞬だけ静寂に包まれたように感じた。キンキンと脳を揺らす耳鳴りが治ったとき、ラヴラは自分の体を見下ろした。どこにも穴は開いていないし、痛みもない。ふうっと息をついて前を見ると、なぜか男の方が腕を手で押さえていた。服には血が染み出している。


「ーー仲間がいたのか」


 男は言った。ラヴラは黙っていた。黙ったままラヴラをじっと睨みつけていたが、男はさっと身を翻して草薮の中へ消えた。


「追うな!!」


 男の後を追いかけようとしたラヴラの背中に、遠くから怒声が降った。聞いたことのない声だった。祖母の仇をみすみす逃したくない、相手も手負いの今なら体格差があっても勝てる。声を無視して追いかけようとしたラヴラに、再び怒声が飛んだ。


「向こうは慣れてる! 殺されるぞ!」


 殺されたりなんてしない。祖母の仇を取るんだ。怯えてなんていられない。そう思っていた筈なのに、彼女の足はなぜか止まりそれ以上前に動かなかった。


 ついさっきまでの争いが嘘のように、森には静寂が戻った。空を覆っていた雲は消え、森には俄かに光が射した。怯えていた動物達は恐る恐る巣穴から顔を出し、もう安全だと分かるなり餌を探しに駆けていく。ほとんどがいつもと同じ平和な風景だったが、土の香りには少しだけ血の匂いが混じっていた。

 木々の向こうから、大きなリュックを背負った黒髪の男が歩いてくる。片手に革の鞄を携え、もう一方の手には猟銃を持っていた。周囲を警戒しながらこちらに近づいてくると、男は膝をついて項垂れているラヴラの肩に手を置いた。


「どこの娘か知らないが、よく追わなかったな。君の手には負えない。正しい判断だった」


 ラヴラはその男を見上げた。男は少し困ったように笑った。


「怪我はないか?」


 澄んだ灰色の瞳に吸い込まれそうだ、と男は思った。ラヴラはじっと男を見つめたあとで、ボソリと呟いた。


「仇を取ろうと……」


 何のことを言っているのか男にはよく分からなかった。そもそもどうしてこんな少女が猟銃を持っていたのか、何故不審な男に狙われていたのか、仇とは何なのか、男は何も知らなかった。困ったように首を傾げていると、ラヴラは放心した様子のまま、ぽつりとまた呟いた。


「ばあちゃんの仇を取ろうと思ったのに、取れなかった。何の役にも立たなかった。せっかくばあちゃんに教えてもらったのに、人間相手じゃ何にも、私、何の役にも……」


 ラヴラの大きな瞳から、ぼろっと涙が溢れた。堰を切ったように、彼女はわんわん泣き始めた。相変わらず男には何も分からなかったが、彼女のそばにしゃがみ込むと、ラヴラが泣き止むまでずっと背をさすってやった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る