第3話
ヴォルマグの大樹の根本。陽の光は大きな木の枝に遮られ、地上は薄暗い森に覆われている。ほんの少しだけ溢れる木漏れ日が、風でチラチラと瞬いた。小さな動物が背の低い木々の間を行ったり来たりしているのが見える。久しぶりの人間の訪問に驚いているのだろう。周囲から感じる生き物の気配に気を配りながら、ラヴラは進み始めた。柔らかい土を踏みしめながら優しい風の吹く森を歩いていると、祖母と一緒に森の中を駆け回っていた幼少期が思い出された。今より幾分か若かった祖母は、幼いラヴラの前で猟銃を構え、木々の向こうにチラつく動物を一発で仕留めて見せたものだった。祖母の腕前と、夕飯が豪華になることを喜ぶと「女の子にこんなもん見せていいのかねぇ」と言っていた。だがその時の祖母の顔は、なんとなく嬉しそうに見えた。
そんな祖母が銃を握らなくなったのはいつからだっただろう、と考えた。昔は樹木医師にくっついて彼らを警護したこともあったし、大熊が出たからといって退治しに向かったこともある。祖母はどんなときも少し離れた木にラヴラを上らせて、自分の仕事を見学させた。ラヴラがある程度大きくなってからは、愛用の猟銃を持たせてくれた。今ラヴラが背負っている銃は、祖母の手助けが無くても狩猟を終えられた時に、一人前の猟師として祖母が譲ってくれたのだ。あの時の興奮と恐怖は今でも鮮明に思い出された。群れから逸れた山狼で、まだ体が小さいラヴラを獲物と認識していた。祖母は気配を決して山に紛れていたので、近くに居たのかどうかも分からなかった(狼を撃ち殺した時にすぐに駆け寄ってきたので、近くで見守ってくれていたのだとその時になって初めて知った)。今までは逃げようとする動物を撃ってきただけだったラヴラが、自分を殺そうとする生き物と対峙した初めての瞬間だった。
「はあ〜、ばあちゃん家遠すぎるんだよなぁ……。もっと近くに住んでくれたらいいのにさ。っていうか同居すればいいのに。母さんもいってるのに何で頑なに遠くに住むのかねぇ」
地を這う太い根を跨ぎながら、ラヴラはぼやいた。昔のことを思い出しながら歩き続け、気がつけば道のりの半分ほどに差し掛かっていた。途中で一度木に登り、持参してきた水筒から少し水を飲んだ。ほんの少し体の疲れが癒えるとするりと木から降り、祖母の家に向かって再び歩き出した。周囲を警戒しながら歩いていると、視界が明るくなっていることに気がついた。いつの間にかヴォルマグの大樹の影を抜けていたのだ。陽の光がよく当たるからか、木々は生い茂り、地面には色鮮やかな花が咲いている。森全体が暖かく、土の香りさえ変わった気がした。
「……やっと着いた」
森の中にぽつんと開けた場所があり、そこには大木が生えていた。ヴォルマグの半分にも満たない高さだったが、たった一人で住むには十分なのだろう。無数に咲いている小ぶりの花をかき分けながら家に近づくと、ふと踏み倒された雑草に気がついた。祖母が木の上の家から降りてきたのだろうか。もしそうだとすれば、入れ違いになってしまったかもしれない。まだ家の中にいることを祈りながら花の中を進む。木のすぐ下までやってくると、登るために掛けられた梯子に血のようなものが付着しているのに気がついた。まだ鮮明に赤く、鉄臭い。
「もしかして猟に行ってきたのかな」
ここ最近は腰が痛いからと外出するのを渋っていたのに。どうせなら祖母が猟をするところを見たかった。それにしても何を獲ってきたんだろう? 大きい獲物だろうか、それとも一人用に小ぶりの獲物にしたんだろうか。武器はいつもの猟銃? 久しぶりに会ったら話を聞かせてもらおう。ラヴラはワクワクしながら梯子を登り始めた。片手でバスケットを持ち、もう一方の手で梯子の横木をしっかりと掴む。リズムよく梯子を登りきると、目の前に木でできた家が現れた。古びたその家はところどころ当て木がされてあり、さらにその上から蔦が這っていた。いつもならラヴラが近づいた気配を感じて家の中から祖母が声を掛けてくるのだが、今日は声がしなかった。それどころか扉は少し開いたままになっていて、扉の下にはやはり赤い血がついている。ふと、ラヴラは気がついた。あの祖母が血抜きも何もせずに獲物を引きずってくるだろうか? そこまで耄碌したとはとても思えない。では、この血は?
「……ばあちゃん?」
全身の肌が泡だった。心拍数が早くなり、頭からは血の気が引いた。静かにゆっくりとバスケットを下に置くと、肩に背負っていた猟銃に手を掛けた。ゆっくり、ゆっくりと扉に近づいていく。
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