実った土の香りを噛み締めて
部屋に引きこもって書き損じが増え続けているだけの家内は、定期的に手入れをするものを除いて一掃されていた。
今日も好きな料理の湯気を、窓から入ってきた秋風が奥へ運んでいく。夕飯の時間だが、どうしてもこのリズムにエトワが慣れてくれない。放置すると3度の食事はおろか、睡眠さえ取らずに、数日後には力尽きて床に転がっていることがある。
「気絶するまで籠るんじゃなぁい!」
この数年で珍しく、どでかい雷が落ちた。数日前も少し釘を刺したばかりである。
そろりとアトリエの引き戸を開いて覗き込んでみる。腰まである髪を、なるべく首に負担がかからないように、邪魔にならないようにまとめているがその側から掻き乱して、机に齧り付くようにペンを走らせている。
照明を絞った暗い部屋には大量に積まれたり開きっぱなしの資料本と、そこからはみ出した付箋と同じ色の予備、ざっくばらんにまとめられた紙束が雪崩れている。
その集中は長くは持たない。線を描くときには呼吸が止まってしまうから。些細な胸筋の動きでも道筋が変わってしまうから、彼女はギリギリまで生きることを忘れる。それをわかっていて、笹は息を入れた瞬間を狙って声をかけた。
「お夕飯の時間ですよ」
一気に現実に戻されたエトワの脳に酸素がいくまで、数秒の時間を要したようだった。
「もうそんな時間?」
炊き立ての白米を頬張りながら、テレビのニュースを話題に1日分を一気に話こむ。これがいつもの夕飯。
「もうすぐさつまいもとか栗とか 美味しい物がもっと増えるね」
「また一緒に街まで買い出しに行こうか」
二人は時折、町まで降りて買い出しに出かけることが出来るようになった。最初はおずおずとしていたエトワも今では笹と一緒なら店員に話しかけられるようになっていた。お互いに、これが美味しそう、新発売だって、これこれたまに食べたくなる、とカゴに入れて今日はどれを買おうか、と吟味する。大体2時間ぐらいのお楽しみ。お肉ではなく、野菜や地域で採れた果物が中心。笹の料理上手のおかげか、いつものテーブルの上が1つの絵画のようになる。
「そうそう、今の仕事そろそろ納品できそうなんだ」
「お つまり」
「ご褒美タイム」
不定期ではあるが、どちらかが何かを終わらせたりした場合、買い出しついでに本屋や文房具屋に寄る。読みたい本か、新しい画材か。何回もリストを再編して、その中の一つを買いにく。中にはもう2年ほど待ち望んでいるものもあれば、前日に追加してすぐ買えたものもあった。ひとつ1つがどんな宝石にも負けない輝きを放っていて、少しずつ色褪せていく。インクが切れたり、紙の端がほつれてきたり。ゆっくりと埋まっていく棚に、二人はうっとりとするのだ。
納期が管理できるなら、時間も管理してくれ。この言葉はピーマンと一緒に飲み込むことにしよう。
今日も夜が更けていく。コスモスの香りが、冬を連れてきそうだ。
旅人のスケッチブック @Artficial380
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