第38話 最初から、

 きいん、と頭が痛くなるような音が響き、すぐに静まる。


 魔族と人間を隔てる結界は、金と黒の入り混じった複雑な光を周囲に振り撒きながら、そこに鎮座していた。

 

「ノクス、レオン、お疲れ様」

「うん、ありがとう」

「ああ。さすがに骨が折れたな」

「ノクスがそこまで言うなんて、本当に大変だったのね」


 じっと結界を見つめたヴィオラだったが、その複雑さに顔を顰めて早々に理解を諦める。

 天を仰いだ後、あ、と思い出したヴィオラは、ノクスへと問いかけた。

 

「そうだ、聞いてもいい?」

「何だ?」

「私の元パーティーメンバーは」

「……」


 口元に酷薄な笑みを浮かべるばかりで、何も言おうとしないノクスに、嫌な予感がしてヴィオラは問いかける。


「ノクス?」

「……殺してはいない」


 渋々口を開いたノクスから出てくるのは、あまりにも物騒な言葉。


「それなら、国王は?」

「なぜか身柄を渡された」

「え? てっきり、人間の方でどうにかするのかと」

「僕たちも最初はそうしようと思ったんだけどね。大司教もいるし、下手すると利用しようとする人も出てくるから、この件に関して一番信頼できる魔王に任せようって話になったんだ」

「そうなのね。それなら」

「殺してはいない」


 肩をすくめたノクスは、ゆっくりと続けた。


「魔王城から離れた場所に、鉱山があるのを知っているか?」

「え、ええ。聞いたことはあるけれど」

「そこに送った。大司教や、お前の元パーティーメンバーもだ」

「なんで」

「理由を問うとは、随分と人が好いな。理由は2つだ。ひとつはもちろん、然るべき報いを受けてもらおうというものだが――」


 言葉を切り、ノクスはかすかに笑みを浮かべた。


「あの場所は地獄だと聞くが、管理しているのは仕事に誇りを持った良い男だ。奴らは人間至上主義で頭の凝り固まった連中だが、魔族に囲まれての労働の中で、気づくことでもあれば良いがな」

 

 く、とノクスが笑い声を漏らす。


「せいぜい、足掻くと良いさ」

「そうね」

「……まあ、送る前に俺が何をしようと自由だがな」

「何か言った?」

「いや?」

 

 答える気のないノクスに、ヴィオラは唇を尖らせると結界へと視線を戻す。


 金色と黒色の入り混じる、どこまでも続く結界。2つの種族を永遠に隔てる、高い高い壁。

 結界をぼんやりと見つめるヴィオラに、結界の反対側に立つレオンが首を傾げた。


「どうしたの?」

「何だか、少し寂しかったの。もし昔結界があったら、私はノクスたちと出会えなかったと思うとね。人間も魔族も区別なく一緒に、なんて理想論だと分かってるんだけど」

「そのことだが」


 柔らかいノクスの声に、ヴィオラは驚いて顔を上げた。


「お前が言っただろう。昔は人間も魔族も区別なく、一緒に食事をしていたと」

「そんなことも言ったわね」

「それをすれば良い」


 レオンと目を合わせて、ノクスが微かに笑った。


「人間側は勇者が。魔族側は俺が参加者を選ぶ。ここに集まって、時折食事でもしよう」

「……え?」

「食事は皆で食べる方が美味い、んだろう?」


 当たり前のように言うノクスに、思わず、涙が滲んだ。

 うん、と子供のように頷いたヴィオラに目線を合わせ、ノクスは口元に楽しげな笑みを浮かべる。


「もちろん、その食事を作るのはお前だ。責任重大だな」

「……腕が鳴るわね」


 心からの笑顔を浮かべたヴィオラに、ノクスは満足そうに頷いた。


「僕もヴィオラの料理、楽しみにしてるから」


 ふふ、と笑ったレオンに向かって、ヴィオラは躊躇いがちに問いかけた。


「……本当に、向こうに戻るの?」

「うん。……この男がいれば、ヴィオラは大丈夫だと思ったから。あれ以来混乱が続いてるし、例え偽物でも勇者がいた方が少しは落ち着くかなって」

「勇者とは地位ではない」

「……ん?」

「ノクス、言葉が足りないわ」


 苦笑したヴィオラは、結界越しにレオンへと手を伸ばした。


「ノクスが言いたいのはこういうこと。勇者の地位を手に入れて、それから民の希望になるんじゃなくて。民の希望になったから、自然勇者と呼ばれるようになった。勇者とは、そういうものだって」

「……」

「長年民の希望であり続けたレオンは、もう勇者。そういうことよ。素直じゃないけど良い人なの、分かってあげて」

「……うん」


 泣き出しそうな顔で、レオンは笑った。

 そして結界を抜けてヴィオラの手を取り、唇を落とす。


「それなら、君は僕の勇者だ」

「……ありがとう、レオン」


 微笑んだヴィオラから、レオンは静かに離れた。一瞬視線を尖らせたノクスは、すぐにヴィオラの腰を抱き込む。

 その視線を感じたレオンは、苦笑して小さく首を振った。


「じゃあね、レオン」

「うん。元気で」

「レオンもね」


 手を振ったレオンが、ゆっくりと結界から離れていく。

 その後ろ姿を見つめるヴィオラに、ノクスがゆっくりと口にした。


「お前は魔族こっち側で良かったのか」

「私がいるのは、ノクスがいる方よ」


 即答したヴィオラに、ノクスは破顔した。

 つられるように笑顔になったヴィオラに、軽く頬を染めたノクスはくるりと背中を向けて歩き出す。いつもより少し早足なその様子に、ヴィオラは小さな笑いを溢した。 


「ノクス!」

 

 いつの間にか空いていた距離を一気に詰め、背後からノクスの腰へと思い切り抱きつく。


「無駄に元気だな」

「良いことでしょう?」

「5年眠るよりはな」

「……ごめんなさい」


 本当だ、とノクスはヴィオラを睨みつける。そしてすぐに、ヴィオラを両手で抱き上げた。


 身体を包むのは、慣れ親しんだ浮遊感。

 

 そしてすぐに背中に伝わってくる、これまた慣れ親しんだ柔らかい感触に、ヴィオラは嫌な予感を覚えた。視界に広がるのは、ノクスの顔と、天蓋から流れる真紅のカーテン。

 そのままヴィオラへと覆い被さり、流れるように唇を奪った男を、ヴィオラは涙目で見上げる。


「俺はお前を大切にして甘やかすぞ?」


 飄々と笑うノクスに、ヴィオラは真っ赤になった頬を隠すように俯いた。

 そこで、あれ、と思った。


「ノクス、一つ聞きたいんだけど」

「ほう?」


 隙あらばヴィオラの首筋に顔を埋めようとするノクスを押しのけながら、ヴィオラは聞いた。


「胸像のことね」

「……ああ」

「単刀直入に聞くわよ。あれ、ノクスね?」

「……」


 沈黙が何よりの答えだった。

 ぴたりと固まったノクスに、ヴィオラは両手で顔を覆う。


「私、ノクスに、ノクスの相談をしてたのね……?」


 羞恥に悶えながらじたばたと暴れたところで、ヴィオラは思い出す。


「待って、あの胸像が最初にしたことを覚えてる? 確か、私の朝ごはんまで全部食べ尽くして――」

「黙れ」


 怒ったようにヴィオラの胸元に顔を埋めるノクスの耳が、赤い。

 込み上げる笑い。ひとしきり笑い転げた後、ヴィオラは滲んできた涙を拭った。


「何だ、ノクスったら、最初から私のご飯が大好きだったのね」

「当たり前だろう」


 開き直ったように宣言したノクスは、顔を上げると蕩けそうな笑みでヴィオラを見つめる。ヴィオラを強く抱きしめて、ノクスは噛み締めるように呟いた。


「――最初から、美味かったよ」

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魔王の最愛 〜囮として見捨てられた回復術士、魔王城で餌付けを始める 細波 @Saza_73

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