第3話 『蜘蛛』の巣作り5
明くる日の事で御座います。
『蜘蛛』は朝の仕事と朝食を済ませ、いつものように使用人寮の裏庭へと赴きました。御嬢様がおいでになるのを待ち伏せる為です。
ついでにそろそろ洗濯物を干す時間でしょうから、それの手伝いでもしようと思っていたところ……『蜘蛛』は裏庭への入口で立ち尽くす二人の使用人の背中に気がつきました。
洗濯かごを抱えて立ち往生した様子に、『蜘蛛』は窓の外を確認します。雨が降っている様子はありません。
「ねェ、いつまでああしてらっしゃるつもりかしら……」
「まさか私達に用が?」
「いやだ、何もしてない筈よぉ……」
使用人のひそひそ話を聞きつけ、『蜘蛛』は今度は空ではなく二人の視線の先を確かめました。――するとそこには、既にフィラン御嬢様の姿があったのです。
御嬢様は温室に向かう様子もなく、ただ両腕を組んで仁王立ちしていらっしゃいました。肩が強張っているのが、遠くから見ても分かります。
こちらに背を向けておられるので表情こそ見えませんが、その立ち姿だけで使用人が怖気づくのも仕方が御座いません。
「ちょっと失礼」
『蜘蛛』は使用人の間を割って、裏庭へと出ました。
突如現れた背の高い白い頭に二人はギョッとして「いつの間に」などと呟いておりますが、『蜘蛛』は振り返りも致しません。
御嬢様が誰を待ちぼうけているなど、分かります。自惚れでは御座いません。
「フィラン御嬢様」
お声掛けすると、御嬢様はビクンと肩を跳ね上げ、勢いよく振り返られました。
「……アンタ」
「私に御用ですか?」
「そ、そうよ、ええそう」
驚かれたご様子には特に触れず尋ねますと、御嬢様は気まずそうな、或は不審そうな面持ちを交互に見せた後、すぐにそれらを消してみせて『蜘蛛』に向き直りました。
「…………一晩考えた」
「……」
「アンタよくもあんな最低な事をこのアタシに吹き込んでくれたわね」
「すみません」
「…………」
「それで、それじゃあ諦めようと思いましたか?」
「…………」
『蜘蛛』が飄々と尋ねると、御嬢様はなんともお悔しそうにギリリと奥歯を食いしばり、それから「全くよ!!」と声をあげられたのです。
「負けたままなんて、あり得ない!! アタシは神にだって屈しやしないわ!! もし神とやらが地獄で足掻いているアタシを楽しそうに笑ってみているっていうなら、這い上がって、胸ぐら掴んで笑い返してやる!! 高みの見物は終わりだ、どうだザマァミロってね!!」
「――そのスタンスで天国まで行けるかはちょっと微妙ですが、その心意気や良しだと神様は思ってらっしゃるんじゃないでしょうかね」
「ウッザ!! 偉そうにしやがって!! いいわよ今はそうして呑気してたらいい!! このフィラン・アストラルが目にものを見せてくれるわ!!」
御嬢様の瞳がギラギラと輝くのを、『蜘蛛』は間近で見下ろしておりました。
その輝きは確かに出逢った時と同じ、どんな大雨にも潰えることなき炎の如く。
「アタシは血も涙もない人間じゃない!! 人生最悪の日にどこの誰かも知れない人間の命を救ってやるくらいには良い子なの!! 理由がなんだってその『蜘蛛』が感謝して、糸を垂らしてくれるってんなら、登ろうじゃないの!!」
神にも噛みつくその姿を、愚かだとお思いになりますか?
けれどね、少なくともこの時、『蜘蛛』にとっては神よりも傅きたくなるような圧倒的なパワーを御嬢様はお持ちでした。
「やるからには甘んじやしないわ!! アルアなんて追い越して、誰からも愛される良い子を目指すの!!! 最後に笑うのはこのアタシ!!」
あまりに大胆不敵、高慢であり傲慢、この世の全てに挑みかねないそのお姿は、少なくとも天で座ってこちらを見下ろしている誰かさんよりは力強かったのです。
全てが悪ではない、善なる面もお持ちになっている。御嬢様はどこにでもいる人間と同じで御座います。
どんな人間だって欲もあれば、親切さも持ち合わせている。どちらの方が量が多いかは、その時その人次第というものです。
……それは勿論『蜘蛛』とて同じこと。恩返しとかこつけて、心のどこかではそれだけでない下心もなかったとは言えないでしょう。
まあ、動機などなんだって良いのです。心の内などどうだって良いのです。全ては、この世に残る現実的な結果のみですから。
「なってやるわよ!! 善人に!!!」
地獄の底で勝者の笑みを浮かべる御嬢様に後光すら感じ、恍惚としていた『蜘蛛』は、フィラン・アストラルをその道に引きずり込んでしまった事を激しく悔いる日々を迎える事になりますが……それは先々の話で御座います。
今この時に置きましては、地獄に堕ちたご令嬢と『蜘蛛』が天を目指す、美しいお話の始まりとして、どうぞ、語らせてください。
ヴィラン令嬢の蜘蛛 光杜和紗 @worldescaper
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。ヴィラン令嬢の蜘蛛の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます