第3話 桁違いな勘違い

 ご馳走をたらふく食べてすっかりご機嫌なデリルを見て頭取は少し安心した。女性銀行員からレストランの請求額を聞いた時には卒倒しそうになったが、あの様子なら何とかこの難局を乗り切る事が出来そうだ。


「実はデリル様の口座の記帳がかなり難航しております」


 頭取はデリルの様子を見ながら説明をする。「何しろ二十年分の記帳ですので……」


「ああ、それでそんなに時間が掛かってるのね」


 デリルはようやく自分にも非がある事に気付いた。口座開設した事はうっすらと覚えているが、マリーに預けっぱなしったので存在そのものを忘れていたのだ。「それで、あとどのくらい掛かるのかしら?」


 デリルに尋ねられてギクッとする頭取。


「あ、明後日までにはなんとか……」


 恐る恐る頭取は答えた。


「あ、明後日?! 日が暮れるどころか二回も夜明けが来るじゃないの!」


「た、大変申し訳ございません!」


 頭取は深々と頭を下げる。


「さすがにそんなに待てないわ。夕方にはネロくんも迎えに行かなきゃ行けないのに……」


「デリル様、この度はいかほどお引き出しされるご予定でしょうか?」


 頭取は思いきって切り出した。回答次第ではクビも覚悟しなければならない。


「うーん、預金額を確認してから決めようと思ってたんだけど……」


 デリルはそう言ってあれこれと頭の中で計算する。「取り敢えず三十ほど引き出すわ」


「さ、三十!? わ、分かりました。それではご用意させて頂きます」


 頭取は意を決したように立ち上がり、応接室にデリルを残して去っていった。


「変ね、三十オウトくらいであんなに驚いて……」


 取り敢えずデリルは頭取が戻るのを待つ事にした。


「おい、すぐに三十万オウト用意してくれ!」


 頭取は出納係すいとうがかりに言う。


「さ、三十万オウト?!」


 出納係が聞き返す。


「助かったよ、全額引き出すなんて言われたらどうしようかと思ってたんだ」


 頭取は安堵のあまりデリルとの行き違いに気付いていなかった。


「しかし、個人で一度に三十万オウトも引き出すなんて聞いた事無いですよ?」


 王都銀行でも法人相手に年数回あるかないかの巨額な取引である。先日、商船を作るからとゲイリー商会が十二万オウト引き出したのが今年の最高額だ。


「一万オウト札があっただろ。あれを使おう」


 頭取は金庫に保存されている、市場にほとんど流通していない一万オウト札を使うと言い始めた。


「だ、ダメですよ、頭取。あれはよっぽどの時しか使えない紙幣ですよ」


 市場に出回っているのは一オウト紙幣から百オウト紙幣までである。千オウト札ですら庶民にはほとんど馴染みがないだろう。


「今がその『よっぽどの時』なんだよ!」


 頭取の剣幕にようやく出納係も事の重大さに気付いたようである。


「分かりました……。しかし、一万オウト紙幣なんて普通のお店では使えませんよ?」


 出納係に言われて頭取も我に返る。


「そうだな。では一万オウト分だけ細かく崩してお渡ししよう」


 頭取の言葉に出納係はうなずく。紙幣を準備し、金銭授受のトレーに置き、頭取に渡す。頭取はデリルの待つ応接室に向かう。


「大変お待たせしました」


 頭取はデリルの前に札束を置く。


「……何これ?」


 デリルは目の前の紙幣を不思議そうに見つめる。「ちょっと、三十って言ったでしょ? なんなのこの札束は!?」


「お確かめ下さい。きっちり三十万オウトございます」


 頭取はそう言って札束を乗せたトレーをデリルの方に押し出す。


「さ、さ、さ、さ……」


 突然、大金を目の前にしてデリルは言葉が出なかった。何をどう取り違えたらこんなことになるのだろう? 「ええっ?! 嘘でしょ?!」


 デリルはさらに恐ろしいことに気付いた。三十万オウト引き出せたと言うことはこの大金以上の預金がまだ口座に残っていると言うことである。


 頭取はあたふたしているデリルを不思議そうに見つめる。口座にはまだまだうなる程の預金があるのだ。この程度の額で面食めんくらうのはおかしな話である。そこで頭取ははたと気付いた。


「さすがに一万オウト紙幣はやり過ぎでしたか? それなら千オウト紙幣でお渡しいたしますが……」


「いや、そういう問題じゃないのよ」


 デリルはとりあえず目の前の札束を数えてみた。一万オウト紙幣が二十九枚、千オウト紙幣が九枚、百オウト紙幣が九枚、十オウト紙幣が九枚、一オウト紙幣が十枚。きっちり三十万オウト揃っている。これだけの大金を持ち歩くのはかなりのストレスである。


 何しろこれまで金貨どころか銀貨中心の生活を送ってきたのである。三十オウトですらかなり思い切ったのに、まさか三十万オウトも引き出されてしまうとは……。それもこれも、デリルが自分の口座にいくら入っているかを把握していなかった事が原因なのだ。


「あのー、何か問題でも?」


 頭取は思考を巡らせているデリルに尋ねる。


「ずばり聞くわ!」


 デリルは決心して頭取に切り出す。「わた、私の預金額はいくらなの?」


 思わず声がうわずってしまったが、デリルは思い切って聞いてみた。


「デリル様の預金額は、七千飛んで……」


 頭取はメモを見ながらデリルに預金額を伝え始める。


 デリルはその数字を聞いて驚愕きょうがくした。三十万オウトも引き出したというのに、残高がまだ七千オウト以上残っているというのだ。とりあえずこんなに大金は持ち歩きたくないから二十九万オウトは口座に戻して、それで二十九万七千オウト……。なんて大金なの! これだけあれば一生遊んで暮らせるわ。


「……四十二万九千飛んで七十一オウトです。昨日までの金額ですので本日のデリル温泉からの入金分と利息は……」


「ちょ、ちょっと、何の話をしているの? 私は預金額を聞いたのよ?」


 デリルは頭の中が整理しきれず頭取の言葉を遮った。


「はい、デリル様の預金額でございます」


 頭取は不思議そうにデリルに言う。


「な、な、な……七千万オウト?!」


 デリルは気を失いそうになったが、「へ、へぇ……、思ったより貯まってたのねぇ……」


 と、強がってみせた。しかし目の前の三十万オウトさえ処理しきれていないのに、さらに七千万オウトというとんでもない数字が飛び出してしまったのでデリルは訳が分からなくなっていた。


「百万オウト以上引き出される際は前もってご連絡頂きますようお願いいたします」


 頭取は深々と頭を下げる。「記帳が終わり次第デリル様宛にご郵送致します」


「あー、はいはい、よろしくね」


 デリルは上の空で返事をして三十万オウトを懐に収めた。応接室から頭取に案内をされて出口へ向かうと、デリルをレストランに案内した女性銀行員が立っていた。デリルと目が合うとにっこりとほほ笑んで頭を下げる。


「本日は大変お手間を取らせました」


「こちらこそ、お世話になったわね」


 デリルは女性銀行員をねぎらった。


「表に馬車を停めてございます。どうぞ、こちらへ」


 女性銀行員は昼と同じようにデリルを馬車に案内する。結局、夕方まで掛かってしまったが、ちょうどネロの弓術大会きゅうじゅつたいかいも終わる頃であろう。デリルは飛んで行った方が早いのだが、せっかく銀行が用意してくれたので馬車に揺られてゆっくり行く事にした。馬車に乗り込んだデリルは行き先を弓術大会会場と告げる。御者がはいと返事をし、馬車がゆっくりと動き出す。馬車が見えなくなるまで頭取と女性銀行員は深々と頭を下げていた。


「ふぅ、何とか無事に終わったな」

 

 頭取は胸を撫で下ろす。「君もよく頑張ってくれたね、ありがとう」


「頭取、まだですわ」


 女性銀行員は気を抜いた頭取をいさめるように言う。「記帳がまだまだ残ってます」


「ああ、そうだったな……」


 頭取は深いため息を吐いた。何が何でも明後日までに仕上げなければならない。王都銀行の戦いはまだまだ続くのであった。




<完>

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王都銀行の長い一日 江良 双 @DB1000

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