第2話 腹八分目に医者いらず


「そうか、やはり問題は量なんだな?」


 オーナーはウェイターの報告を受け、「よし、邪道だがメインディッシュを2人分、いや、3人分お持ちしろ!」


 と指示を出す。もちろん、大赤字である。しかし、このまま不満なまま帰らせたのでは王都一のレストランの名が廃ると言うものだ。


 オーナーの英断に料理人たちも答える。量を出すからと言って質を落とすような真似はしない。火加減、味付けも完璧な普段の3倍の量の肉料理が完成すると、ウェイターがトレイに乗せて運ぶ。


 個室の前で深呼吸をして静かにドアを開けると空になった籠が目に入る。あの量を全て平らげたのか?! ウェイターが目を丸くする。


「あら? お肉は結構ボリュームあるじゃない」


 デリルは満足げに出てきた料理を見る。「ついでにもう一杯パンを持ってきて下さる?」


 デリルはティーカップに紅茶をれてもらうかのようにさらっと言う。ウェイターはメインディッシュをデリルの前に置き、籠を手に取る。


 籠の中身はきれいに無くなっている。ウェイターは、もしかしたら持ち帰ろうとしてるんじゃないかと思ってデリルの周囲を見渡したが、それらしき荷物はなかった。


「あの、もう1杯とは、その……」


 ウェイターは念のために確認する。


「その籠じゃ、何度も行き来するの大変そうだからもう少し大きい籠で持ってきてくれても構わないわよ」


 やはり籠一杯のパンをご所望のようである。よりによってもっと大きな籠で持って来いときた。デリルはすでに肉料理に取りかかっていた。もどかしげにナイフで切って口に運ぶと蕩けるような表情を浮かべる。やはり味には満足しているようだ。ウェイターは籠を持って退室する。


「ブ、ブレッドをもう一杯?」


 オーナーは籠を持ち帰ったウェイターの報告を聞いてあきれ返る。「その篭より大きいので持って来いだと?」


「はい、念のためお客様の周囲を確認しましたが、持ち帰っている様子はありませんでした」


「しかしサラダも結構ボリュームがあるぞ?」


 オーナーは店で一番大きなボウルいっぱいに野菜を盛ったサラダを見ながら言う。相手が大食らいだと分かったのでオーナーを始め、シェフたちも張り切って大胆に規格外のボリュームで料理を作り始めたのだ。


 ウェイターはすぐに巨大なボウル一杯のサラダを持ってデリルの待つ個室に向かう。


「失礼します」


 ウェイターがサラダをテーブルに置く。


「まぁ、こってりしたお肉の後にさっぱりとしたサラダなんて気が利くじゃない」


 デリルは嬉しそうにサラダを覗き込む。ウェイターは食べ尽くされた肉料理の皿を片付ける。すでにムシャムシャとサラダを食べているデリルに一礼してウェイターは個室を出た。


「デザートはザッハトルテでいかがでしょうか?」


 パティシエがオーナーに尋ねる。


「うむ、一応1ホールを切ってお持ちしろ」


「えっ? 丸ごとですか?!」


 パティシエが思わず聞き返す。


「籠一杯のブレットが次の料理をお持ちするまでになくなるんだぞ? 1ホールでも不安なくらいだ」


 オーナーは厨房の奥に声をかける。「おい、追加のブレットは焼けたか?」


 ザッハトルテだけではなく、もう一杯と言われたパンも持って行かせるつもりらしい。


「ちょうど今、焼き上がりました!」


 大きな鉄板に色々なパンがこんがりと美味しそうに並んでいる。


「よし、ウェイター、頼んだぞ」


 オーナーに籠一杯のパンと1ホールのザッハトルテを託されたウェイターはごくりと生唾を飲み込んだ。メインディッシュを3人前出した後でこのボリュームである。いくらなんでも多すぎるんじゃないだろうか?


 ウェイターは個室のドアをノックして中に入る。テーブルの上の空っぽになったサラダのボウルを2度見するウェイター。


「まぁ、こんなにあるの?」


 デリルは目の前に出てきた料理を見てちょっと困ったように言った。「さすがに無理だわ。このパン1つとケーキ1欠片を……」


 デリルは皿の上にパンとザッハトルテを取る。それを見てウェイターが残りを片付けようとした。


「ちょっと! そっちは食べる方よ。それでこっちは……」


 デリルは皿を手渡しながら、「お土産に包んでちょうだい」


 と笑顔で言った。残すどころか後で食べようという魂胆である。


「か、かしこまりました……」


 ウェイターはデリルから受け取った皿とボウルを持って個室を後にする。


「そうか! じゃあ量にも満足して頂けたんだな?」


 報告を受けたオーナーはほっと胸を撫で下ろした。何とか店の名を汚さずに済んだのである。


「しかし、フルコースの料金を頂いても大赤字ですよ?」


 シェフが嵐の後のような厨房を見ながら言う。


「う、うむ、その辺は何とか交渉してみよう」


 シェフの言葉で現実に戻されたオーナーは経費をざっくりと計算してみた。最高級フルコースの料金を3倍は貰わないと採算が取れない。いくら王都銀行がお得意様だと言ってもさすがに厳しい。途中から悪のりして採算度外視してしまったのはまずかった。


 デザートを食べ終えたデリルは満足そうに個室から出てきた。デリルを連れてきた女性銀行員は慌ててデリルに駆け寄る。


「お、お気に召されましたでしょうか?」


 そう尋ねた女性銀行員と共にオーナーも緊張してデリルの答えを待つ。


「ええ、とっても美味しかったわ」


 デリルはにっこりと微笑んだ。ほっと胸を撫で下ろす女性銀行員、オーナーたちからも安堵のため息が漏れた。「あなたも一緒に食べれば良かったのに」


 デリルは悪びれた様子もなく言った。女性銀行員は苦笑いする。銀行は女性銀行員の分までは出してくれないのだ。かと言って自腹で食べられるような店ではない。


「私はお弁当を持ってきてますので……」


 女性銀行員が目配せをすると、オーナーが近付いてきた。


「お客様、先ほど申し受けたお土産でございます」


「ああ、パンとケーキね。ありがと」


 デリルは紙袋を受け取る。


 そんなやり取りをしている間に女性銀行員がお会計を済ませる。請求された額にど肝を抜かれたが経費で落ちるので問題ない。


「それでは参りましょう」


 女性銀行員は玄関先に停めてある馬車にデリルを誘導する。こうして昼食を終えたデリルは再び王都銀行へと戻っていくのだった。

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