王都銀行の長い一日
江良 双
第1話 青天の霹靂(へきれき)
「なんでこんなに時間がかかるのよ!」
デリルが怒るのも無理はない。デリルは、先日マリーに渡された預金通帳を持って王都銀行へやって来た。王都で開催される
(記帳はしてないけどかなり貯まってるはずよ)
マリーがそう言っていたので、ちょっと美味しいものでも食べようと思っていたのだが、かれこれ2時間以上待たされているのである。
通帳を渡して名を名乗ると、カウンターの銀行員がぎょっとした顔をして奥へ引っ込んでいき、今いる応接室に通された。そこまでは良かったが、待てど暮らせど何の音沙汰も無いのである。痺れを切らして、そろそろ怒鳴り込んでやろうかと思ったところでようやく応接室のドアがノックされた。
「大変お待たせしております。わたくしは当銀行の頭取でございます。この度は突然のお越しで、我々も大変混乱しております」
顔を真っ青にして神経質そうな男がデリルに挨拶をする。
「いいからさっさと手続きをしてよ! どれだけ待たせるの?!」
デリルは空腹も手伝って苛立ちを隠せず頭取に食って掛かった。「もう! お腹が空いて死にそうよ!」
デリルの言葉を聞いて頭取が提案する。
「大変申し訳ございません。お昼ご飯は当銀行ですぐにご用意致しますのでもう少々お待ち下さいませ」
「え? しょ、しょうがないわね。そう言うことなら我慢するわ」
デリルはそもそもお昼ご飯を食べるお金を引き出したかったのだ。銀行がお昼ご飯を食べさせてくれるなら問題はない。
「ありがとうございます。さっそくご案内致します」
頭取はほっと胸を撫で下ろした。「君、こちらのご婦人をお食事にお連れしてくれたまえ。そうだ、あの店だぞ」
ピリピリした様子で女性銀行員に頭取が指示をする。
「デリル様、こちらへどうぞ」
女性銀行員はそう言って応接室からデリルを連れ出す。女性銀行員に案内されながらふと銀行内を見てみると、みな一様に慌ただしく騒然としている様子であった。何か不測の事態が起こったようである。
「早く帳簿を持って来い! まだまだ先は長いぞ!」
事務作業をしている男性が
持ってきたファイルを開いてすぐに差し戻す血眼の男性。
「銀行ってのんびりしたイメージだったけど、こんな慌ただしい事もあるのね」
デリルは他人事のように
女性銀行員は銀行の前に止まった馬車にデリルを誘導する。
「どこに連れて行く気?」
デリルはそのまま銀行からつまみ出されるんじゃないかと警戒している。
「今、王都のセレブに大人気のレストランがありまして、そちらにご案内致します。どうぞ」
女性はデリルを馬車に乗せ、下座に控えめに座る。
「どうでもいいけど早くしてね。お腹ペコペコなのよ」
デリルは思わぬ展開に戸惑いながらも
店構えが立派過ぎてデリルが圧倒されていると、
「デリル様、どうぞこちらへ」
女性銀行員によって店内に案内され、広い個室に通される。どうやら銀行の会合などで使われる部屋のようだ。長い間片田舎で生活していたデリルは逆に居心地が悪く、何度も座り直す。
「いつも王都銀行様にはご
オーナーらしき男が女性銀行員に挨拶にきた。
「大事なお客様なんです。よろしくお願いします」
真剣な表情で言われ、オーナーはごくりと唾を飲み込む。王公貴族や商会の会頭ランクのお客様らしい。オーナーはチラリとデリルを見た。豊満と言うにはちょっと抵抗がある巨体の中年女性である。真っ赤な長いウェーブのかかった髪の毛が印象的だ。随分と年季の入ったローブを着ているのであまりセレブなイメージはない。むしろ、冒険者といった
「何でも良いから早く持ってきてよ!」
デリルの空腹感はピークに達していた。オーナーは深々と頭を下げて立ち去る。
「おい、急いでくれ! 銀行のお得意様らしい。あの様子だとただ事じゃないぞ!」
「ランチメニューで良いですか?」
従業員が言うとオーナーが怒鳴り付ける。
「お前、何を聞いてたんだ! うちで一番自信のあるフルコースをお持ちしろ! 値段の事は考えなくて良い!」
先ほども言った通りこの店は王都でも有数の高級レストランである。
ウェイターが
「ちょっと! 何よ、これ? こんなんでお腹が膨れる訳ないでしょ!?」
行儀良くちょこんと置かれたオードブルはその気になれば一口で食べきってしまう量である。すでにエンプティランプの点灯しているデリルはブツブツ文句を言いながらフォークで小さな塊を口に運んだ。「ふ、ふぉぉぉおっ!?」
口一杯に広がる旨味の洪水に思わずデリルはおかしな声を上げてしまった。ウェイターは一礼をして個室を後にした。
「どうだった?」
オーナーが戻ってきたウェイターに駆け寄る。
「こんなのじゃお腹が膨れないと……」
と、ウェイターが報告する。「私が部屋を出る時に何やら奇声を上げてました」
「と、とにかく次だ! 次の料理をお持ちしろ!」
ウェイターは出来上がったばかりの料理を急いで運ぶ。運ばれてきたスープを見てデリルは再び不機嫌になる。
「いつになったらちゃんとした料理が出るの?」
デリルは不満そうにスープをスプーンで口に運ぶ。しかし、五臓六腑に染み渡る優しい旨味が流れ込んで来ると多幸感でいっぱいになった。文句を言われたウェイターは急いで個室から立ち去る。
「つ、次は魚料理だ。ここが勝負だぞ!」
オーナーがウェイターに料理を託す。
「オーナー、どうもあのお客様は量が少ないことにご不満な様子です」
魚料理も決してボリュームがある訳ではない。
「馬鹿な事を言うな! 量が欲しいならもっと庶民的な店に行くだろう?」
「ですから、その、どうやら銀行が変に気を回してうちに連れてきたんじゃないかと……」
量が食べたいデリルを最高品質のこの店に連れてきたのは銀行サイドの落ち度と言える。ただ、デリルの口座に入っている金額を見ればどんなボンクラ頭取でも最高級の店に連れていくだろう。当のデリルは口座にいくら入っているのか全く把握してないのだが……。
「このままではうちの評判にも傷がつく。一か八かブレットも一緒にお出ししろ」
ウェイターは籠一杯の焼きたてブレッドと魚料理を一緒に持ってデリルの待つ個室へ向かう。
個室に入ったウェイターは、籠一杯のパンを見て満面の笑みを浮かべるデリルを見てほっとひと安心する。やはりこの方はガッツリ食べたいタイプのようだ。
「お魚もちょびっとしか無いけど
デリルはこの店に来て初めてポジティブな言葉を口にした。どうやら量には不満があるが味は気に入ったらしい。しかし、それ以上に山盛りのパンでお腹を満たせそうだという思いの方が大きかった。パンの入った籠をテーブルに置いた瞬間、デリルはパンを手に取り、そのまま口一杯に頬張った。高級レストランはパン1つとっても他とは違う。 何も付けずにかじりついたデリルが目を丸くする。こんなに美味しいパンを食べたのは初めてである。先日、温泉地の高級ホテルで食べた朝食のパンも美味しかったが別格である。
デリルはウェイターが個室から出るか出ないか位のタイミングで籠のパンに掴み掛かった。
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