Tableau12 雨月 (プリュヴィオーズ)
12-1 12カ月
死んだも同然である、愛によって心の中で
何らかの甘やかな味わいを感じない者は
それに愛無しで生きることに、何の価値があろう
誠心誠意にして、偽り無く
最も美しく最上の人を、愛している
(中世の吟遊詩人ベルナデット・デ・ヴェンテドルンの歌、より)
一年の掉尾を飾る冬至節のお祭りが終われば、すぐに年が変わる。新年を祝うお祭りが開催される。人々はまた広場に集まり、陽気なガルーベの演奏に乗って手をつなぎ合い、輪になってファランドウロを踊る。
マルトには手をつなぎたい人がいる。手をつないでファランドウロを踊りたい。
ファランドウロは老若男女関係無くみんなで参加できる陽気な踊りだ。相手が誰であれ、隣に位置した人とは手と手をつなぎ合って列になる。
ただし、夫婦や恋人同士の場合、つなぎ方が少し違う。ハンカチ、またはリボンの端と端を持ち合い、直接は手をつながないのだ。ハンカチかリボンを介してつながっていれば、二人は夫婦か恋人同士だ。直接手と手をつないでいれば、単にファランドウロ踊りの長い列の一部である。男同士、女同士で手をつなぐこともあれば、無関係の男女間で手をつなぐことも当然ある。
マルトはプロヴェンキア地方に流れ着いて、ダイアリーと出会って水車小屋で共同生活を始めてもうすぐ満一年となる。一二カ月の春夏秋冬が慌ただしく巡った。
どこの地方でもそうかもしれないが、例に漏れずプロヴェンキア地方の明るい太陽に祝福された人々も、お祭りだ大好きだ。年に何回もお祭りがあって、そのたびにみんなでファランドウロを踊っている。
しかしマルトはダルレスに来てから一度もきちんとお祭りに参加していないし、ファランドウロも踊っていない。市内ではなく郊外に住んでいることもあって、お祭りに参加する機会が無かった。いずれ、ダイアリーが戻って来たら、お祭りに一緒に参加してファランドウロを踊りたい。その時には、ダイアリーとはハンカチの端と端を握り合う形で列に連なりたい。
今、水車小屋では、マルトが一人で暮らしている。小さな小屋ではあるが、一人だと妙に空虚な場所である。
ダイアリーは居ない。
あの冬至節の前夜、マルトはダルレスの黄色い家で全身大火傷を負ってしまった。本来ならばそのままそこで死ぬはずだった。現在の医療技術では治せる程度ではない、深刻な損傷だった。
冬至節の前夜祭の日である聖なる夜。女神ジュリアが奇跡を起こしてくれた。いや、奇跡を起こしたのはダイアリーなので、ダイアリーこそが女神だ。マルトの視点からすれば何も間違っていない。
熱湯を浴びて絶叫しながら意識を失ったマルトは、次に目を覚ました時、そこが天国ではなく、ヴァンサンとポールの共同アトリエのままであることに気づいた。
生きて目覚めたことだけでも十分不思議な怪現象なのだが、全身の火傷がきれいさっぱり無くなっていた。夏の間に馭者の仕事で手綱を握っていて日焼けした両手の甲すら、うっすらと肌が白っぽくなっていたくらいだ。
「ぼ、僕は死んだんじゃなかったのかな。何が起きたんだ?」
「目を覚ましたか、吟遊詩人」
声をかけたのはポールだった。四人の中では一番、アトリエで何が起きたのかを理解できると思われる目撃者だ。
「自分でも気づいているんじゃないのか、吟遊詩人。奇跡が起きたんだよ。ダイアリーさんの賢者の石が奇跡を不思議な現象を起こしたようで、あんたの火傷は完治していた。せっかく水を汲んできたのに、かける暇すら無かったぞ」
「ダイアリーが僕を助けてくれたのか」
マルトがヴァンサンに誘拐されて人質にされ、ダイアリーがポールに連れられてではあるが黄色い家に助けに来てくれた。途中あれこれあったが、結局ダイアリーがご主人さまを守ってメイドの役目を果たしたという結果になった。
「そ、そういえば、そもそもの原因であるヴァンサンはどこに行ったんですか。あと、肝心のダイアリーは」
「その二人はそっちだ。ヴァンサンはじきに目を覚ますだろうけど残念ながらダイアリーさんは、二度と動けないだろうな」
ポールの示した方へ視線を移動させると、ヴァンサンとダイアリーは並ぶような形で床の上に仰向けに寝転がっている。ヴァンサンの体の上には毛布が掛けられている。アトリエ内は現在は窓が閉められているが、冬の真夜中らしく冷えた空気が漂っている。窓の外はいつの間にかすっかり静かになっていて、広場でのファランドウロも終わったようだ。床の上にはあちこちに水が残っている。
「ダイアリーがもう動けないとは、どういうことですか。以前、山火事の時にも、奇跡の力を使ったダイアリーは、しばらく意識を失っていた様子でしたが、その後は体力不足気味にはなりましたけど、ちゃんと動いて話すこともできていました」
「それは、心臓の賢者の石が、三分の一だけ力を使ったからだ。まだ三分の二の力が残っていたということだ」
「それは変じゃないでしょうか。全体の三分の一の力を失ったからといって、あそこまで体力不足気味になるものでしょうか」
「三分の一というのは比率としてはかなりの大量だ。例えば人間が、全身の血液のうち三分の一を失ったら、無事に生きていられるだろうかね」
マルトは医者ではないので専門的な知識は無いが、全身の三分の一を失血した人間がほぼすぐに死ぬであろうことは容易に想像がついた。そう考えればダイアリーは三分の二の力でよく生きながらえていたものだ。
「でも今回、残りの三分の二を使い切ってしまったので、彼女の心臓は今やもうただの石、ということなのだろう」
「ちょっと待ってください。二回って、奇跡の力をいっぺんに二回も使ったということですか」
立ち上がったマルトは、ダイアリーが横になっている側まで歩いて移動した。大やけどの影響はどこにも無い。全身が疲れた状態ではあるが、それ以外は健康だった。
右膝の痛みも無い。素早く歩くことができる。戦争で怪我をした足が治っている。
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