10-2 名前の意味

 ダイアリー以外の義人人形は見たことが無いが、とにかく人間の常識が通用しない存在であることは思い知らされる。


「わたくしは、工場生産の義人人形とは違いまして、叡王国に住んでいた研究者の方に製造されたのです。わたくしは生みの親であるその方のことを、博士、とお呼びしておりました。」


 そう言われると改めて、人間と義人人形の差異というものを実感せずにはいられない。


「博士には、幼い娘さんがいたそうです。わたくしは実際にお会いしたことはございませんが。その娘さんは、不治の病に冒されていて寝たきりになりました。博士は研究者でしたので、病気を治療するための万能薬エリクサーを開発しようと研究したそうです。しかし残念ながら娘さんは助からずに亡くなりました。博士はしばらく失意のどん底に沈んでいたようですが、その後、わたくしを製造いたしました。わたくしの容姿は、幼くして無くなった娘さんが無事に成長していたらこのような容姿になっていただろう、という想像で設定されたそうです。そもそもわたくしは、その娘さんの代替を果たして博士の寂しさを紛らわせるために生まれたのです。ですから、毎年風月 (ヴァントーズ) の二日にはわたくしの誕生日をお祝いしてくださいました。風月二日が娘さんの誕生日なので、わたくしの誕生日も風月二日という設定なのです。誕生日なのに設定というのは、こういう事情によるものでございます」


「風月二日か。まだ冬だな。……だったら、僕がこの水車小屋に来る前に、今年のダイアリーの誕生日は通り過ぎてしまっていたのか」


 ならば、風月二日という日付をしっかり記憶に刻んで覚えておこう。来年こそはきちんとお祝いをして贈り物をしたい。できれば、それまでに元気を回復してほしいところだ。


 そこでマルトは思い出した。風月二日というのは、聖母のお潔めの祭りの日だ。大切なお祭りの日と重なっているならば忘れることも無いだろう。マルトは万聖節が誕生日なので、二人とも祭日が誕生日という共通点があることになる。その偶然が少しだけ嬉しかった。


「今年はもう無理だけど、来年の風月二日には、忘れずにダイアリーへの誕生日の贈り物を用意するよ」


「ありがとうございます。そのお気持ちだけでも十分に嬉しく、報われた気分でございます。私への贈り物でご主人さまがご無理をなさる必要はありません。むしろ申し訳ないくらいの気持ちです。ですが本当の問題は、わたくしが無事に来年のその日を迎えることができるかどうか、だと思います」


 あまりにも過酷な現実に引き戻すそういう言葉を、マルトは自分の誕生日に聞きたくなかった。でも、発したダイアリーにとっては、それだけ切実な問題なのだ。


□■■


 テーブルを挟んで、お互いに椅子に座った状態で、二人は向かい合った。


「ご主人さま、お話ししておきたいことがございます。聞いてくださいますか」


 マルトは肯んじた。畏まった様子で申し出てくるからには、重要なことだろう。マルトとしても、しっかり腰を据えて聞くべきだ。


「先日、わたくしの誕生日設定に絡めて過去のことをお話しいたしました。その日はご主人さまのお誕生日でしたし、もう夜遅いということもございましたし、気が重くなるような内容の話はしない方が良いという判断で、言うのを控えていた部分があります。良い機会ですから、その後のことについてもお話ししておいた方がよろしいかと思いました」


「なるほど。君の過去ならば、僕もしっかり聞いて受け止める必要があるね」


「ありがとうございます。わたくしは、博士の娘さんの代替品として作られて生まれました。生まれて最初に命じられたことは、娘さんが生前に書いていた日記を読んで、娘さんの記憶を継承すること、でした。生まれた後のわたくしは、娘さんが経験するはずだった人生を生きて、それを日記に記すと同時に義人人形でもあるわたくしも、娘さんの生前の人生と没後の人生を記憶することを存在意義とされました。それでわたくしが日記を書くことになったのです。わたくしは存在そのものが娘さんの日記帳の代わりなのです。だから、名前は叡王国の言葉で日記を意味するダイアリーなのです」


「君は……生きる日記帳だったのか……」


 彼女のダイアリーという名前は、日記という意味だったのだ。


「わたくしはしばらくは、忠実に日記帳という自分の役割を果たしてきました。しかしある時、博士は倒れてしまいました。もうご高齢で寿命だったのです。博士は今際の際に、わたくしに遺言を残されました。わたくしを娘さんの代わりとして製造したものの、義人人形として見ていると、娘さんの代替をしての人生を過ごすのが勿体ない、申し訳ない、と思うようになった、とのことです」


 それを言うなら、義人人形は亡くなった人の代わりにはなれない。


「博士は、最後に謎めいたことを言っていました。エリクサーは失敗したのではなく、きちんと成功して完成したのだ、と。それと、エリクサーの成功を、うっかり他人に漏らしてしまったので、情報が拡散してしまうかもしれない。そうなっても奪われないように注意せよ、と。そして博士はわたくしに言いました。ダイアリーはダイアリーの人生を精一杯生きろ、と。世界は美しい。その世界を色々と広く見聞して、その美しさを目に焼き付けろ、と。そしてダイアリーは、義人人形として不具合を起こす時が来るかもしれない。不具合が起きなければ起きないに越したことはないが、もしも起きた時にのために、ドヴェルグ族の工人を探せ、と。ドヴェルグ族の工人はプロヴェンキア地方のどこかにいると思われるので、世界を見る旅のついでに、探しておくように、そして、万が一不具合の時は工人を頼るように。でした」


 義人人形といえども、生きているのだ。ただ持ち主に慈しまれるだけの動かない物言わぬ人形とは違うのだ。その生涯は、さまざまな苦労を経ていて、それでいてこれからも更なる紆余曲折を経験するであろうことが確定しているようだ。


 立ったマルトはそっとダイアリーに歩み寄り、椅子に座ったままのダイアリーを横から優しく抱きしめた。


「ご、ご主人さま?」


 ダイアリーは嫌がることはなかったが、困惑している様子だった。


「僕が風邪を引いて寒さに震える時には、君が寄り添って温めてくれたじゃないか。僕は君に支えられるだけの人間にはなりたくないんだ。なんというか、君と僕とでお互いに支え合えるような、そんな関係になりたいと思っているんだ」


「わたくしはメイドですので、ご主人さまを支えるのは当然で、それこそが仕事のやり甲斐というものでございます」


「当然でも何でもいい。僕を支えてほしい。そして僕に、君を支えさせてほしいんだ」


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