Tableau10 霜月 (フリメール)

10-1 誕生日


  長い間、悲しみの中にいた

  私の状況全てが、辛かった

  いかに熟睡していようとも

  恐怖から目を覚まさないことはなかった

  だが今はわかる、信じて感じるのだ

  あの苦悶を乗り越えたということが

  二度とあそこには、戻りたくない


(中世の吟遊詩人、ジャウフレ・リュデルの歌より)




 晩秋が終われば初冬になる。


 霜月 (フリメール) の一日は、万聖節のお祭りの日である。別名に諸聖人のお祭りとも言う。


 女神ジュリア教で伝えられる多くの聖人たち全てを祝福するお祭りだ。女神ジュリア教が信奉されている地域のどこでも祝われる。


 個々の聖人のお祭りの日は、年間を通して多数ある。聖ジョルジュの祭り、聖マルクの祭り、聖ピエールの祭り、聖クレールの祭り。他にも大小併せて幾つあるのか数えるのも面倒くさいほどだ。にもかかわらず、全ての聖人をお祭りする万聖節まであるのだから、よほど何かの理由をつけてお祭りを実施したい人間の性なのかもしれない。万聖節に関しては、個別に祭日を設定される程ではない有名とは言えない聖人も取りこぼし無くお祝いしたい、という側面もあるのだろう。


 本日はお祭りということで、乗合馬車の仕事も休みだった。


「本当は、ダルレスの街で万聖節のお祭りを満喫したかったのではありませんか?」


 椅子に座ったダイアリーが言う。立ち上がって動くことはできるが、すぐに力が尽きてしまうので、座ったままで居るのが一番安全なのは、あの山火事の日以降ずっと変わっていない。


「いいんだよ。以前にも言ったような気がするけど、僕はお祭りにはあまり興味は無いんだ。……いや、ちょっと違うかな。お祭りはお祭りで楽しそうだ。興味は無くはないんだ。ただ、一緒に行ける恋人がいなかったから、興味が無いふりをしていたというか、お祭りの飾り立てて華やかな様子が余所余所しく見えていただけなんだ」


「吟遊詩人としては、お祭りはかき入れ時なのではございませんか」


「そう思うところなんだけど、お祭りの時に演奏をするのは許可が必要になるんだ。その許可を取るのが厳しくて面倒でね。他の演奏家や大道芸人なんかもお祭りの時に活動したいから。だから僕はお祭りはどちらかというと距離を置いていた側なんだ」


「さようでございましたか」


 もしもダイアリーと一緒にダルレスの街を歩いて、お祭りの光景見たら、どんな心境になるだろうか。今までは白黒写真のような色褪せたようにしか見えなかった風景が、ルテティアの都で売れている油絵のような明るい色彩を帯びて見えるようになるかもしれない。


 今までと同じ景色を見ても、見え方が変化するかもしれない。


 だが現実には、マルトは右膝をいためていて歩くのが少し不自由だ。ダイアリーに至っては、夏の山火事の日以降、体調不良により長時間の出歩きが難しくなっている。


□■■


 マルトがカルドロン風呂から上がると、水車小屋の中で待っていたダイアリーが麻の小袋に入ったものをマルトに差し出した。


「ご主人さま、お誕生日おめでとうございます。こちら、わたくしが用意した贈り物でございます」


 それを受け取りながらもマルトは驚きを隠せなかった。


「え、ダイアリー。どうして僕の誕生日を知っているんだい? 霜月 (フリメール) の一日が誕生日だなんて、言ったことあったかな」


「以前、ご主人さまが風邪をお召しになった時に、自分の誕生日は万聖節の日と同じだ、とおっしゃっていましたよ」


「そんなこと言ったっけ。いや、ダイアリーが記憶しているってことは、言ったんだろうな」


 風邪を引いた時は、熱が出て意識も少し朦朧としていた。自分の誕生日をダイアリーに打ち明けていたという認識はなかった。その時の記憶も曖昧だ。


「とにかく、祝ってくれて嬉しいよ。ありがとう。この袋、開けてみていいかい」


 ダイアリーが小さく頷いたので、マルトは袋の中身を取り出した。先月中、ダイアリーが手作業で作っていた物の正体はこれだったのだ。革製の手袋だ。


「これからの季節は、時に北西風 (ミストラル) が吹いて冷たいです。そんな中で馭者として手綱を握って仕事をするのは大変そうだと思いまして。内側に羊の毛を毛羽立てて付けてありますので、暖かいはずです。夏に使うには向かないでしょうけど」


 自分だって山火事の日以降は体が不自由であるにもかかわらず、自身の心配以上に主人であるマルトの身を案じてくれている。その事実がマルトの胸の奥の繊細な弦を震わせてせつない音色を奏でる。


「大切に使わせてもらうよ。それはそうと、ダイアリーの誕生日はいつなんだい。お返しに何か贈り物をしたいんだけど」


「わたくしは義人人形です。製造日はあるかもしれませんが、誕生日というものは存在しません」


 軽率な質問だったかもしれない。言われてみれば義人人形に誕生日があるはずが無い。いつも毎回、彼女が義人人形であることに配慮できていないことばかり発言してしまっている。


「じゃあ、製造日って、いつなんだい?」


「何を以て製造日と言うかの解釈によって違います。製造工事を始めた日なのか、完成した日なのか。蒸気船の場合などは、起工日と進水日と竣工日があると聞きます。わたくしの場合ですと、起工日と竣工日と、あとは、プロヴェンキア地方にやって来てこの水車小屋に勝手に住み着いた日と、後からご主人さまがお見えになってここで一緒に暮らし始めた日、あたりが誕生日として設定し得る日だと判断いたします」


「いや、出会った日は、それはそれで記念日だけど、君の誕生日とは別物だろうなあ」


「あ、そうでした。設定という言葉で思い出しました。わたくしには、起工日とか竣工日とかの他に、誕生日、という設定がそもそも存在しているのでした」


「誕生日という『設定』だって? なんなんだそりゃ」


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