5-3 自分を知れ

 叡王国の貴族の社交場ならともかく、一般の人間の間では、義人人形はとても珍しい。実物を見た経験が無い、という人が大半だろう。


「わたくしが義人人形ではない、という疑念を持っておられますか? ならば、証拠をお見せするべきでしょうか。メイド服を脱いで全裸になれば、人間の女性ではないことは、ご納得していただけると思います」


「別に、そなたの裸を見たいわけではない。ダイアリー。煙草は吸うかね?」


「いえ、義人人形なので、煙草は吸いません。それがどうかいたしましたか?」


「……いや、なんでもない。これからの季節、気温は夏らしく高くなるが、空気は乾燥したままで風も強いので、煙草の火の不始末による火事には注意が必要だぞ、ということだ」


「それは、ご忠告感謝いたします。わたくしもご主人さまもプロヴェンキア地方に来てからは初めて夏を迎えることになりますので。といっても、わたくしもご主人さまも煙草は嗜みませんけど」


 ドヴェルグ族のカリエールは眉根を寄せて、渋い表情をしている。


「我は、そなたが分からないのだ、我もかつて、気まぐれで義人人形を試みに製造したことがある。しかしダイアリー。そなたは何者なのだ? なぜ動いている? そもそも命とは何なのだ? 何を以て生きていると定義する?」


「そのような哲学的なことを言われましても」


「我は、吝嗇や意地悪でそなたの不具合を直せないと言っているわけではないのだ。分からないのだ」


 ダイアリーはその場にしゃがみ込んだ。水分不足ではなく、疲れたのだ。義人人形は肉体的な疲れには強いはずだが、精神的徒労感には抗えなかった。今更ながらに背負っている籠が負担に感じた。


「ダイアリー、そなたは自分がどういう風に動いているか分かるかね? 義人人形だけではない。人間だってそうだろう。生命とはどう誕生したのか。今、どうやって生きているのか。自分が生きているからといって、自分の体の中にある内臓の働きを全て把握している者などいないであろう。例えば、蒸気機関車はどうかね。乗る機会はあっても、どういう仕組みで蒸気を発生させて動力にしているのか、あの細かい配管や装置を見て、正確に理解して乗っている乗客が果たして何人いるのか」


ドヴェルグ族の男カリエールはうなだれた。白い髪と長い髭が、茴香 (フェンネル) の糸のような羽状の複葉のようで、枯れた印象を漂わせている。


「本当にそなたが不具合を起こしてしまったら、その時にはそなたがどのように動いて、どこに問題があり、どう直せば良いか分かるかもしれない。そうなった時に、また来るが良い。ただし、その時にはもう、手遅れになっているかもしれないが。そうならないためにも、ダイアリー、そなたは自分を知らなければならない。そなた、メイドだから主人に仕えるのだと言っておるであろう。そのためには、主人がどのような人物であるか、知らなければならない。何時くらいに寝起きするのか、とか、食べ物の好き嫌いは何があるか、とか」


「はい。それは勿論でございます」


「それと同じか、あるいはもっとそれ以上に、自分を知れということだ。自分を知るとは、難しく、時に残酷なものだ。知れば知るほど、絶望することすらある」


 ダイアリーの落胆は大きかった。せっかく探していたドヴェルグ族の工人に出会えたのに。肝心のことが何も分からないままだった。それでも気を取り直して立ち上がった。


「分かりました。わたくしが、不具合になった時にまたお会いしましょう。いえ、そんな日が永遠に来ない方がいいのかもしれませんが」


 後ろを向き、来た道を戻ろうとするダイアリーに対して、背後からカリエールが声をかける。


「最後にもう一つ忠告だ。人生において、元来た道を戻りたい時もある。だが、元居た場所にはもう戻れないものなのだ。例えば手を大怪我したとして、怪我自体は治療したとしても、怪我をする前には時間を逆行して戻れない。今後は怪我の恐怖と戦うことを余儀なくされるし、怪我をする前にできていた技術的なことも上手く行かなくなっているかもしれない。この洞窟には、白き岩山レ・ボーの地獄谷にある妖精が棲むコルド洞窟と繋がっているという伝説がある。伝説によれば、愛の告白に失敗した男の悲しみの涙が岩を浸食してできた洞窟だともいう。愛の告白だってそうだ。一度告白してしまえば、以前の関係性には戻ることはかなわないのだ。だからといって変化を恐れてはならぬのだが、その一方、今という時間を大切に生きることも重要だ。という話だ」


 カリエールが語り終えてから、ダイアリーは帰路についた。謎のヒカリゴケがあるので視界は確保されているが、今度は黒猫の先導もなく、ダイアリー一人だけの行程だ。自然の洞窟なので足場の良くなさもあるし、一本道ではあっても折れ曲がっているので先は見通せない。太陽も見えず時間感覚が取れていないので、どれくらいの長い時間歩けば良いのかも目安がつけられず、義人人形ではない生身の人間だったら不安に押しつぶされてしまいそうになるかもしれない。


 長い洞窟を抜けると、降っていた雨はやんでいた。白っぽい見慣れぬ風景があった。乾いた風が余所余所しく吹いている。モンマジュールの旧修道院の周辺ではない。


「ここって、もしかして」


 山の上は、かつては難攻不落を誇っていたという砦の跡地だ。往時は、アッバース帝国の異教徒たちが攻め寄せて来た時に邀撃する拠点としてその威を示していたともいう。実際に来たのは初めてだが、聞き覚えのある場所だった。


「レ・ボーの要塞跡地。どうしてここに」


 来た道をそのまま戻っていたはずなのに、出発点とは異なる場所にきてしまった。カリエールが言っていた教訓話が現実のものとなってしまった。モンマジュールで降っていた雨がやんだのではなく、別の場所だから、そもそも降っていなかったのかもしれない。地面は初夏の太陽を受けて乾いている。


「レ・ボーからダルレスまでって、どれくらいの距離だったでしょうか」


 ダイアリーは記憶の中で地図を広げる。


 ダルレスの街を基準にすると、モンマジュールの旧修道院までの距離の約一〇倍くらいあったはずだ。ということは、太陽の高さから判断すると、今から徒歩でダルレス郊外まで帰るならば、到着するのは日が暮れて暗くなってからだ。


「ご主人さま、ご心配をおかけしてしまいます。女神ジュリア様よ、御加護を」


 帰宅が遅くなるが、無事だ。ただ連絡する手段が無い。今のダイアリーにできることは一刻でも早く水車小屋に帰れるように歩くことだけだった。


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