5-2 ドヴェルグ族

「まあ焦ることなくじっくり探しますよ。こういうことは女神の思し召しなので、見つからない時にはどんなに頑張っても見つけられないけど、見つかる時にはほんの偶然だけであっさりと見つかったりするものです」


「女神ジュリアさまの気まぐれ、ですか。おっしゃる通りかもしれませんね」


「私はこうして、プロヴェンキア地方のあちこちに足を運んで、絵を描いております。賢者の石を探す仕事が無かったとしても、このダルレスの街にしばし腰を落ち着けて、作画に挑んで行きたいと考えています」


 ヴァンサンと名乗る男、得体の知れない感じはするが、実際に絵を描いていることもあり、絵に真摯に取り組んでいることについては本当のことなのだろうと思われた。ヴァンサンが座っている横には籠が置かれていて、その中には幾つもの石炭が入っていた。ヴァンサンの描いている絵は、石炭で仮の構図を描いて、その間を埋めるようにして絵具で塗り潰しているらしい。


「そうですか。確かにプロヴェンキア地方は、叡王国の霧の都とは違って、空も明るく澄み渡っていて、太陽もきれいに輝いています。絵を描くには相応しい地かもしれないですね。良き絵を描けるよう女神ジュリアさまに祈っております」


「義人人形のメイドのダイアリーさん。収穫は初心を思い出させてくれるものです。一二カ月の変化は、私の心を揺さぶるのです。見よ、この自然の変化を。これは、生まれてから老いるまでの人生と重なるのではないだろうかと思うのです。そういった内面性を、私は絵に描いて残したい」


 すっかり長居してしまってから、ヴァンサンと別れ、ダイアリーは先へ進んだ。グラン・クラール湖の畔を、風を受けながら通り過ぎる。金髪と胸の青紫色のリボンが揺れる。


 モンマジュールの旧修道院は丘の上にある。修道院として現役だった頃は三角州の中央に位置していて、小舟を使わなければ渡れなかったという。現在では川の流れが変わって地続きになっているが、通り道が比較的急な上り坂になっていて、普通の人間だったら少し息切れして汗ばむくらいの苦労をしそうな道程だった。ダイアリーは汗をかくこともなく丘の上に辿り着いた。ただし水分補給は必要なので、ブリキの水筒から水を飲んだ。


 旧修道院の周辺は荒涼としていて、無秩序に木が生い茂っている。一世紀ほど前に革命で王家が打倒された頃から生えていたかと思われる古い糸杉や、秦皮 (トネリコ) 、柳の木が自在に枝を伸ばしている。


 それでも限られた敷地の中だけはきちんと管理されていて、雑草は刈り取られ、花壇と菜園では季節の花が妍を競っている。収穫月 (メシドール) の今ならば、プロヴェンキア地方のどこでも見られる代表的な花であるラヴェンダーの紫色が特に目を引く。ラヴェンダーの中のどこかでクールリークールリーとさえずっている鳥は大杓鷸 (タイシャクシギ) だろうか。加密列 (カモミール) の白い花、神秘的な深い青色の花を太陽に向けて開いている瑠璃萵苣 (ボリジ) も見られた。プロヴェンキア地方のたとえようもない美しい景色は、すべて太陽の光を受けて輝き出す。


 ダイアリーは建物の中に入ってみようと入口を見つけたが、管理者に制止されてしまった。


「建物は廃墟になって久しいものです。階段の踏み板がところどろこ抜けていたり壁が崩れかかっていたりして危険です。中に入るには、不動産本部の許可が必要となります。許可証はお持ちですか?」


 そのような物が必要ならば、事前に取得しておけば良かった。そもそも、どのように取得するのか。だが、ドヴェルグ族の工人を探す用件からすると、建物の中に入る必要性は、あまり無い。


「建物を外から眺めるのは、よろしいですか?」


「中に立ち入らないのでしたら、ご自由に」


「この旧修道院に、ドヴェルグ族の工人が住んでいるという噂を聞いたことがあるのですが、それに関しては、何かご存じではありませんか?」


「何でしたっけドヴェルグ族って。暗黒大陸出身の兵士でしたか?」


 管理者はズアーブ兵と勘違いしている様子だった。


 仕方なくダイアリーは旧修道院の外観を見て回ることにした。生い茂っている木々の中に、黄金色の花を枝に点々とつけている金雀枝 (エニシダ) が目に眩しい。無花果の実はまだ小さく、月が変わる頃にはすっかり熟して食べ頃になりそうだった。


 旧修道院の建物は、古代帝国時代を髣髴とさせるどっしりとした建築様式で、その後時代を経て改築された部分は繊細な浮彫や装飾で彩られていて、屋根の三角部分に近い丸花窓には、今もステンドグラスが美しく映えている。


 ふと気がついてみると、ダイアリーの歩いているすぐ前に、一匹の黒猫がいるのが見えた。旧修道院の敷地に住み着いている野良猫だろうか。


 黒猫は、ダイアリーが歩んで行く数歩先を、長い尻尾を振りながら歩いて行く。形の上ではまるで黒猫がダイアリーを案内してくれているかのようだ。


 せっかく旧修道院まで来たものの、これといった収穫が無いまま帰っても面白くはないので、ダイアリーは気まぐれを起こして黒猫について行くことにした。


 黒猫は、高木がまばらに立っている間に立麝香草 (タイム) が茂っている場所に入っていった。赤紫色と白が混ざったようなごくごく小さな花を幾つも群生させている様子は可愛らしいのだが、膝くらいの高さの木が茂っていて歩きにくい。ダイアリーも黒猫の後に続いて獣道を進む。立麝香草 (タイム) の爽やかな香りが一瞬だけ漂い、すぐに風に吹き消される。九十九折りの小道はやがて開けた岩地に出た。朝に見た積乱雲が頭上に迫ってきたのだろうか。ずっと張れていた青空が急に薄暗くなり始めた。


 岩場の隙間に根を下ろすようにして生えている二本の林檎の樹の間に、岩がぽっかりと口を開けた感じの洞窟があることに気づいた。丁度その時、ぽつりぽつりと大粒の水玉がしたたり始め、すぐに本降りの雨となった。


 黒猫は洞窟の中にためらわずに入った。ダイアリーは一瞬迷ったものの、雨足がすぐに強まってきたため、続いて洞窟内に入り込む。


 取りあえず雨宿りはできる。


 しかしこの洞窟、立入禁止の表示も無い上に管理者が近くにいるわけでもないので、不動産業者にも認識されていない洞窟なのではないか。


 黒猫が先に行っているようなので、ダイアリーも奥へ進む。灯りになる物は持ってきていないが、壁と天井に付着しているヒカリゴケのおかげか、洞窟内の様子は窺える。


 いや、このヒカリゴケ自体が普通ではない。明らかに人工的にきれいに線になって並んでいる。洞窟内を照らす目的だろう。


 天然の洞窟なので凹凸があり、石畳の道のようには快適には歩けない。だが、数歩進むのに難儀するほどでもない。黒猫の長い尻尾を見つけ、ダイアリーは更に奥へと向かう。洞窟は九重葛 (ブーゲンビリア) の蔓のように曲がりくねってはいるが、一本道なので迷うことはなかった。


 温暖で乾燥したプロヴェンキア地方の気候とは正反対で、洞窟の中は次第にひんやりとしてきて、湿気も増えてきた。


 どれほど進んだだろうか。太陽が見えないため時間経過の感覚も麻痺してしまう。


 先導してくれていた黒猫が立ち止まり、ダイアリーの方へ振り向いた。


 と、同時に、ヒカリゴケが密生している天井から低く太い声が響いた。


「我が住処に立ち入ったのは何者か。名を名乗られよ」


 天井に人が潜むような場所があるわけではなく、どこかで発せられた声を伝える仕組みがあるのだろう。こちらから発した声が相手に届くのかどうかは不明だが、名乗れと言われたからには名乗っておくべきかとダイアリーは判断する。


「わたくしはダイアリーと申します。メイドを天職としてご主人さまにお仕えしております」


 ダイアリーは天井に向かって大きめの声を出した。


「そこまで大声を張り上げなくても聞こえるぞ。ダイアリーとやら」


 今度はすぐ目の前から声が聞こえた。目線を戻すと、黒猫のすぐ横に背の低い白髭面の男がいつの間にか立っていた。ダイアリーの胸くらいまでの身長だが、がっちりした体格で、見た感じだけなら縦と同じくらいの横幅があるように思える。太っているというよりは、脂肪ではなく筋肉が付いている感じだ。虎のように鋭い眼光でダイアリーを見定めている。赤い袴と同じ色の帽子、ジャケットは黒で、ズアーブ兵のような服装をしている。


「お初にお目にかかります。あなたはもしかして、ドヴェルグ族の工人ですか?」


「いかにも。我の名はカリエールという。魂の名を示す本名ではなく、人に名乗る時用の仮名だ。石切場、という意味だ」


 一瞬、ダイアリーは言葉を失い、左手で自らの左胸を押さえた。ようやく、探していたドヴェルグ族を見つけることができた。感慨が、石段を一段一段上がるようにじっくりと湧き上がってくる。むしろ、プロヴェンキア地方全体という捜索範囲の広さを考えれば、案外近くにいたものだし、すぐに見つけることができて幸運だったとも言えよう。


「実は、ドヴェルグ族の工人であるあなたにお願いしたいことがございます。わたくしは義人人形なのですが、どうも、今後不具合を起こしてしまうらしいのです。それを未然に防ぐようにしていただきたいのです」


 腰を折って深くお辞儀をする。そんなダイアリーを見て、ドヴェルグ族の横にいる猫が退屈そうに欠伸をして、後ろ脚で耳の後ろを掻いている。


「ダイアリー。そなたは、本当に義人人形なのか?」


「え?」


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