Tableau5 収穫月 (メシドール)

5-1 対峙


  今や逆さまの花が咲き誇っている

  切り立った岩の上に、そして丘の上に

  いかなる花だろうか、雪と氷と霰の花

  痛め破壊し、そして切り刻む花

  葉と枝と、そして若芽の中で

  鳥の歌もさえずりも鳴き声も、死に絶えたのが見える


(中世の吟遊詩人、ラインバウト・ダウレンカの歌より)




 ダイアリーは家事を済ませて出かける準備をする。マルトは既に出勤している。本日は以前に噂を聞いたモンマジュールの旧修道院へ行ってみる予定だった。


 晩春と初夏が入り混じったような収穫月 (メシドール) の気候は生身の人間ならば汗ばんで日焼けするほどに、太陽が眩しく高く支配する。鳥が遠くの積乱雲を目指すかのように空を高く飛び行く。


 人々は麦の収穫で、ぎらつく太陽の下で忙しく働いている。収穫が終わった場所では女たちが落ち穂拾いをしている。


 モンマジュールの旧修道院は小高い丘の上にあるため、途中のクロー平原を隔てて遠くダルレスの街からでも望むことができる。別名に女神ジュリアが涙せし僧院、ともよばれている。名前の由来は誰も知らないらしい。


 古代帝国風の建築様式の建物で、全盛期には多くの修道僧が集まって女神ジュリア教の神学を学んでいたという。現在はダルレスの不動産業者が管理していて、庭園には自由に出入りできるので軽いお出かけの行き先として親しまれている。


 ダイアリーは途中で薬草採取も兼ねて行うつもりなので、葦を編んだ大きめの籠を背負って出発した。


 プロヴェンキア地方は乾燥した気候のため、道も常に埃っぽい。プロヴェンキア地方の各地で見られる、十字路に立てられている白石灰石の十字架も、土埃の洗礼を受けている。


 道の途中、大きな麦藁帽子を被った男が一人、イーゼルを立てて風景画を描いていた。ダイアリーは「こんにちは」と挨拶の声をかけ軽く会釈しながら通り過ぎようとする。


「お嬢さん、ちょっと待った」


 男は絵筆を止めて、焦茶色の髭に覆われた口を億劫そうに動かした。異教御柳 (ヒース) の根製のパイプを咥えたままなので、器用なしゃべり方だ。


「な、なんでしょうか。わたくしに、ご用でしょうか」


 ダイアリーはメイドであるため、ご主人さま以外に対しても、基本的には折り目正しく礼儀を尽くすのが原則だ。


「お嬢さん、あなた、義人人形なんでしょう。あ、申し遅れましたが、私は女神ジュリア教団十字架護持者として異端探しをしているヴァンサンと申します」


「わたくしはダイアリーといいます。お察しの通り、義人人形でございます。よくおわかりになりましたね」


「ダイアリーさんですか。あなたの服装は、いわゆるメイド服でしょう。叡王国以外では滅多に目にする機会の無い服装ですよ。かくいう私も、叡王国に行ったことはありませんし、金持ちの貴族でないと義人人形なんて所有していないといいますから、実際にメイド服を着た義人人形の実物は初めて見ました」


 そう行ったヴァンサンは、皮袋製の水入れに口を付けて飲んだ。酒臭さは漂っていないので中身は水なのだろう。日差しが強く、帽子を被っていても暑さの影響を受けて喉が渇くのだろう。


「実はですね。あたなにお会いしたいと思っていたんですよ。ダイアリーさん」


 ヴァンサンの言葉に、ダイアリーは少し腰を引いて身構えた。


「わたくしを、ここで待ち伏せしていたということですか」


「おっと。いやいや、誤解しないでもらいたい。今日、ここで出会ったのはあくまでも偶然です。私は、十字架護持者です。サン・トロフィーム教会での日曜夕拝式の説教もたまにですけど担当しております。きちんとした社会的身分のある聖職者ですから。女神ジュリアの名にかけて、待ち伏せではないことを誓います。ご覧の通り、私は絵を描くことこそが十字架護持者以上の自分の天職と考えていて、プロヴェンキア地方のあちこちへ赴いて油絵を描いております。ダルレスの街のラマルティーヌ広場2番地に、私のアトリエがあります。そこにあれこれと絵が置いてあるので、それを見れば、私の言っていることが嘘ではないと納得してもらえるはずです」


 ダイアリーは、しばしヴァンサンの顔を見つめた。若そうにも見えるが、中年以上の年齢にも見える。年齢不詳ということは、それなりに苦労した人生を送ってきたのかもしれない。


 ヴァンサンが被っている麦藁帽子は、近くでよく見たら麦藁製ではなく、ラフィア椰子の繊維で編んだ物だ。高級品と呼ばれる物のはずだ。そんな物を使っているくらいだから社会的地位があるというのは嘘ではないのかもしれない。しかし偶然出会った、という部分が本当か嘘かはダイアリーには判断できかねた。だがいずれにせよ、ダイアリーに会いたいと思っていたとは言っている。どのような用件なのか。そちらを気にするべきだろう。


「それで、わたくしにどのようなご用でしょうか」


「ダルレスの街で、あなたを見かけたことがあります。メイド服を着てるのは恐らく近辺であなた一人だけでしょうから、見間違いではないはずです。ダイアリーさん、あなた、巨大なカルドロンを特注で製造してもらっていましたよね。メイドさんが、あんな特殊な物を購入している場面ですから、それはもう当然印象に残ったというわけなのですよ」


 言われてダイアリーは、カルドロン購入当日に思いを巡らせる。一カ月くらい前に注文していたカルドロンが完成したと聞き、完成品を自分の目で確認し、水漏れ等が無いこともしっかり確認して、後払い分の料金を支払い、水車小屋までの配達を頼んだのだ。鍛冶場の外でやりとりをしていたので、道行く人々はカルドロンの威容を目の当たりにしていたはずだ。


「ルテティアの都のモンマルトル街にあるブレバン亭のような、お客さんがたくさん入る有名な料理屋でも、あそこまで大きな釜は使わないと思うんですよ。ダイアリーさん、あれを何の用途に使うつもりで購入されたのですか?」


「ご主人さまに入浴していただくためです」


「入浴? そんなのは、ダルレスの街にある浴場か、そうでなければ川で水浴びでいいじゃないですか。これから先、暑い季節になることですし」


「誰にも気兼ねなくゆっくりお風呂を楽しんでいただくためには、家庭個別の風呂があった方がいいとわたくしは考慮します。入浴剤もあれこれ楽しめます。確かに、庶民というよりは叡王国貴族的思考なのかもしれませんが」


 ヴァンサンは絵筆を握ったままの右手で、自分の頬を掻いた。絵筆の先が誤って額に付いてしまい、濃いオレンジ色の線を皮膚に残す。口に咥えたパイプからはゆらゆらと煙が立ち昇る。煙草にしては随分と黒っぽく見える煙だった。


「出会ったばかりなのに、いきなり不躾なことを聞いて申し訳ありません。ご存じかどうか知りませんが、カルドロンという物は一般の人にはかなり珍しい物ですからね。ですから、錬金術に使うためにカルドロンを用意したのではないかと疑ってしまったのですよ。錬金術は怪しい異端の技術ですから」


「そういうことでしたか。確かにカルドロンについては、驚かせてしまったようで、お詫び申し上げます」


 いつの間にか女神ジュリア教団の十字架護持者に異端の疑念を抱かれてしまっていたようだが、本日ここで誤解であったと理解してもらえたようだ。安心してダイアリーは先を急ごうとする。


「ついでにもう一つ聞いておきたいのですが、ダイアリーさんは、プロヴェンキア地方のどこかに賢者の石が持ち込まれているという噂を聞いたことはございませんか?」


「な、何でしょうか、賢者の石って」


「聞いたことがありませんかな。錬金術で使われる物体です。鉛を黄金に変換する不思議な力を持っているとも聞きます。三つの願いを叶える力があるとも言われるようです」


「三つの願いを叶えるって、アッバース帝国の物語に登場する魔法のランプじゃないでしょうか」


「それはどちらかというとお伽話でしょうかね。錬金術もアッバース帝国発祥のものですから、ある意味親戚のようなものかもしれませんが。いずれにせよ賢者の石は異端の技術であり、取り締まりの対象です。ほんの些細な情報でも構いませんので、提供していただけるとありがたいです」


「済みません。わたくしの記憶領域には、賢者の石に関する知識はございません。それに、捜索範囲がプロヴェンキア地方全体というのは、広すぎはしませんか?」


 プロヴェンキア地方とは、馨しの国の最南部にあたる、内海に面した温暖な気候が特徴の地域だ。古代帝国時代からの長い歴史を持つダルレスの街だけではなく、同じく古代帝国の植民市だったマッシリル、かつて女神ジュリア教団の法王庁が置かれたこともあるアフィゴン、労働者が穿くズボンに使われる綾織り厚地織布で知られるデニム、など、幾つもの街を含む広い地域を指す。山も谷も野も河も、三角州の湿原地帯も、湖も森もある。その中で有力な情報が無い中で特定の石を探すというのは無謀ではないのか。


 だがダイアリーもまた、有力情報が乏しい中でプロヴェンキア地方の中から特定の個人を探している。似たようなものだ。


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