4-2 湯たんぽの温もり
翌日になると、ダイアリーの添い寝のおかげか、若干は体力が回復したマルトだった。だが、風邪はすぐには治らない。まだ熱っぽいし、喉も痛い。
ダイアリーが作ってくれたスープは栄養があると同時に喉の症状にも薬効があるのか、昨日よりは随分と楽になった。
何もせずに寝藁の寝台に横になっているだけでも、時間の経過はあっという間だった。
夕食を終えたマルトが毛布の中に入ったところで、ダイアリーはブリキ製の亀の甲羅のような形の物を取り出してマルトの方に掲げて見せた。
「買ってまいりました。湯たんぽです」
ダルレスの街へ、マルト病気欠勤の報告と買い出しに行った時に、忘れずに購入してきたようだ。
「あ、でも、それにお湯を入れるために、わざわざ石炭を焚いて新たにお湯を沸かすのも、勿体ないな」
「でも、ご主人さまの体調には代えられないです」
「それはそうだけど」
「でしたら、節約のために一つ試みたいことがあるのですが、よろしいでしょうか? 今からお湯を沸かすための時間も節約できますので」
ダイアリーは自分の左手の薬指の爪を、右手で抓んで剥がした。見るからに痛そうな場面ではあるが、義人人形なので人間の爪とは別物であって、最初から着脱可能なものだったらしい。
左手の薬指の先端から、湯気を立てながらお湯が出てきた。白い濛々とした濃い湯気なので、熱湯といっていいくらいの高温のようだ。そのお湯を湯たんぽの中に注入する。
「えっ、そこからお湯が出るのか?」
「義人人形は、言うなれば蒸気ボイラーが人型を取って動いているようなものです。ですから、水を加熱して蒸気にすると、次第に水中にスラッジと呼ばれる懸濁物質や、あるいは溶存している不純物の濃度が高くなって諸々不具合を起こしてしまいます。それを防ぐために維持管理作業として定期的にお湯を排出する必要があるのです」
「ダイアリーの今後起こる不具合って、それじゃないのかい」
「不具合を未然に防ぐための定期排出ですので。これではないように思います」
湯たんぽ一杯にお湯が入ると、蓋を閉めて、ダイアリーの左手薬指の爪も元に戻して装着した。ブリキの湯たんぽにそのまま触れたのでは人間は火傷してしまうので、しっかりと布でくるむ。マルトが寝ている毛布の下をめくり、足先を露出させた。
「これを足の裏で触れるような感じにすれば、随分と暖かいはずです」
「あ、確かに暖かいな。ありがとう」
「買ってきて良かったです。それに、単に捨ててしまうだけのわたくしのお湯がご主人さまのためにお役に立てたのも嬉しいです」
ダイアリーは灯りを消した。そして、昨晩と同様にマルトの隣に潜り込んだ。
「えっ。湯たんぽを用意したから、もう添い寝は必要無いんじゃないの?」
「わたくしの体温は、水を蒸気にするための加熱が体表から逃げているもので、いわゆる熱の損失です。何もしないでいても出て行ってしまう熱なので、こうしてご主人さまのためにお役に立たせることができる方が効率的です」
義人人形は何かと損失とか効率とかいったことを過度に気にするようだ。
「何より、わたくしが、ご主人さまに寄り添いたいのです」
彼女はいつも真剣に自分のことを思ってくれるようだ。
いや、それはダイアリーが義人人形であり、誰かご主人さまにメイドとして仕えるのが存在意義だから、そういうふうにできている、というだけの話なのか。つまり、ダイアリー個人が特にマルトのことを好んでいるというわけではないのだろう。
だが、それを言ってしまえば、人間が恋愛感情や性欲を抱くのも、女神ジュリアがそう創造したからでしかない。
ダイアリーがマルトに抱いている感情は、どのようなものなのだろうか。
逆に、自分がダイアリーに対して抱いているこのほんのり甘く暖かい感情は、何者なのだろうか。
考えても答えは出なかった。
ダイアリーが買ってきてくれて、ダイアリーのお湯を注いでくれた湯たんぽの温かみを裸足の足先に、そして、ダイアリーそのものの温かみを隣に感じながら、マルトは眠りに落ちていった。
■■■
風邪を引いていた時は、熱のため意識が朦朧としていて思い出せなかったことがある。
以前に馬車の乗客が会話していたのを、小耳に挟んだことがあった。
「その女のことを本当に好きなのか、あるいは単に体目当ての性欲なのかを見分ける方法が二つある。一つは、性行為をするという、もうそのまんま単刀直入な方法だ。一発出してしまえば、賢者の見張り時間になる。その時に、その女のことをどう思うかだ。それでも愛おしい、と思えるのなら、その女のことを本当に好きなんだ。逆に、そこで冷めてしまうようだったら、そりゃ単に体目的だな。長くは続かないだろうから、結婚はやめて遊びだけにしておけ。もう一つの方法が、自分が徹底的に嫌いな不細工女だと想像するんだ。それでも愛おしい気持ちが勝るのなら、本物の愛だ。不細工というだけで萎えて興味を失うなら、そりゃただの性欲ってもんだ。愛と性欲の差は賢者が教えてくれるってもんだ」
以前に聞いたことなので、ところどころ記憶は曖昧だが、大筋では違っていないはずだ。自分のダイアリーに対して愛おしいと思う気持ちの正体は何なのか。
美しいダイアリーを不細工に置き換えて想像するのは難しかった。だが、人間の女を抱いて、事が済んだ後でもその女を愛おしく思えるかどうか。確かめることができるのではないか。
その日の朝、水車小屋を出発する時にダイアリーに対して、今日は帰りが遅くなる旨を伝えた。心の中では後ろめたさに苛まれながらも。
だが、自分の気持ちを確認するためには、どうしても必要な儀式だった。
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