2-3 ダルレス便り

 マルトとダイアリーは、二人で並んでダルレスの街を歩いていた。


 旧市街中心部の道は狭い。家々の円形露台はどれも瀟洒な彫刻で飾り立てられていて、アッバース網戸のように道に向かって張り出している。


 水車小屋で暮らすための生活必需品の内、大きめの物を買うためだった。細々した必需品に関しては、何を購入するかはダイアリーに任せていた。実際にそれを使う機会が多いのはメイドのダイアリーなのだ。


 本日は、大きめの買い物をしたいということで、ご主人さまのご意見もお伺いしたいので一緒に行っていただけますか、と言われたのでマルトも同伴という形になった。


 道行く人々もいれば、その場で何かをしている人もいて、とても賑やかだ。風が強い中で子どもたちがビー玉で遊んでいる。家の窓の下で手回しオルガンを演奏している者がいる。曲は二〇〇年ほど前の宮廷で舞曲として愛された古風なメヌエットだ。


「人通りが多いですね。はぐれてしまいそうなので、ご主人さま、手をつないでいただけますか?」


 マルトが返事を少し躊躇っている間に、ダイアリーはさっさとマルトの手を握ってしまった。確かに人通りは多いが、はぐれてしまう程ではなさそうだった。こうして男女で手を繋いで密着しながら歩いていると、宮廷でゆったりと優雅なメヌエットを踊っていた男女も今のマルトと同じように胸をときめかせていたのかもしれない。


 二人が来たのは、木材を加工してベッドを作っている店だった。


「ご主人さまは、水車小屋に来て以来ずっと、床に羊の毛皮を敷いて、その上でお休みになっておられます。ちゃんとしたベッドを購入すべきだと判断します」


「そうかな。僕は野宿とかも慣れているし、これでいいんだけど」


「一時的な野宿はそれで良くても、やはり家で寝るのならば、きちんと体を休めることができるベッドが良いでしょう。生身の人間には睡眠は重要です」


 とダイアリーに言われたので押し切られてしまった形だ。


 だが、店に入って展示品を見て店主に値段を聞いて、マルトは無表情になった。


 ダイアリーは値段が高くても買うべきだと主張した。現在の所持金の持ち合わせが無いなら予約だけでもするべきだ。一方のマルトは、もう一度よく相談してから決めようと提案し、店を出た。


「ご主人さまの快適な暮らしのためには、使うべきところでは躊躇わずにお金を使うべきです」


「そうだけど、あんなに高額ならベッドは不要だよ。寝藁の上に毛皮を敷いて寝るだけで十分じゃないか」


「それでは家畜並みではありませんか」


「節約して貯めたお金を別なことに使った方が楽しいと僕は思うんだ」


「左様でございますか。それでしたら、別のところでお金を使うことにいたしましょう」


 ようやくダイアリーを説得してベッドを諦めさせることができた。だけど、また別のところでとんでもない物を買いたいと言い出しそうな雰囲気ではあった。


■■■


 マルトは、ダルレスの街で馭者としての本日の勤務を終えて、たまに浴場に寄ってから郊外の水車小屋に帰ろうとした。


「お兄さん。アタシと遊んでいかないかい」


 声をかけられて振り向くと、艶めかしい露出の多い黒っぽい服を着た女が立っていた。浴場からは、仕事帰りの港湾労働者も出てくる。そういう男を狙って声をかけているのだろう。娼婦にとっては夕方以降が稼ぎ時なのだ。


 マルトは娼婦の顔を眺めた。美人でもなく不美人でもなく、どちらかといえば美人寄り、といったところだ。焦茶色の波打つ長い髪の揺れる様子が手招きしているかのようだ。まだ二〇代前半くらいの若さだろう。マルトと同い年か、もしかしたら年下くらいだ。胸元の襟が大きく開いた服を着ているので、胸の谷間と、銀の十字架の首飾りが目を引く。


 日々頑張っているのだから、息抜きに遊ぶのも悪くない。とマルトは思った。マルトも二三歳の若者なので、当然男としての性欲はあった。


「お姉さん、名前は何ていうんですか。それに、遊ぶとは言うけど、どこでですか」


「アタシの名はアルバートルだよ。まあ、本名じゃないけどね。場所は勿論、そのへんの人目につかない場所だよ。それともお兄さんは衆人環視の中でおっ始める方がお好みかい」


 アルバートルとは白大理石という意味だ。彼女の服装は黒っぽいが、その分肌の白さは引き立てられているので、ある意味相応しい名前ともいえた。


 遊んで行くとなると、帰りは若干遅くなるだろう。夕食を準備して待っているダイアリーに申し訳ない部分はある。


 それに、人目につかない場所というのも少し不安だった。プロヴェンキア地方に来てから聞いた話では、悪魔が黒い子羊に姿を変えて、守銭奴を唆すという伝説があるという。彼女の黒い服装は、そんな子羊さながらのようにも思える。人目につかない場所に行くと大勢に取り囲まれて金品を強奪されるといった危険もありそうだ。


「お姉さん。悪いけど、遊びはやめておいて、すぐ家に帰りますよ」


「なんだい坊や。警戒しているのかい」


「違う違う。家には僕を待っている美人がいるんです」


「……ああ、そういう設定か」


「設定じゃなくて本当のことですし」


 マルトの言葉に嘘は無い。ダイアリーは、体形は女性らしい凹凸には欠けるが、顔だけならば目の前の娼婦アルバートルなど比較にならない程の美人である。ただ、義人人形であるために性的な行為をする機能が無いのだ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る