2-2 ダイアリーの延命

 二人で始まった水車小屋生活は、順調で快適だった。勿論細かい不満点などはあるが、十分に我慢できる程度の些細なことだ。マルトとしては、やはりプロヴェンキア地方に来たのは現時点で正しい選択だったと思える。吟遊詩人をやめることになった心身の傷のうち、膝の怪我は治らないにしても、精神的な落ち込みはじっくりと癒やして行けそうにも思える。


 ダイアリーは水車小屋の家事を済ませると、自分の用事として、工人捜しに出掛けた。無論、ご主人さまであるマルトの同意済みのことだ。ただ無闇にあちらこちらと歩き回るだけでは不効率なので、歩き回るついでに野生の食用植物や薬草として売れるような植物などを採取した。


「ダイアリー、何か欲しいものでもあるのかい。随分と頑張って薬草集めとかやっているみたいだけど」


 食卓を囲んだ時に、マルトは疑問を尋ねてみた。食卓といっても、食べるのはマルト一人だ。義人人形のダイアリーは水を飲むだけである。


 マルトが来たばかりの頃は、ダイアリーは叡王国風の料理を作ることが多かった。だが、二人で一緒に暮らし始めてほぼ一カ月が過ぎて、その間にダイアリーはプロヴェンキア風の料理もかなり覚えていた。


「生活に必要な物でしたら、あらかじめ言われている通り、遠慮せずにご主人さまに申し上げています。わたくしがどうしても購入したい高価なものがございまして、そのためにお金を貯めているところでございます」


「宝石か貴金属か、そのあたりかな。まあ、ダイアリーが自分が稼いだお金で自分の欲しいものを買うのには、何の文句も無いから」


「はい。家事には支障を来さずに、ご主人さまにご迷惑はおかけしない範囲で頑張りますので」


「ところで、工人なんて本当にいるのかな。僕も、ダルレスの街で世間話のついでに尋ねてみてはいるけど、ドヴェルグ族そのものを知らない人も多いようだし」


「わたくしも、お金稼ぎの薬草採集はそれなりに順調なのですが、工人捜しの方が行き詰まり気味です。アルピール山脈には洞窟が多くて、そこに隠棲している可能性が高いとも考えられます。あちらの方は貴重な薬草も多いようなので、足をのばすには丁度良さそうです」


「コルドの洞窟で小柄な老人を見た、という話は聞いたことがあるな。偏屈なヤツで、壊れた鍋を直してもらおうとしたら、無理難題を吹っ掛けられて、結局直してくれなかったとか。そのコルドの洞窟というのがどこにあるのか僕は知らないけど」


 噂話というものは、漠然と受け身ではなかなか入って来ないが、自ら積極的に攻めの姿勢で集めに行くと、案外多々集まるものだ。ただし、玉石混淆ですらなく、金を含有している金鉱のようなものだ。大部分は単なるゴミにしかならない。


「わたくしも、ヴァリグールの洞窟に魔法使いが住んでいると聞きました。工人の優れた技術のことを魔法使いと称しているのかもしれないと思いました」


「え、ヴァリグールの洞窟なんてあるのか。僕が聞いたことがあるのは、ファンファリグールの渓谷というのがあって、そこに男の魔女がいるって噂だよ。男の魔女とか言っている時点で嘘くさいけどね」


「地名が紛らわしいですね」


 ダイアリーの方でも情報集めは順調なようだった。ただし、まだ全てを検証したわけではないが、恐らくほぼ全てが価値の無い作り話だろう。


 食事を終えたマルトは、後片づけをするダイアリーの様子を窺った。足が悪いマルトとは違って、軽快に動いて家事をこなしている。寿命を延ばすどうこうという話であったが、寿命が迫っているような不安感や緊迫感はどこにも無かった。


■■■


 早春の風が強い日が多い。今日も昼頃までは風が強かった。被っているつば広帽子が飛ばされそうになるのでヴァンサンは手に持って歩いていた。そうなると今度は風で頭髪を乱された。どんよりとした空は分厚い雲に覆われていて太陽が出る気配も無かったので、帽子自体必要無かったかもしれない。


 プロヴェンキア地方に来たばかりの頃は単に枯木だと思っていた木に、いつの間にか蕾が付いていて、あっという間に花開いた。春本番が近いとはいっても、まだ咲いている花が少ないので、アーモンドの白い可憐な花は道行く人々を楽しませてくれている。天気が変わりやすい季節のようで今は風も弱くなって、空も晴れている。


 口に咥えたパイプの煙を横に立ち昇らせながら、ヴァンサンはアーモンド樹の枝を一本手折った。黄色い家に持って帰り、水を入れたグラスに挿して室内でも白い花の可憐さを楽しもうと思ったのだ。それを題材に絵を描いても面白いかもしれない。


 足下に目を転じると、紫色の可憐な花が咲いているのがいくつも見える。菫だけかと思えば、時々、恋茄子 (マンドラゴラ) の花も混じっている。有毒ではあるが、使い方によっては強力な薬草として使うことができる。ただし根を掘る時にはダマスカス鋼の剣で三つの輪を描き、西向きで掘らなければならないと言われている。


 既に花が咲いているのは、開花時期が早く春を告げる花と呼ばれるような木や草ばかりだ。革命暦では今月は芽月 (ジェルミナール) と呼ばれているように、春の草花であっても現段階ではまだ芽が出たばかりといったものも多い。


「今日は石曜日だったかな。悪いことが起こらなければいいが。女神ジュリアのご加護のあらんことを」


 世の多くの人は一週間の中では月曜日が嫌いな人が多いと言われているようだ。だがヴァンサンは石曜日が最も嫌いだった。他者とは違う個性がある、ということはヴァンサンと接したほとんど全ての人が口を揃えて言っていたことだ。


「革命暦の方はともかく、曜日は月火水木金土日のままでも良かったのに。一世紀前の人間も余計なことをしてくれる」


 今から一〇〇年ほど前に、馨しの国で革命が起きて絶対王政が打倒され民主政権が樹立された。その時に旧来の暦が廃止されて新しく革命暦が制定された。と同時に月火水木金土日の七曜制も廃止され、月火水木金石日の新七曜制に改められた。


 ヴァンサンは黄色い家に戻るためダルレスの街を歩いた。新しくできた工場からは黒い煙が夕焼け空へ向かって吐き出されている。


 この先は市場の横を通り抜ける、というところで、ヴァンサンはすれ違った二人組のことを振り向いた。


 一人は、どこにでも居そうな普通の若い男だった。特に興味を引く要素は無かった。問題はもう一人の方だった。


 叡王国風の黒い給仕服に白いフリル付きエプロンを着用している。頭にはホワイトブリムも付けている。メイドだ。


 メイドを雇えるのは叡王国の貴族くらいのものだ。ダルレスの街でメイドを雇っているような金持ちがいるだろうか。工場主ならば雇えるくらいの経済力を有しているかもしれない。


 あるいは、人間のメイドではなく、義人人形かもしれない。外観を一瞬見ただけでは人間と義人人形の区別はつかない。長時間見ていれば、自ずと違いも判明する。夜になったら休息はするが人間のような睡眠は必要としない。食事の時にも違いは出る。


「そういえば、そろそろ石炭を買い足した方が良かったかな」


 用事を思い出したので、ヴァンサンは石炭を扱っている店へ向かうことにした。すれ違った二人組のことはすぐに忘れ去り、手折ってきたアーモンドの枝をどう描こうかの方を考え始めた。


 その後、石炭の値切り交渉で店員と大喧嘩になることなど、この時点では予想もついていなかった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る