1-2 義人人形

 ダイアリーは己の胸に服の上から手を当てながら、淡々と述べた。細身の体躯ではあるが、その細さを更に強調するかのように、胸の辺りには女性らしい膨らみがほとんど無かった。


「ぎ、義人、人形……って、本当なんですか。僕は初めて見ました。普通の人間と全然見分けがつかないですよ」


 義人人形とは、蒸気機関の技術の粋を集めて開発された最先端の工芸品とも言えるものだ。蒸気ボイラーを極限まで縮小改良、超軽量化して人形の中に盛り込んだものだ。蒸気機関の万能の可能性を広げる画期的な発明だった。そのような超技術のものを発明してしまうくらい、メイドというものは必要とされたのだ。といっても、義人人形を製造するには、高度な技術とそれに見合う費用を必要とするため、実際に所持しているのは、叡王国貴族のうちでも特に格式が高く財力に余裕のある者だけだった。一般庶民は、義人人形の存在を噂として聞いたことはあっても、現物を直接見たという者はほとんど存在しないはずだ。


「それでは、わたくしは出て行きます。ご迷惑をおかけいたしました。水車小屋の中にあるストーブや備品などは、迷惑料としてそのままお使いください」


「義人人形なのは分かったけど、本当に行く宛ては無いのですか? これから、どうするんですか? 率直に心配なんですけど」


 マルトにはダイアリーを追い出す権利がある。だが、その後のダイアリーの境遇がどうなるかについて、見て見ぬふりをできない程度には、マルトは善人でお人好しだった。


「宛てはございません。が、先程も申し上げました通り、今晩は野宿の予定です。童話には、飼われている山羊が自由を求めて脱走して山へ行ったら狼に襲われて食べられてしまった、というお話もございますが、狼など、北方のプロシアン帝国の薄暗い針葉樹林にでも行かないと遭遇しないと思います。それに、プロヴェンキア地方は冬の夜でも温暖なので、凍える、というか体内の配管の水が凍結して破裂する心配も無いかと思われます」


「僕は本物の義人人形に初めて会ったから詳しくは知らないんですけど、義人人形でも、暑さや寒さを感じるんですよね?」


「はい。寒暖の感覚が分からないと、ご主人さまに的確にお仕えすることができませんから」


「一晩だけならともかく、その先はどうするんですか。プロヴェンキア地方は夜でも温暖とはいっても、北西風 (ミストラル) が強く吹く時は骨を突き刺すような寒さになるとも言われますし、数年に一度くらいは大きな寒波がやって来て大雪に見舞われる時もある、と言われていますよ」


「どこかで、わたくしをメイドとして雇っていただけないかどうか、ダルレスの街で探してみます」


 マルトは無言で渋い表情をした。高い給金を支払ってメイドを雇えるのは、金持ちの貴族くらいのものだ。


「ダルレスに来たばかりの時には、メイドを雇えるような上流貴族様はいらっしゃらないようでしたが、今度は、単に使用人として雇っていただけるなら、選り好みせず働こうかと考えております」


「えっ、それじゃあ、住み込みで、工場労働者のように過酷にタダ働きさせられるだけじゃないのかな」


「この際贅沢は言えません。そもそもわたくしは義人人形ですので、根本的欲求として、誰かご主人さまと呼べるお方にお仕えしたい、というのがございます」


 彼女がご主人さまと呼べるような人物に都合良く出会うことができるのだろうか。変な人物に拾われてしまうと、彼女の忠誠心に付け込まれてひたすら搾取されてしまうのではないか。そうなるくらいなら、彼女の誠実さを知る自分が彼女を保護した方が良いのではないか。そう思った時には、もうマルトの口から言葉が飛び出していた。


「そ、それだったら、出て行かなくてもいいんじゃないですか。この水車小屋に住み続ければいいんじゃないでしょうか。この小さな水車小屋で快適に暮らして行けるように、家事をやってくれれば、僕としても助かるんですよ。僕は足を傷めていて、あまり激しく動けないので」


 自分の事情を言葉に出してみて、マルトは玄関口での立ったままでの会話に疲れ始めていることを自覚した。右膝を庇うためにずっと左脚に体重をかけて、水車小屋の壁に軽く凭れるような感じで立っている。


「足を、お怪我なさったのですか」


「北方国境地帯で、プロシアン帝国との国境紛争で負傷しました。まあ、これのおかげで傷痍軍人年金がもらえるんですけど、この水車小屋を買い取るために纏まった金額を使ってしまったので、何か新しい仕事を探す必要はあるんですが」


 言いながらマルトは、少し腰を屈めて右膝に手を当てた。足が不自由では、新しい仕事を探すにしても、選択肢が大きく制限されることが予想される。


 ダイアリーはマルトに一歩近づいて、右手を差し伸べた。


「そうですね。あなたは、足が不自由で日常生活にも若干の支障を来しそうです。わたくしは、住む場所が無く、誰かご主人さまにお仕えすることを望んでいる。双方の利害の一致というものです。ですので、あなたには、これから、わたくしのご主人さまとなっていただきます。洒掃薪水 (さいそうしんすい) はメイドの本領ですので、家事はお任せくださいませ」


 マルトは微笑んで、自らも右手を差し出し、ダイアリーとしっかり握手した。


「義人人形とはいえ女性を追い出して、自分だけは屋根のある小屋で安眠を貪っているなんて、寝覚めが悪いですからね。これからよろしくお願いします、ダイアリーさん」


「契約成立、ですね」


 契約証書も無い。公証人も立合人もいない。当事者同士二人だけの間で交わされた約束だった。


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