そこまでしなくてよかったよ

惣山沙樹

そこまでしなくてよかったよ

 そこまでしなくてよかったよ、というのが正直な感想だ。

 僕は空のキャリーバッグをゴロゴロと引きずり、家の外に出た。門のすぐ側に、近所の佐々木のおじいちゃんの死体が転がっていた。

 兄が人類を滅ぼして一週間。電気や水は通っていたが、いつまで使えるかわからない。食料はレトルトや缶詰で何とかするしかない。それらをスーパーに調達しに行くのだ。

 こんなことをした張本人は、実体をなくしたらしく、僕の肩の辺りに白い光となってふよふよと浮いていた。


「ごめんなぁ、タク……」

「もうやっちゃったんだから仕方ないでしょ。僕も諦めたよ」


 道にバタバタと倒れている死体は腐敗が始まっていたようで、近くを通ると嫌な臭いがした。カラスか何かにつつかれたのだろう、目玉がなくなっているものもあった。

 スーパーに入り、キャリーバッグに食料を詰めていった。人類で生き残ったのは僕だけだから、まだここだけあされば済むけれど、いずれは足を伸ばさねばならないだろう。

 こんなことなら兄にいじめのことを相談しなければよかった。まさかこんな斜め上の対処をされるだなんて夢にも思わなかった。

 週刊の少年誌が置かれていたが、もちろん先週のまま。続きを楽しみにしていたバトルものの結末はもう知ることができない。


「はぁ……僕のクラスだけとかそういうことできなかったわけ?」

「うん……まさか兄ちゃんも本当にタク以外全員死ぬとは思わなくて」


 兄はこう願ってしまったらしい。可愛い弟をいじめるようなこの世界自体がクソだと。みんな死ねばいいと。その結果がこれである。


「父さんと母さんの死体は会社かなぁ……そういうのはわからないの?」

「ごめんわかんない」

「まあ、どのみち電車走ってないから行けないけどさ……」


 帰宅してレトルトカレーを温めて食べた。もう母の手料理が食べられないのかと思うと食事も侘しい。牛スジ肉がゴロゴロ入ったカレー。あれ、美味しかったな。

 愚痴を言える相手は、光と声だけになった兄のみ。


「兄ちゃんってさ、昔っから後先考えないところあったよね。ドリンクバー全種類混ぜたらどうなるか、とかバカみたいなことばっかりしててさ」

「ごめんって……」


 こうなってから、兄は謝ってばかりだ。一発くらい殴ってやりたいけど、その身体もない。

 先週……いつものように、高校のトイレで一人弁当を食べて出てきた時だ。廊下に倒れている生徒につまずき転んだ。女の子だった。彼女が息をしていないことや、やけに校内が静かなことに気付いて、教室を確認したら死体の山。

 誰か生きている人は居ないのか。必死になって一人一人確認するも無駄なあがきで。呆然としていたら、白い光が現れて、ぽつり、ごめんタクと言ったのだ。


「兄ちゃん……自分にそういう力があるってわかったのはいつだったの?」

「物心ついた時には、なんとなくな。自分の身体と引き換えに一つだけ願いを叶えられるってわかってた。だったらタクのために使おう、って決めてたんだけど……本当にごめん」

「せめて一言でも相談してほしかったな」


 僕の受けていたいじめは、この日本じゃありきたりなものだっただろう。無視から始まり、教科書を捨てられ、机に落書きされ、体育倉庫に閉じ込められた。

 大人に相談したところでどうしようもないとわかっていたし、三年間我慢すればいいと思っていたのだ。

 けれど、やっぱり兄には黙っていられなくて、話したところ、これである。


「兄ちゃん、これから先どうしよう……」

「ほら、滅亡したのは人類だけだしさ。ペットとか飼ってみたら?」

「ええ……動物の分の食料や水も調達しなきゃいけなくなるでしょ」

「それもそうか……」


 僕はカレーを食べ終えて皿を洗い、水切りかごに立てかけた。


「……出かけてみようかな」

「おっ、どこ行く?」

「死体がなさそうなとこ」


 僕はリュックに水とビスケットを詰め、自転車を走らせた。兄は僕と同じ速度で着いてきた。道路は衝突した車やそこから飛び出た死体で散々なことになっていて、かなり回り道をしなければ通れなかった。

 冬の冷たい風が僕の頬を吹き付け、髪を揺らした。そういえば、もうすぐバレンタインデーだ。百貨店にでも行けば、高級なチョコレートが食べ放題ではあるが、すぐに飽きることだろう。


「タク、どこ行くの?」

「そのうちわかるよ」


 下り坂を一気に駆け抜けた。僕は古い洋楽のメロディーを口ずさんだ。父から聴かされていたロックバンドのものだった。途中から兄も入ってきて、いくらか気分は良くなってきた。

 コンビニを見つけたので、入ってライターとタバコをかっぱらった。銘柄はマルボロ。映画で見たことがあるやつだ。


「タク、吸うのか?」

「もう今さらでしょ」

「まあそうだけど」


 さらに僕は自転車を漕いだ。視界が開けてくると、兄が呟いた。


「ああ……なるほどな」

「ここなら誰も居ないと思って」


 僕らが辿り着いたのは海だった。僕は自転車を止め、ザクザクと砂浜をスニーカーで歩いた。波打ち際が見えるところまで行ってしゃがみ込み、潮の香りをかいだ。


「兄ちゃん、思い出すね。小学生の時までは毎年海水浴行ってた」

「そうそう。タクが流された時は大変だった」

「あの時兄ちゃんが助けてくれなかったら僕死んでたよ」


 僕はリュックからビスケットを取り出して食べ、水で流し込んだ。その後タバコに火をつけてみることにした。


「ん……つかない」

「息吸い込みながらつけるんだよ」

「そうなんだ」


 兄に言われた通りにしてみるとやっとついた。初めての喫煙は美味いとか不味いとかそんな次元ではなく、ただただ煙たいだけだった。


「けほっ……」

「無理するなよ」

「どうせなら、やっちゃダメなことやってやろうと思っただけ。兄ちゃんのせいだからね」

「うん……ごめん」


 ゆらゆら、ゆらゆら。煙と波が揺れて。僕は本当にこの世界に一人ぼっちで。


「兄ちゃん」

「なんだ」

「寂しい」

「そうだよな」


 タバコが小さくなってきたので、僕は海に放り投げた。


「……兄ちゃん、帰ろうか」

「うん」


 吸い殻はあっという間に波に飲まれ、すぐに見えなくなった。

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そこまでしなくてよかったよ 惣山沙樹 @saki-souyama

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