さちこさん

さちこさん


ぼくの家には、お化けがでる。

煙のような黒いもやもやした塊が、夜だけでなく、昼も朝もぼくの前に現れるのだ。

「おかあさん、なにかいる」

 何度もそう言ったけど、お母さんには見えないらしい。言うたびに気味悪そうな顔でぼくを見るので、嫌になってしまった。

「ねぇ、なに?」

 声をかけてみたけど、黒いもやもやは、家の中を漂うばかり。最初は怖かったけど、そのうち慣れてしまった。

 黒いもやもやは見つめていると、時々一つの形になる。そしてフッと消える。その繰り返し。

その一つの形が、女の人に見えるので、ぼくはこの黒いもやもやのお化けを“さちこさん”と名付けることにした。昨日読んだ漫画に出てきた、黒い服の幽霊が“さちこさん”だったからだ。

「さちこさん」

 そう呼ぶと、黒いもやもやは、ぼくの頭の上をぐるぐると回る。その姿はちょっと可愛い。「さちこさん、さちこさん」と何度も呼ぶと、もう一度回ってフッと消えた。

 その日から、さちこさんは、ぼくの友達になった。

家だけじゃない。学校の教室。校庭に体育館。家までの帰り道。さちこさんはどこにでも現れた。ときには、勉強中のぼくのノートの前に寝転んで邪魔をする。

ぼくは、さちこさんに夢中になった。毎日話しかけて、毎日触れた。

さちこさんはどんどん大きくなって、ぼくの視界を覆うほどになっていった。

「最近よく物や壁にぶつかっているけど、調子でも悪いのかな?」

 いつものように、校庭でさちこさんと一緒にいると、先生が話しかけてきた。クラス担任の綺麗な女の先生だ。

「ううん。さちこさんが目の前にいるから、見えなくてぶつかっちゃうんだ」

ぼくの腕にさちこさんが甘えるように絡みつく。先生も見えないのかな。

「さちこさん?」

「お化けだよ。真っ黒なんだ」

 初めてさちこさんに興味を持ってくれる人に嬉しくて、ぼくは沢山話した。

家に突然現れたこと。名前をつけてから、学校にも道にも出てくるようになったこと。今も隣にいること。

 ぼくの話を聞く先生の顔が青ざめていく。慌てて「でも、さちこさんは怖いお化けじゃないよ」といったけれど、先生の顔色は変わらなかった。

「すぐに病院にいきましょう」

 戸惑っているぼくをよそに、先生の行動は早かった。保健室の先生。お父さんとお母さん。お医者さん。あっという間に連絡をして、ぼくはすぐ入院になってしまった。

「君は、目の病気なんだよ」

 お医者さんは言う。“さちこさん”は、ぼくの目にしかいない。放っておくと黒いもやもやが目を覆って、見えなくなってしまうと。

ぼくはすぐに手術となった。

「これで、もう変なこと言わなくなるのね」

 手術が終わった日。お母さんは安心した声で、ぼくにそういった。

 でもぼくは知っている。さちこさんは目の病気なんかじゃない。だって、ぼくは何度もさちこさんに触れたから。

 箒のような硬い皮膚と生暖かい舌が、ぼくの腕をなぞる。

 さちこさんは、今もぼくの隣にいる。

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さちこさん @oishiinoha

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